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act20 偽りの証明

 警官たちはフェリシティを取り囲むと、肩と頭を抑えて強引に跪かせた。

「おい!」 職員が喚いた。「彼女は抵抗していないじゃないか! 乱暴はやめろ!」

「職務遂行中です。邪魔しないでください」

 若い警官はいいながらフェリシティの両手を後ろに回して金属製の手錠をかけた。ガチャン、と音がなり、重みを感じた。

「立て」

 今度は腕を持ち上げられ、立たされた。左腕だったため、苦痛に顔を歪めた。

「よせ! 彼女がなにをしたのか知らないけど、市民は丁重に……」

 車に押し込められる途中、職員はフェリシティと目が合い、思わず息を飲んだ。

「君は……」

 その先の言葉はなかった。一体どんな表情をしていたのか、フェリシティは自分でもわからなかった。



「お前にはオリベイラ氏の権利書を盗んだ疑いがかかっている」

 警官は最初から高圧的な態度だった。

「あのまま町の外に逃げるつもりだったのか?」

 クッションのない木の椅子に座らされ、フェリシティは沈黙を守った。

 部屋は土壁に囲まれ、鉄扉以外には窓もない。完全な密室で取り調べは行われている。

「権利書はどこにある!」

 警官は苛々と何度も机を叩いた。母国でやれば、翌日にはマスコミが警察署を取り囲んでいるだろう。

「黙秘権か。話通り余計な知恵だけはあるようだな。だが、よく聞けよ。このままだんまりを決め込んでもお前の立場は少しも向上しない。認めるのが遅ければ遅いほど刑は重くなるんだ」

 フェリシティは両手を膝の上で握りしめ、ただ頑なに口を結んだ。どんな言葉にも耳を貸さず、絶対に動かない。

 警官はますます苛立ち恫喝を繰り返した。だが、暴力はなかった。一度髪を掴まれた時、書き取りをしている若い警官が耳打ちするのを聞いた。

「一緒に居た環境課の職員が面会を求めています。怪我をさせたらまずい」

 その一言に勇気が湧いた。暴力がなければ、まだ戦える。

 結局、時間の経過がわからなくなるほど長い詰問に対し、フェリシティは一言も喋らなかった。



「本国に戻りたまえ、コディ弁務官」

 コンマ七秒のライムラグがあって、本部長は答えた。

 強化プラスチックに囲まれた部屋からの声が、隙間だらけの木造小屋に響き渡る。

「これは命令だ。今なら目を瞑ってやることも出来る」

 遠くでは火薬の破裂音が響いている。原始的な、死神の乾いた舌打ち。。

「君たちはあくまで暫定政府からの要請によって派遣されている。政府が拒否したいま、その星に福協が留まる正当性は存在しない」

 ならば、なぜはじめたのか。なぜ手を差し伸べたのか。希望だけを持たせて、振り払うためか。

「いいかね、弁務官。内政干渉は許されない。我々は侵略者ではないのだ」

 だとしたら、私たちは何者なのか。

 私は、なんのために。

 一体、だれのために。

「君がしようとしていることは、ただの自己満足だ」

 違う。助かる人がいる。

「事態の抜本的解決にはならない」

 違う。彼らにとっては生命、その根源に対する問題。

「君一人の私情で戦争するつもりか!」

「違う! そんなこと望んではいません!」

 あの時は、ずいぶんと勇気があったと思う。よく本部長に向かって言えたものだ。

「どうしてみんな優しくなれないんですか、どうしてこんなことが起こるんですか、彼らがなにをしたって言うんです、助けを求めているんです、答えられるのは私たちだけなんです」

 酷いわがままだ。そのために仲間の命を危険に晒した。

「それは君個人の財産ですることだ」

「違います。違いますよ本部長。お願いです、聞いてください。装備があるんです。物資だって、船だって揃っています。私は残ります。ここに残って、彼らを守ります」

 それがなんになる。たったひとりでなにが出来る。結局は、本国の救援をあてにしているだけだ。

「君は錯乱している。精神的なストレスによって正常な判断能力を失っている」

「なら、今すぐここに来てください! 現状をその目でご覧になってください!」

 どうしてあんなことをしたのだろうか。結果はわかりきっていたのに。

「そうさせて貰おう。だが、それは君を連れ戻すためだ。今、弁務官の指揮権を凍結した。私がいくまで女神を気取るがいい」

「本部長。どうして対話をして下さらないのですか」

 答えはわかっていた。その時は、正しいと思ったからだ。

「そちらに着けばいくらでも話を聞いてやろう。せいぜい感動的な弁明を構築しておくことだ」

「弁明なら、いま、言わせてください」

「いいだろう。言い給え」

「……あなたは最低だ」

 それだけは、今もそう思う。



 鉄格子。たったそれだけで世界から遮断された空間。

 牢屋の中は狭い。フェリシティを連れてきた警官は拘置所といった。裁判を待つための部屋で、長居を想定していないらしかった。

 汚れた便器と、二枚の毛布。辛うじて手の届く高さに窓があるが、それも鉄の格子がはまっている。いまは夜で、光は入ってこない。

 フェリシティは女性職員に裸にされ、一切を取り上げられた。代わりに渡されたのは灰色の服だった。

 部屋の隅で一枚の毛布にくるまって膝を抱えている。弱々しい電球に照らされる部屋で何度も眠ろうとしたが、すぐに起きてしまった。この環境がそうさせるのか、夢ばかり見た。

 少しでも英気を養わなければいけないと思うが、気持ちばかり焦って上手くいかない。

 どうしてマリサは権利書のすり替えに気付いたのか。

 フェリシティを疑ったのは理解出来る。状況的に考えて彼女しか居ないのだから。

 だが、警官は決定的な証拠を見せなかった。実際、そんなものはないはずだ。

 だとすると、フェリシティの犯行を証明するものはなにもない。

 ドリス市の裁判官はみな首都から派遣されている。地元警官よりは公平なはずだ。知らないと言い張れば、押し通せるかも知れない。

 問題はセッターと交わした契約書。だが、それには権利書のことなど一言も書いていない。彼と上手くいい合わせれば、直接的な証拠にならない。

 フェリシティは思考を打ち切った。

 眠らなければならない。疲労を残してはいけない。

 結局朝が来るまで、四度の悪夢を見た。



「さて、はじめましょうか」

 リードホルム検事は紙資料を片手に、そんな言葉から尋問をはじめた。

 法廷は警察署の中にあるが、そこだけが石造りだった。どうして権威と言うのは石を好むのか。

 広さはそれほどない。部屋の中央に証言台が設置されている。後ろには一〇人座れば満員の傍聴席があり、右側が検察側の席、逆には被告人席がある。さらに、真正面は三段ほどの高さがあり裁判官が並んでいる。その数は三人。真ん中で木槌を持っているのが中年の女性が裁判長だと思った。契約が関わる事件のためか、右側には法制官が座っている。彼はレイノルドではなかった。

 傍聴人は六人ほど。身なり格好からして育ちの良さが伺える若者ばかりで、学生らしかった。検事側には男が二人。被告人席には、だれも座っていない。

 フェリシティは傍聴席の前、裁判官たちと向かい合う形で証言台に立っている。当番弁護士制度は存在しておらず、弁護士を雇うには金が必要だった。フェリシティに支払えるはずもなく、自分の弁護は自分でするしかなかった。

「あなたのお名前をお聞かせください」

「フェリシティ・コディです」

「お仕事は?」

「マリサ・オリベイラの使用人をしています」

「雇用契約を結んでいますか?」

 当たり前だが、検事はこちらを調べている様子だった。嘘はつけない。

「……はい」

「そうですよね。あなたはオリベイラ氏と雇用契約を結んでいる。三〇年も」

 傍聴席にざわめきが起きた。

「あなたは常々、この契約を不満に思っていたそうですね。虐待があると警察に訴えたこともおありだ」

「……訴えたことは確かですが、契約を不満に思ったことはありません」

「そうですか? ……まぁ、そうですか」

 検事は追求をしなかった。出来なかったのだろう。人の心は覗けない。

「では、事件についてお伺いします」

 紙資料をめくって、検事は快活に語りだした。声は男性にしては甲高く、やたらと響いた。

「昨日、一六日昼過ぎ、マリサ・オリベイラ氏は、自身の所有する”オリベイラの野菜”の権利書が何者かにすり替えられていることに気付きました」

 喋りながら証言台の前を行ったり来たりしている。落ち着きのない性格が伺えた。

「オリベイラ氏は、一五日の夕方に確認した時、権利書に問題はなかったと言っています。となると、すり替えられたのは一五日の夕方から、一六日の昼過ぎまでの間です。氏は大変用心深い方で、権利書は一日二五時間一六分肌身離さず懐にしまっているそうです。唯一体から離すのは、入浴時の短い間だけ」

 法廷はしんと静まり返っている。

「一五日の夜、家にいたのは氏と、使用人のサミール・キングストン少年と、被告人の三人だけでした。一九時頃、オリベイラ氏は入浴を行います。その間、キングストン少年はずっと外で風呂の火を管理しており、そのことは氏も確認しております。となると……」

 足音がフェリシティの前で止まった。リードホルム検事は真っ直ぐにこちらを見据えていった。

「すり替えが行えるのはあなたしかいません。違いますか?」

 フェリシティは無意識に胸へ手を当てていた。だが、そこにペンダントはない。ただ、空を掴み、握りしめた。

「違います。……私は、マリサ・オリベイラに命じられて井戸の水を台所の釜に移していました」

「それを証明出来ますか?」

「……できません」

「では、家のなかでオリベイラ氏、キングストン少年以外の人物を見ましたか?」

「見ていません」

「だとすると、あなた以外にだれが権利書を盗めるのです?」

「……知りません」

「なるほど」

 と一息ついて、検事は自分の席に戻ると、机の上から一枚の紙を取り出した。

 証言台の前まで来ると、周囲に紙を掲げ回した。

「これは、被告人が一六日の朝に作成した契約書です」

 ――来た。

 意思を。勇気を。フェリシティはゆっくりと深呼吸を繰り返した。

「内容は金銭の支払いが約束されています。一八日、つまり明日に、セッター・オリベイラ氏、被害者の実の息子さんですが、彼は被告人フェリシティ・コディ氏に、……二五万ドル!」 傍聴席からどよめきが起きた。裁判官の顔にも驚きがありありと浮かんでいる。「……二五万ドルを支払う約束になっています」

 紙を周囲に見せ終わると、検事は証言台の前に立った。

「コディさん。この契約書はなんですか?」

「……事件とは関係ないものです」

「それは」 検事は大声を上げて、今度は小さくいった。「裁判官が決めることです」

 検事は振り返って裁判官たちを仰ぎ見た。裁判長は頷きいった。

「答える必要を認めます」

「では、教えて下さい。この二五万ドルはなんの金です?」

 牢屋の中で答えをずっと考えていた。どう答えるのが最良か。もう沈黙は意味を持たない。

 だが、セッターと口裏を合わせていない以上、下手な言い訳は見抜かれる恐れがある。考えぬいた末、フェリシティは答えた。

「……多分、セッターさんが私の雇用契約を解除するためのお金だと思います」

「多分? よくわからないで二五万ドルもの大金を受け取るつもりなんですか?」

「それが、なにか問題でしょうか」 

「……。では、なぜセッター氏はあなたの契約を解除しようと? あなたは契約を不満に思っていないのに」

「セッターさんはそう思わなかったのではありませんか。すべて推測に過ぎませんが」

「なるほど。たしかに推測です」

 検事は踵を返すと裁判長に向かっていった。

「証人の入廷を申請します」

 すぐさま許可され、フェリシティは被告人席に戻った。傍聴人席の奥にある扉が開き、予想通りセッターが入ってきた。

 まるで風呂あがりのようにのんびりとした表情で、悠々と証言台まで歩いた。検事が一礼して名前を聞いた。

「セッター・オリベイラ。マリサ・オリベイラの息子だ。仕事はまぁ、トレーダーをしている」

「率直にお聞きしたい」 検事は契約書を掲げてみせた。「この契約書に書かれている二五万ドルは、一体なんの金ですか」

 セッターが正当性のある嘘をでっち上げれば、契約書に証拠能力はなくなる。

 フェリシティは祈るような気持ちで答えを待った。

「金ねぇ……」 その瞬間、セッターが薄く笑ったのが見えた。「フェリシティから店の権利書を買った金さ」

 法定内が騒然となった。学生たちは周囲と顔を見合わせ、口々になにかをいっている。

 一番驚いたのはフェリシティだった。

 ――どうして?

 なぜそんなことを言うのか。なにが目的で。

 混乱する思考のなかで、それは不意に起こった。

 突然、渦に巻かれている思考の断片が組み合わさった。

「店の権利書というのは?」

「おいおい」 セッターは肩をすくめた。「流れでわかるだろう。おふくろの店の権利書さ。オリベイラの野菜のな」

 二人は示し合わせたようにテンポよく質疑応答を繰り返した。

「では、あなたは権利書を買うために二五万ドル支払う約束をした、と」

「そのとおり」

「盗品であることを知っていましたか?」

「知るわけないだろう。知ってたら買ってないよ」

「では、なぜ買ったのですか?」

「いきなりおふくろの権利書を突きつけられたんだ。買わなきゃ他所で売るぞってね。なんで持ってるかなんて確かめる暇はなかったよ」

「では、窃盗には関与してないわけですね」

「するわけないだろう」

 フェリシティは身も心も虚脱に苛まれた。体を支える足に力が入らない。対抗策を考える気力も湧かない。

 裏切られた? ――違う。最初から仕組まれていた。なぜ気づかなかったのか。盗品を買った人間に罪は発生しない。罪が発生しない以上取引は合法であり、合法的に手に入れた品物を法が奪うことは出来ない。

 だが、それだけでは裏切る理由にはならない。セッターの狙いは――。考えただけで吐き気がした。あまりにも非道で、邪悪だった。それ故に、気付かなかった。

 コツコツと足音を響かせて、検事がフェリシティの目の前までやってきた。その目も、口元も、すでに勝利を確信している。

「被告人。あなたは先ほど、契約書と事件は関係ないといった。ですが、今のセッター氏の発言はそれを否定している。なぜですか?」

「……わ、かり……ません」

 声が掠れている。まるでしわがれた老人のような声で答えた。

「もうお認めになったらいかがです?」

「……なにを?」

 真っ直ぐに目を見て検事は聞いた。

「あなたが盗んだんでしょう?」

 認めてしまおう。もう耐えられない。これ以上は無意味だ。

「私は……」

 言えば終わる。すべてが終わる。この茶番も、苦しみも。

 終わって。……終わって? その先にあるのは。

 フェリシティの脳裏に浮かんだのは、老人の死に顔だった。

「……私はやってない」

 自然とその言葉が出た。終わりじゃない。諦めたって楽にはならない。どこまでも足掻くしかない。

「それはセッター氏の発言と矛盾します」

「……嘘です」

 声が掠れすぎてほとんど出なかった。

「……なんですって?」

「セッターさんの証言は嘘です。私は権利書なんか知らない」

 検事は面倒そうに深く嘆息した。

「あのねぇ、被告人。そんな言い逃れが通用すると、本当にお思いですか」

「言い逃れなんかじゃ……、ありません。契約書には権利書のことなんかなにも書いていない。ただ、金銭贈与の約束を証明しているにすぎない」

「……」

 今日、初めて検事が言葉に詰まった。

 フェリシティは両足を踏みしめ、思いつく限りの言葉をぶつけた。

「検事さんが仰ることは、すべて間接的なことです。直接的な証拠も証言もない。私が盗んだというのなら、確たる証拠が必要なはずです。ただ、疑わしいというだけで人を罰するのですか? 私はこの国の立法制度を信じます。厳正なる法と秩序に従います」

 残響が消え、静寂が訪れた。

 静寂はかすかに生まれたささやき声に溶けて消えた。

 苦しいと思っていた。実際、これほど苦しい言い訳もない。

 だが、効果がないわけではなかった。少なくとも傍聴席の意見は分かれている。

 裁判官たちも顔を寄せて話し合いをはじめた。

 パンッ。

 と鳴ったのは、検事の手だった。突然の異音にみなの注意が集まった。

「確たる証拠。そう仰る」 検事は被告人席の前で大様に頷いた。「まさしくその通りです。我々は疑いを残してはいけない。真実を法の元に照らしださなくてはならない」

 検事はコツコツと足音高く裁判官たちの前に歩み寄り、宣言した。

「新たな証人の入廷を申請します!」

 傍聴席のどよめきに負けないよう、裁判長は大声で返した。

「許可します!」

 検事はあくまで証言で押し切るつもりらしかった。

 出てくるのはマリサに間違いない。直接対決。フェリシティはなけなしの勇気を奮い起こした。

 余計な思考を排除しろ。ただ勝つことだけを考えろ。必死に自分を鼓舞し、呼吸を整えた。

 やがて法廷の扉が開かれて証人が入廷した。

 同時に、フェリシティの思考は弾けて消えた。もうなにもわからなくなった。すべての力が、体から霧散した。

 セッターと入れ替わりで証言台に立ったのは、サミールだった。

 

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