act21 刃の意味は
きぃんと耳鳴りがする。まるで自分の体ではないように、意識がふわふわと浮いている。
だだ、部屋の冷気だけを感じる。石畳の冷たさを感じる。
フェリシティは手を前でこすりあわせた。だが、何度やっても暖かさは戻らない。
「お名前を」
「サミール・キングストン」
「職業は?」
「オババの召使」
「きちんと答えなさい。オリベイラ氏の使用人だね?」
「……」
まるでフェリシティという存在が部屋から消え去ったように、サミールはこちらを見ない。
「一五日の夜のことを話してください」
「……オレは、オババの風呂を沸かしてた。オババが出るって言ったから、火を消して家に入った」
「それで?」
「オレらは風呂に火を使えないから、冷めないうちに入らなきゃいけないんだ。だから、姉ちゃんを探した」
「姉ちゃんというのは?」
「……」
「フェリシティ・コディさんのことですね?」
「……」
この部屋の光景に、ずっと既視感を感じていた。どこかで見た景色だと思った。
それはずっと昔。ここから遠く、どこまでも遠い場所。
「続けて」
「最初、台所をみたけどいなかった。中庭と部屋もみたけど、やっぱりいなくて、もう風呂に入ってるのかなと思ったから、みにいった。だけど……」
「いなかった」
「……。それで、リビングに戻ろうとしたら、オババの部屋の扉が開いて……」
「……それで?」
「姉ちゃんが……、出てきた」
「姉ちゃんというのは?」
「さっきいっただろ」
星系連合体本部にある査問室。そこによく似ていると思った。
だが、なぜそんな場所を覚えているのかがわからなかった。
そういえば、自分はなぜこんなところに居るのだろうか。
「まだありますか?」
「……もう喋りたくない」
「……結構。勇気ある証言をありがとう」
サミールが証言台を離れた。フェリシティに背を向けて、セッターに伴われ部屋を出て行く。
あの二人はいつから仲が良かったのだろうか。セッターが頭を撫でると、サミールは手を振り払った。やはり、仲は良くないらしかった。
「なにか」
突然、近くで声がした。いつの間にか検事が目の前に立っていた。とても悲しそうな目でこちらを見つめていった。
「言いたいことはありますか?」
フェリシティは戸惑った。質問の意味が理解出来なかった。
「あの……」
だが、なにかを言わなければいけないらしく、ただ思った言葉を発した。
「家に、帰りたい」
検事は目を逸らした。部屋の中央まで歩き、裁判官たちに一礼した。
「以上です」
たん、たん、と木槌が打ち鳴らされた。裁判官たちは寄り添ってなにかを話していた。ときおりこちらを見た。すごく嫌な気持ちがした。
「本件は別室での協議時間を必要とせず結論に至った。このまま判決を言い渡す。被告人は証言台へ」
ただぼんやり立っていると、検事がフェリシティをそっと証言台へ誘導した。
いつの間にか台の周囲に警官が立っている。
「検察の主張を法廷は全面的に支持し、被告人の行為を二等級犯罪と認める。すでに被害者からの希望は通達されているため、被告人に刑罰選択の余地はない」
たん、と木槌が鳴った。
「被告、フェリシティ・コディを人権剥奪刑に処する」
二人の男に細く長い通路を引き摺られながら、フェリシティは泣き叫んだ。
野に打ち捨てられた赤子のように、父と母の名を呼びつづけた。途中で布を噛まされて喋れなくなった。
炉から漏れる火の明かりに照らされた部屋で、男たちの影がゆらゆらと踊った。
小さな作業台の上には金属片が散らばっていた。男がそれを組み合わせると、一枚の板になった。もう一人の男がポケットから紙を取り出し、金属板の表面と見比べて頷いた。
フェリシティは大きな台に寝かされた。力の限り拒否したが、それ以上の力で押さえつけられた。両手首と、頭と、胴、腰、あらゆる場所を革のベルトで固定された。指先しか動かせなくなった。
「こんなに小さくていいのか?」
男が問うと、別の男が答えた。
「手の甲だからな」
「はぁ? なんでそんなところに。手首を切ったら逃げられちまうぞ」
「俺に聞かれても知らないよ。指示書にはそう書いてある」
男が板に棒をつけて炉に突っ込んだ。別の男がフェリシティの右手の甲にハケでなにかの液体を塗った。
手が熱くなったと思うと、じんじんと痺れはじめた。命じれば指は動くのに、他人の指のように感覚がなくなった。
炉から板が出された。赤熱するそれを見た瞬間、フェリシティの体が無意識に暴れた。だが、ベルトが邪魔をして痙攣しているようにしか動けない。
「布を食いしばれ。喉に詰まって死ぬぞ」
「痛くはないからな。麻酔が効いてる間は」
口に嵌められた布を、噛み切ってしまうほどに強く噛んだ。乱れた呼吸を整えることが出来ず、鼻息が大きくなった。
「見ない方がいい」
そういって男がフェリシティの目を塞いだ。
暗闇の中で、なにも感じなかった。熱さも痛みもなかった。
ただ、焼ける音だけは聞こえた。
雨が降っている。
空に漂う水分が凝固し、自由を失い落ちてくる。その度に、木の屋根を叩いた。
隙間だらけのこの小屋を覚えている。フェリシティがはじめてこの町に来た時、雨宿りに使った小屋だった。
いつ整理したのか、部屋の中は空っぽになっていた。前は木箱が積んであり、壁に鎌やロープがかかっていたのに、すべてなくなっている。
理由は簡単に想像できた。自殺させないためだ。
だが、フェリシティはベルトも紐もない灰色の服を着せられ、両手足を縛られて床に転がされている。どうやって死ぬというのか。
右手は膏薬を塗られ、その上から頑丈に包帯が巻かれており指一本動かせない。
まだ麻痺している感覚があるのに、痛みははじまっていた。どくんどくんと、心臓が脈打つたびに激痛が走る。
木の擦れる音がして扉が開いた。
セッターがにやけ面で入ってきた。
「よう、生きてるか」
フェリシティはなにも答えなかった。
「お前が悪いんだぜ?」
わかりきったことを、わざわざいってきた。
「二五万ドルは望み過ぎだ。五万ぐらいなら我慢もしたが、そんな大金、勿体なくってよ」
無視を続けた。だが、セッターは自分のしたことを誇りたくて仕方ない様子だった。
「見事に騙されたな。ええ? 契約はな、人間同士のものだ。人と豚じゃ成立しない」
だから裏切った。二五万ドルで、フェリシティは売られた。
「しかし、ひっでえ雨だなフェリシティ。いや、そうだった。もうこの名前は使えねえんだ。そんな人間は存在しないんだからよ」
セッターは余りの反応のなさに業を煮やしたのか、つかつかとフェリシティに近づくと腰を下ろし、髪を掴んで強引に自分の方へ顔を向けさせた。
「サミールは家を出たぜ」
その言葉に、フェリシティはわずかに反応した。焦点を失っていた視線がセッターに向いた。
「証言をしたら開放してやる約束だったからな」 セッターは実に嬉しそうに説明した。「オレがババアに命令して契約を解除させた。残しても良かったけどな、あれでも男だ。目をみればわかる。あいつは骨がある。すぐに成長する。そうなったらババアには扱えないさ」
セッターは語り終えると、フェリシティの肩から脇を撫でた。
「冷えてるな。あとでババアに毛布を持ってこさせてやる」
雨音が部屋の中に響く。
「本当は母屋の方に入れたかったんだがな、ババアがどうしても嫌がったんだよ」
突然セッターの声音が優しくなった。慈しむようにフェリシティの前髪を整えた。
「体を壊すなよ。飯もちゃんと用意してやるからな」
それから、右手の包帯をそっと触れた。
「刻印ってのは普通、背中とか胸とかにでっかく入れるんだ。なんで手の甲かわかるか?」
子供に言い聞かせるように問われた。フェリシティは無言でその目を見返した。
セッターは突然、心から楽しそうにいった。
「客が嫌がるからさ!」
フェリシティの体が飛び上がった。縛られた両手を伸ばし、渾身の力でセッターに飛びかかった。だが、思ったよりも動けず、一歩引いただけで避けられた。
「まるで狂犬だな……」
意外な攻撃に肝を冷やした様子で、出てもいない汗を拭った。
「セッター」
声がして、戸口にマリサが現れた。その表情はにこにことしている。
「飯を持ってきたよ。これで構わないかい」
セッターは差し出されたお盆に乗った料理をみて顔をしかめた。
「栄養のあるものって言っただろ。くず野菜ばっかりじゃねえか」
「ご、ごめんよセッター」 おろおろと狼狽えながらマリサは謝った。「すぐに作り直してくるからね」
「めんどくせえ。それでいい。だが、次はもっと考えて作ってこい」
「そうだね。気付かなかったよ」
「連れてきた警官が言ってただろ。二・三日は精神的に不安定だから気をつけろって」
「ごめんよ、セッター。ごめんよ」
卑屈なほどに頭を垂れるマリサに不快感を示しながらセッターはフェリシティに背を向けた。
「オレはこれから出かけるから、ちゃんと監視しとけよ」
「もちろんだよ。ただ、少し話をしていいかい?」
少し迷ったが、セッターは面倒臭げに答えた。
「いいが、絶対に手を出すなよ。擦り傷一つつけたら町の外に放り出すぞ」
「わかってるよ。当たり前じゃないか」 うんうんと頷く。
「あと、家畜と違って突飛な行動をするから近づくなよ。さっきも跳びかかって来やがった」
「なんてことだい!」 マリサは悲鳴を上げた。「怪我はしなかったかい!?」
「うるせえよ。あと、毛布を持ってきてやれ。風邪引いちまうからな」
「……ええ、ええ。気をつけてねえ」
セッターを見送ったあと、マリサはフェリシティを向いた。
笑顔は消え去り、蝋人形のように血の通わない表情でいった。
「お前を殺してやりたいよ」
お盆を持つ手が震えて、乗っている椀からスープが零れた。
「お前のせいですべてを失ったよ。店だけじゃない。家も、貯金も、サミールもセッターに取られちまった。そうするしかないものねぇ? 店がなくちゃ生きていけない。あの子に頼るしかないんだ。嬉しいかい? オババの落ちぶれる姿を見て気は晴れたかい?」
マリサの手からお盆が落ちた。木板の上に野菜とスープがぶちまけた。
「お食べ。豚のようにね。わたしゃあんたを死ぬまで許さないよ。だから、わたしが死ぬまでは生きておくれ。地獄の苦しみのなかで生きておくれ。死にたい死にたいと言いながら生きておくれ。ええ?」
フェリシティは床に頬をつけて動かなかった。マリサはまだなにか言うことを考えていたようだったが、そのうちに諦めたようすで戸口を潜った。
「早く元気になるんだよ。ねぇ?」
にちゃり、と笑って、扉は閉まった。外から鍵のかかる音がした。
再び、雨音だけの世界になった。
右手の痛みがひどくなってきた。じんじんと止むことのない鈍痛が襲ってきた。
襟を噛んでひたすら耐えた。だが、どれだけ時間が経っても、馴れることはなかった。
やがて、雨はやんだ。時刻は夕方らしく、小屋のなかに夕闇が降りてきた。
外で、ガチャガチャと音が鳴った。扉がゆっくりと開かれて、途中で止まった。
隙間からなにかが投げ込まれて、どさりと目の前に落ちた。マリサが毛布を持ってきたのかと思ったが、目を凝らすとローブに包まれてブーツの底が見えた。警察署で没収されたフェリシティの私物だった。
扉は開いたまま。だれも入ってこない。
「……サミールくん?」
思わず声が出た。ごく自然に名前を呼んだ。
「ねぇ、サミールくんなんでしょ……?」
扉のすぐそばに居るはずだった。フェリシティは体をねじり、必死に扉に近づいた。
「聞いて、サミール。私は……」
怒りも悲しみもない。ただ、伝えたかった。まだ自分が人間であることを教えたかった、
「恨んでないよ、サミール。私は恨んでいない。あなたは自分の生き方を自分で決めた。それは私には出来なかったことで……、違う……、選ばなかったことで……」
ただ思うままに訴えた。湧き上がる言葉をそのまま声に乗せた。
「だから……」
言葉が途切れた。もうなにも出なかった。思いは沢山あるのに、言わなければいけないことはいくらでもあるのに。
「だから……」 フェリシティは涙で喉が詰まるまえに、ただ一言だけいった。「……さよなら、サミール」
足音が聞こえた。それはあっという間に遠ざかり、なにも聞こえなくなった。
フェリシティは泣きながら、満たされる思いがした。最も言わなければいけない言葉は、言えた気がした。
もう、それで良かった。思い残すことはないと思った。
気が付くと、ローブが目の前にあった。隙間にはブーツと、法制文字の並ぶ数枚の紙切れ。
どうやってか、サミールが私物をかき集めてくれたのだろう。
よく見ると、紙切れのあいだに小さな木の板が覗いている。両手を伸ばし、指先の動く左手で取り出した。
長方形の板に鳥の紋章。ウォルターがくれたお守りだった。
彼はどうしているのかと思った。荒野を渡っているだろうか。害獣と戦っているだろうか。今の私をみたらなんて言うだろう。いや。彼は喋れないんだった。
――助けてくれるだろうか。この縄を断ち切って、町から飛び出して、自由な大地へ。
そんなことはない。そんなことは起こらない。だから今、ここにいるのだから。
木の板の表面を指で撫でた。紋章に指が触れると、奇妙な感覚がした。鳥の紋章が動く。
フェリシティは指先に力を込めて、紋章をすべらせた。
しゅっ、と音がして、板の先端から刃が飛び出した。驚いて思わず取り落とした。
それは、お守りなんかではなかった。刃渡り四センチほどの仕込みナイフ。いつの間にか小屋に差し込んだ月の光が刃を煌めかせた。
恐る恐るナイフを手にとった。紋章は板の端まで寄って固定されている。
渡された時のことを思い出した。ウォルターの仕草。首を指さした。
これで死ねということかと思った。だが、すぐに否定した。そんなはずはない。
――これは。
――この刃は。
――戦えということだ。
相手の喉を突き、殺せ。
このナイフで生き延びろ。
フェリシティの胸が疼いた。
忘れていたはずの痛みが蘇った。
右手の火傷ではなく、心が泣き叫んだ。張り裂けるほどの激痛に、精神が暴れまわった。
生きることの痛み。突き動かされるように、フェリシティはナイフを握りしめた。




