エピローグ
「かんぱあああい!!」
助手席から後部座席に向けて、ロンダートは上機嫌でコップを掲げた。
だが、だれもコップを合わせなかった。苦笑いを浮かべてピアが呻くようにいった。
「何回するのよ、たいちょー」
「ばかやろう!」 ロンダートは肩を怒らせた。「めでたいことは何度でもするんだよ! そうだろコディ!」
「あ……、はい」
フェリシティは後部座席に座ってコップを両手に握り、すこし引きつりながら答えた。正直に言えば、凍結睡眠もあわせて五年と数カ月ぶりの酒が相当堪えている。
「なんだよ、もう限界か? そんなんで本当に宇宙人かよだらしねえ!」 ロンダートが大口をあけて笑う。
「関係あるの? それ」 ピアが呆れた。
あれから、すぐに裁判があった。裁判長はレイノルドが勤め、結果は有罪。七五万ドルの罰金刑に処された。
だが、そんな金を持っているはずもないため、店と家の権利書、車、貯蓄のすべてを没収して釈放した。売り払うのに時間がかかったが、合計で六三万になった。
一部を国に納め、フェリシティは残りの金をそっくりロンダートたちに渡した。この金でルークを探し、母星に戻る手伝いをしてほしいと。
契約書は? と聞かれた。
フェリシティは首を横に振った。
ロンダートはニヤリと笑い、車に乗るように指示をした。
そして、それからずっとロンダートは宴会を開いていた。
町を出て八時間。そのペースは収まる様子がない。
オリベイラ親子の行方はわからなかった。彼らも町を出たと聞いたが、身一つで渡れるほど荒野は甘くない。フェリシティでさえ十分に実感していた。
サミールのことが最も気にかかった。
だが、その行方はようとして知れなかった。
「ピア! 歌だ歌だ! 歌えこのやろう!」
車内は相変わらず賑やかだった。
「なんの歌?」
ピアが聞くと、ロンダートは急に真顔になった。
「失恋の歌がいいな」
「なんでよ……」 ピアが呆れた。
日が登り、太陽が岩壁を照らしだした。
周囲を高い岩に囲まれて、まるで洞窟のようになっている。
入り口はトレーラーでもゆうに潜れる大きさで、奥まで侵入するとクレーンでポッドを地面に下ろした。
「これでいいか?」
トレーラー脇に設置された操作レバーを操りながら、昨夜の酒が抜けきっていないのかぼんやりした様子でロンダートが聞いた。
「はい。これで構いません」
ポッドには回収義務がある。トレーラーに載せたままだと邪魔なので、この洞窟に隠すことになった。
「それにしても凄いですね、この洞窟」
フェリシティは見上げながらいった。立ち上る壁は五〇メートルはあるだろうか。とても涼しく空気が澄んでいて、二日酔いには良い環境だった。
「とっておきの場所だよ」
ピアが自慢気にいった。
「へっ。こんなのは序の口だ。まだまだ凄い場所はいっぱいあるんだぜ」
ロンダートが負けじと語った。
「東に行けば本物の海がある。真っ白な砂浜と、真っ青な海。西は大森林地帯だ。家みたいな大きさの害獣と大砲を積んだ車が毎日ドンパチやってる。北には山があるな。年中雪が降ってて、氷だけで出来た洞窟もある」
「嘘だよたいちょー!」
ピアが口を尖らしたが、ロンダートは心外だとばかり口を曲げた。
「嘘じゃねえよ。なあウォルター」
ウォルターはぼんやりとした表情で頷いた。
「え……、マジなんだ」
ピアが慄くようにいった。
フェリシティは、胸が高鳴るのを感じていた。
「行ってみたいです……」
この世界は本当に不思議だった。
砂の海。いまになって考えたら、そんなことはありえない。砂には摩擦があり、潮流など起こるはずがない。振り返れば、船を貫いた光源もこの星から放たれた。それだってありえないことだ。だが、事実、フェリシティはその目でみた。
――この世にありえないことなんかない。
辞書には載っていない言葉が、星の数ほど存在している。
「フェリ、なんか変わったね」
この数日でピアからの呼び名は変化していた。嫌な気分ではなく、心から嬉しかった。
「ああ、なんか別人になっちまった」
フェリシティは地面に横たわるポッドに手を触れた。
「私、なにもなかったんです。自分に」
ポッド乗ってハイシノンに降りる前から、ずっと自分の価値を否定していた。
「空っぽで、回りに合わせてばかりで、流されて、流されて……」
ドリスの町に来た。そこでもまた、ひたすら流され続けた。
「どうしてこんなことになったんだろうって思ってました。どうしてだれも助けてくれないんだろうって」
どうして世界はこんなに優しくないんだろう。みんなが手を差し伸べれば、世界はいますぐにでも変わるのに。
「でも、違ったんです。変わらなきゃいけないのは、自分だったんです。法律とか、暴力とか、そんなのは関係なかった。戦わなきゃいけなかった」
だれかの顔色を伺って、自分自身を縛って、嘆く。そうして行き着いたのはあの砂浜だった。
「……死ぬことは、自由じゃないんです。例え死んでしまっても、恐れないこと」
どんな不遇にも、だれからの悪意にも、決して折れない強い心。
泥まみれになっても、立ち上がる意思。
「それが多分、生きるってことだと思ったんです」
振り返ると、ピアとロンダートは顔を見合わせて、口々に言った。
「全然わかんねえ」
「なんのはなし?」
「……も、もういいです」
急に恥ずかしくなってフェリシティは背を向けた。
人はわかり合えない。信じあうことは難しい。それが、すべての人間にだなんて、不可能だ。
だけど、諦めることなんて出来ない。生きることを止めてしまう理由にはならない。
プシュっと空気が漏れてポッドが開いた。
「どうするの?」
ピアが聞いた。
「AIを凍結するんです。電気を消耗しちゃいますから」
言いながら、内部を覗きこんだ。医療品はすべて回収してある。
シートの前面に取り付けられたモニターを触った。生体信号が解析され、AIが動き出した。
「……え?」
フェリシティが呟いた。ピアが顔を寄せて覗き込む。
モニターに、メッセージ受信の文字が浮かんでいる。前に開けた時はそれどころではなく気付かなかった。
メッセージの件数は七件。最も古い日付は、星系連合基準でフェリシティが砂漠を渡った直後。
一番新しい日付は、一週間前だった。
震える指先を反対の手で揉みほぐし、そっと再生を押した。
――生きることは辛くて、悲しくて、とても孤独なことだと思う。
だから、進まなければいけない。その途中に死が訪れても、命あるかぎり。明日へ。
『こちらメイフラワー乗員、ルーク・デ・フィオーレ。だれか聞こえるか?』




