act19 誰がための祈り
翌朝、店が開く前に注文が入った。使いの少年は”月の輪亭”を名乗った。街の中心にある大きな料亭で、手違いが起きて材料が足りていないという。
小口の注文ではあったが、有名な店と繋がりが生まれると思ってか、マリサは喜び勇んで野菜を選び抜いた。
フェリシティは台車を押して店を出る。彼女の配達もまた月の輪亭からの要望であったため、くれぐれも失礼のないようにと言い聞かされた。次の注文が貰えなかったらお前のせいだ、と一言を添えて。
いつものローブにフードを下ろし、ガラガラと車輪を鳴らして大通りを進む。二〇分ほどすると、月の輪亭が見えた。
確かに大きい。珍しい木造の二階建てで、三日月を模した看板がかかっている。まだ開店前らしく若い女性が表を箒で清めていた。
フェリシティは台車を押す力を強めて、その前を通り過ぎた。
止まることなく進み続けると、やがて市庁が見えてきた。その手前、通り沿いの一軒家の前に使いに来た少年とセッターが待っていた。
台車をそばまで寄せて停めると、セッターが料金をフェリシティに手渡した。少年が台車の野菜を抱えて不思議そうにいった。
「これ、本当の貰っていいの?」
「おう、全部もってけ。その代わり台車を見といてくれよ」
少年は元気よく返事すると、せっせと野菜を家の中に運び入れた。
「よし、行くか」 セッターがフェリシティの肩を叩いた。
法制局事務所の扉を開けると、カウンターの奥でレイノルド法制官が不思議そうに二人を見た。
「この契約を結びたい」
セッターが懐から契約書を取り出し、手渡した。昨日の夜に法制書士の事務所を訪れ、急ぎで作って貰ったらしお。かなり足元を見られたといっていた。
フェリシティはすでに文章を確認している。辞書は引き裂かれたが内容は頭に入っており、時間をかければ翻訳出来た。
"一八日一二時〇〇分までに、契約従者は契約主に対して二五万ドルを支払う"
今日は一六日のため、期限は明後日となる。単純なだけあって明快で、誤読のしようもない。
受け取った契約書を見たレイノルドの眉根がわずかに上がった。だが、それ以上の反応は示さず、紙をカウンターに戻した。
「署名を。それで契約は成立する」。
フェリシティはペンにインクをつけて、契約主の欄に署名した。セッターは少しためらったが、やがてペンを持ち、名前を書き入れた。
「一言だけ言っておく」 レイノルドはフェリシティを見ていった。「契約は遊びじゃない。どんな結果になろうと、受け入れなければならない」
言外に”助けない”と言っているのだと思った。
最初からそのつもりはなかった。自分を助けられるのは自分しかいない。
一瞬ウォルターの顔が浮かんだが、すぐに振り払った。甘えてはいけない。結局は他人なのだから。
「待ってください」
レイノルドがペンを持ったところでフェリシティは制止をかけ、ローブの中から一枚の紙を取り出しセッターに渡した。
じっくりと時間をかけて確認するとセッターは頷いて紙を懐に入れた。フェリシティは再度声をかけた。
「どうぞ」
ほんの一瞬レイノルドはためらいを見せたが、すぐに署名を終えた。
「フェリシティ・コディ、セッター・オリベイラ。両者の間に契約が完了したことをドリス市派遣法制員レイノルド・メサの名において認める。只今より二日後、一八日一二時〇〇分までに、セッター・オリベイラはフェリシティ・コディに二五万ドルを支払わなければならない。期日を過ぎた時点でセッター・オリベイラの契約義務違反は構成される。また、期日内であっても一方的な契約破棄は原則として認められない」
宣言を聞き終え、フェリシティは自分のした行為を思った。窃盗。紛れも無い犯罪。だが、自由への道でもある。
決して戻れない、立ち止まることも許されない。なにが起きようと進み続けるしかない茨の道。
市庁を出るとセッターが右手を差し出した。
「また会おう」
フェリシティはその手を見つめ、無言で背を向けた。
台車を引いて店に戻った。マリサに遅かったことを詰問され、店主から扱っている野菜のことを聞かれて説明していたと答えた。今後注文を増やしたいと言っていた、とも付け加えた。
喜ぶ老婆を見ても、フェリシティはなにも感じなかった。罪悪感も、嫌悪感も、乾いた心の上を通り抜けた。
命じられるままに、休むことなく朝の配達に向かった。台車は重かったが、すぐに終わるのだと思うと苦ではなかった。
台車から伸びる枠を押しながら、自分の手を見た。日に焼け、筋肉のついた体。もう昔のフェリシティ・コディはいない。
狭い路地を抜けると南門駐車場に出た。ロンダートの車を探したが見当たらなかった。
町を出てしまったのだろうか。そうかも知れないと思った。そうする自由が彼らには存在している。
駐車場沿いの家に最後の野菜を卸し、大通りに戻った。真っ直ぐに進むと店に戻る。
しばらくすると、小さな空き地が見えた。木製の掲示板が立っており、その下に木箱と老人。
あれ以来会う機会がなかったが、前よりかなり薄汚れて見える。俯いたまま微動だせず、こちらにも気付いていない。
フェリシティは思わずポケットを探った。右手の中に数枚の硬貨を握りこむ。
――……だけど。今の私にそんな資格はあるのだろうか。
人に施しを与えられるほど、真っ当な人間だろうか。そんな余裕を持っているのか。
幸い向こうは気付いていない。老人の前を通りすぎて、止まった。
台車から抜け出し、木箱の前に立った。
「あの、これを……」
そう声をかけても老人は動かなかった。
暑い日差しの中、胡座を組んで、少し俯いたまま、反応はなかった。
「……おじいさん?」
もう一度呼びかけ、肩に手を触れた。
そこにはもう、老人は居ないかった。魂の抜け殻。まるで人形のように固い感触。
指先が震えた。ごう、と胸の中をなにかが通り抜けた。一歩、二歩と後ずさった。
老人の目はわずかに開いていた。白濁した瞳が地面に向いたまま、止まっていた。
大勢の人々が行き交う町中でたったひとり、老人は死んでいた。
思わず座り込みそうになった時、後ろから声がかけられた。
「君、この人と知り合い?」
振り向くと、若い男が立っていた。濃紺色の制服を着ていることから市庁の職員らしかった。
「……いえ」
フェリシティは素直に答えた。職員はぼりぼりと赤茶けた頭を掻いた。
「そう? いやぁ、そっか。参ったな。彼の身内とかわからない?」
「……わかりません。なにも」
「だよねぇ。奴隷だもんね。どっから逃げて来たのかなぁ。まったく、こんなところで死んじまって」
困ったというだけでなにもしない職員にフェリシティは苛立った。
「おじいさん、どうなるんですか?」
「どうなるって言ってもなぁ。外に置いてくるしかないんだけど……」
「どうしてですか」
思わず強い口調になり、職員はばつが悪そうにいった。
「奴隷は共同墓地に入れないんだよね。かといって町に埋める訳にはいかないだろ? まぁ、外に置いとけば害獣が勝手に食って……」
言い切るまえに、フェリシティは職員に近づきフードの中から睨んだ。
「最低です。その考え方」
職員は目を泳がせて、拗ねたように答えた。
「だってしょうがないだろ。決まりなんだから。どうしてもって言うなら君が埋めてあげなよ。町の外にね」
フェリシティは職員に背を向け、老人に歩み寄った。腰を下ろし、座ったままの遺体を抱えた。
「……お、おい」
両足を踏ん張り持ち上げた。左腕が傷んだが、そんなことは気にならなかった。。
遺体は軽かった。驚くほどに軽かった。重みを実感した時から、涙が一滴頬を流れた。
台車に遺体を乗せると、体が固まって手足を伸ばせないので横向きに寝かした。
ローブを脱いでその上にかぶせた。周囲の目は遺体からフェリシティに移ったが、もうどうでも良かった。
台車の枠に入り込み、うつろな問いを投げかけた。
「どこに行けばいいんですか?」
職員はしばらく呆然としていたが、頭をぼりぼりと掻くと台車の後ろに回って行った。
「案内するよ」
門の警察官からシャベルを借りると、町の外に出た。
二人で壁沿いに台車を押し、まだ門が見える位置に穴を掘り始めた。
もっと広い、出来れば丘の上に埋葬したかったが、あまり壁から離れるのは危険らしかった。
「僕だって……」
上着を脱いで、シャツをべっとりと汗に湿らせながら職員はいった。。
「かわいそうだとは思うんだよ。でも、決まってるんだ。しょうがないじゃないか」
「それなら、なぜ手伝ってくれるんですか」
フェリシティが返すと、職員はシャベルを地面に突き刺し、苦々しく答えた。
「そりゃ、君みたいな女性を一人で外に出すわけにはいかないだろう」
「……その優しさを、おじいさんに向けるべきだったんです」
にべもなく言われ、職員はシャベルをがむしゃらに動かした。
「いまやってるだろ!」
穴が浅いと害獣が掘り返してしまうため、一時間ほど掘り続けた。完成した穴はフェリシティの胸ほどの深さがある。
ローブを外した。職員が目を閉じさせた。二人で慎重に老人を下ろした。
上からそっと手で土をかけた。老人の姿はゆっくりと消えていき、あとはシャベルで一気に埋めた。
空気を含んだ分そこだけが盛り上がった。職員が近くに落ちていた長方形の石を持ってきて墓石代わりに置いた。
「どうぞ安らかに」
職員は胸の前で両手の指を組んで祈りを捧げた。フェリシティの知っている作法とは少し違ったため、その姿を倣った。
静かな黙祷の時間が流れた。
老人の言葉は覚えている。
彼は自由になったと言った。三〇年間を奴隷として生き、最後に自由になったと。
本当にそうだったのだろうか。自由とは、だれにも看取られず、だれにも気にされず、一人で死ぬことなのだろうか。
孤独を自由というのなら、自分はなにを目指しているのか。自由を求めて犯罪まで犯した。それが、このちっぽけな墓に入ることなのか。
勇気ある選択こそが人の高潔さだといった。その通りだと、今なら思う。決断を先延ばしにすればするほど、人生の取り返しはつかない。
フェリシティは手を下げて、瞳を開けた。
壁の外はひたすら乾いた土の世界で、色あせた草木がまだら模様を作っている。その先は岩だらけ。その先は砂漠。
後ろには町の壁が続いている。煉瓦造りの拒絶。中と外。死後に眺める景色としては、とても寂しいと思った。
空には太陽と、地平線には巨大な月が覗いている。雲はなく、青い空には一羽の鳥が飛んでいた。
あれも害獣なのだろうかと思った。だが、優雅で、生命に満ち溢れ、開放そのものだった。
――もし生まれ変わるなら、あの鳥のように。
胸に去来した祈りは老人に向けてのものなのか、それとも別のだれかか、フェリシティはわからなかった。
「ここから南東に砂浜があるんだ」
突然職員は呟くようにいった。
「僕の祖父は死ぬならそこで死にたいと言ってたよ」
「砂浜……?」 フェリシティは少し首を傾げた。「海があるんですか?」
「うん、砂の海」
その言葉で納得出来た。たしかにあの砂漠は海のようだった。
「綺麗なところでね。僕は本物の海をみたことないけど、負けないぐらい美しいってみんないう。だから、”死ぬなら砂浜で”って。それが……」
職員は遠い目をして墓石をみつめた。
「街の中だもんな。あんな所で死にたくなんかないよな。当たり前だよ、そんなこと。君の言うとおりだ」
目は潤み、声が震えていた。
しばらく、二人で墓石を見つめた。
「……戻ろう」
鼻をすすりながら職員がそういって上着を肩にかけた。フェリシティは頷き、ローブを羽織ってフードを下ろした。心なしか、死臭が染み付いている気がした。
二人で台車を押して門の手前まで来た時、町のなかから一台の車が現れた。
この町には珍しくトラックのような運搬車ではない。長方形の乗用車だった。
「警察だ……」
不思議そうに職員が呟き、フェリシティは台車を停めた。
警官車両は二人の前まで来ると停車し、三人の警官が降りてきた。彼らはフェリシティの方をちらりと見やって、職員に向かい敬礼した。
「失礼ですが、あなたのお名前をお聞きしたい」
一番年かさのある警官が問うと、職員は呆れるように答えた。
「なにいってるんだ。出る時に答えたじゃないか。ドリス市庁環境課スタンリー・イヴァンシュイッツだよ」
「外でなにを?」
「それも言っただろう! 中で亡くなったど……、老人を埋葬していたんだ」
「ご協力感謝します。では、そちらの方」
呼ばれて、フェリシティは顔を見られないようにフードの中で俯いた。
「フェリシティ・コディさんですね?」
直接名前を呼ばれ、びくりと体が震えた。
なぜ。浮かんだ疑問を、頭が拒否した。真っ白な思考のなかに、警官の言葉が響いた。
「もう一度聞きます。フェリシティ・コディさんですね?」
口の中が乾いていた。だが、心はなぜか落ち着いていた。状況をしっかりと理解しているのに、まるで他人ごとのようにしか感じない。
もしかすると、頭のどこかでこうなることを予測していたのかも知れない。
こくりと、同意を示すと、警官は告げた。
「それでは、あなたを逮捕します」




