act18 シングル・フローラル
目覚めると、知らない部屋に居た。ベッドに寝かされて、清潔とは言えないがシーツがかけられている。
「よう、生きてたか」
声がして振り向くと、傍らにセッターが座っていた。手には果物が握られていて、ナイフで器用に皮を剥いている。
部屋は狭く、二人の距離は近い。まだ夜らしく、電灯に照らされた表情は暗いものだった。
「あなたが私を……?」
首を振って否定した。
「ぼんやりした兄ちゃんが連れてきたらしい。オレはそのあとで家に行ったんだ」
ウォルターだと思った。声を聞いて戻ってきてくれたのだろう。
「頭の傷は大したことないらしい。酷く腫れていたが、骨は大丈夫だ。けど、頭の怪我はあとになって酷くなることもなるからな」
それは恐らく脳内出血や脳挫傷のことを言っているのだろうと思った。確かに、この町程度の文明では脳内のことまでは検査出来ない。かといって、フェリシティには祈る以外にすることもない。
酷く冷めた気持ちだった。自分が死にかけたことや、今まさに突然死ぬかも知れないことに恐怖を感じない。心のどこかが麻痺している。
ただ、頭だけが痛い。殴られた部分を手で触れると、包帯が巻かれているのがわかった。今はそれほど腫れておらず、切開して血を抜いたのかも知れない。
「その……」 セッターは言いよどんだ。「話は聞いたよ」
手の中で果物をパコっと割ると、窓際のテーブルに置いてある皿に乗せた。
「まさか、ギャングを雇うとはな」
「このことは、予想していたんじゃないんですか?」
「まさか」 苦笑まじりの否定。「その辺のごろつきでもけしかけると思ってた。そこまで狂ってるとは思わなかった」
セッターは皿を差し出した。フェリシティが首を横に振るのをみて皿をテーブルに戻し、苦々しくいった。
「ババアは警察に出頭したよ」
「出頭……?」
「花瓶で人をぶん殴ったんだから当たり前だけどな。だが、申し出た罪状は過剰防衛。大した罪にはならない」
「……過剰防衛? そんなの、おかしいです。私は手を出していません」
「金を持ってるからな。がめつく貯めた金が。それをばら撒きゃ、証言ぐらいはなんとでもなる」
「殺人未遂だと訴えれば……」
「十中八九通らない。それを決めるのは警察で、やつらは金に弱いので有名だ」
「法制官は……?」 フェリシティはシーツを右手で握りしめた。「契約解除にならないんですか」
「それも無理だ。あんたが法制官と知り合いなのを見越しての出頭さ。襲いかかられ、仕方なく反撃した。この話で固まれば、いくら法制官でも市警察の意向を無視は出来ないだろうよ」
「じゃあ……」 酷い頭痛に苛まれながら、弱々しく呟いた。「泣き寝入りですか」
ため息のなかに諦観が漂っていた。もうどうしようもない。ここまで理解しあえないのなら、打つ手はない。
「あんた、殺されるぜ」
セッターの言葉にフェリシティは素直に頷いた。死ななくても、それに近いことは起きる。マリサの身が破滅するまで、五体満足でいられるはずがない。
「なぁ、……権利書を盗み出さないか?」
咄嗟に、フェリシティは身構えた。提案されることへの恐怖が染み付いている。セッターは構わず、淡々と続けた。
「このままじゃババアはギャングにしぼり尽くされる。そうなったら、オレもあんたも不幸になるだけだ。だれも得なんかしない。だが、オレが権利書を手に入れたら、店を大金に変えて、その金であんたの身を自由に出来る。店がなくなりゃギャングもババアになんぞ興味はないからな」
確かに、それしか道はないように見えた。それが可能なら、全員が助かる。
「でも、本当に権利書の在処を知っているんですか」
問いに、セッターが身を乗り出した。
「権利書はババアが持っている」
「……自分で?」 フェリシティは信じられなかった。「銀行ではないんですか?」
「あいつは銀行を信用していない。なんでかっていうと、オレが三年前に銀行をだまして大金を引き下ろしているからな。実の息子だから出来たことだ」
「じゃあ、また同じことをされると思って?」
「実際は二度と使えない手だが、用心深いババアはそのことを忘れていない。さすがにあんたの契約書とか家の権利書なんかは預けているかも知れないけどな、店はババアの命だ。絶対手元に置いてある。でも、部屋にないことはあんたらが確認しているだろ? だったら、本人が持っているって考えるしかない」
「その証拠は?」 フェリシティは疑いを徹底的に潰すつもりでいった。
「そんものはねえよ」 セッターはあっさりと認めた。「だが、前にババアが倒れたことあったろ? オレに包丁を突きつけた日に。そんとき、ババアは受け身もとらずに腹をかばった。一番大切なものを咄嗟に守ったんだ」
よく見ていると思った。その時から、権利書のありかに目処をつけていたのだろう。
ここまでは無理のない理屈だと思った。フェリシティは慎重に不明な点をあぶり出す。
「だとすると、どうやって手に入れるんですか?」
「風呂だよ」
――確かに。
そう直感した。マリサは必ず風呂に入る。その時、紙で出来ている権利書までは持っては入らないだろう。
脱衣所も考えられない。風呂場からは見えないし、隠すような場所もない。駆け込んで奪ってしまえばそれで終わりだ。
「つまり、風呂場以外のどこかに一旦隠しているってことですね?」
「理解が早いな」 セッターはにやりと笑った。「盗むならそこがチャンスだ。いや、むしろそこしかない」
「でも、すぐにバレます」
「それで、こいつの出番だ」
セッターは懐から紙の束を取り出した。
「期限切れの契約書だ。ババアは法制言語を読めないからな、似たようなやつと入れ替えればいい」
「署名を確認されたら……」
「そこまでするとは思えないが……。もしそうなったらシラを切り通せ。オレが権利書を売り払うまで」
フェリシティは俯いて考えた。作戦自体に異論はない。だが、問題はすべて解決していない。
「一つ、問題があります」
「なんだ?」
「あなたが裏切らないという確証がほしい」
「……」 セッターは腕を組んで苦々しくいった。「信用出来ないか」
「される努力を怠ったのはあなたです」
セッターは苦笑を漏らした。
「じゃあ、どうすればいい?」
「契約を結んでください」
それがフェリシティの武器だった。地位も権力も仲間も、すべてを失った彼女が探しだした唯一無二の力。
セッターは予想していなかったのか、戸惑いを見せた。少し考える素振りをみせたが、やがて苦笑して承諾した。
「それで行こう。あんたの取り分はいくらにする?」
「二五万ドル」
「にっ……!」 セッターが今度は絶句した。「そりゃ、法外だ。違約金は一五万だろ?」
「サミールくんの分も入っています。それから二人で生きていく資金も」
「そりゃないぜ、フェリシティ」 セッターは喘ぐようにいった。「あの店は資産価値五〇万だぜ。半分じゃねーか」
「実行するのは私です。あなたはなにもリスクを負わない。かといって、私に買い手を探すのは無理です。そのことを考えたら、半分は公平な配分だと思います」
「……オレは自分で盗むことも出来るんだぜ」
「出来ません」 フェリシティは一歩も引かない。「それなら最初から私に提案なんかしない。あなたは詳しい隠し場所がわからないんでしょう? 何度も部屋を探しているうちに、もし家に居るところをマリサに見られでもしたら、もっと見つからない場所に契約書を移される危険がある」
「いや……、だがな……」
渋るセッターにまっすぐに告げた。
「この作戦には私の命がかかっています。失敗すれば犯罪なんです。それがどういうことかわかっているはずです」
セッターは立ち上がり、うろうろと狭い部屋を歩きまわった。時々頭を掻きむしり、ため息をついた。
「ちょっと、待ってくれ」
そういって部屋を出て行った。
フェリシティは皿の上の果物に手を伸ばした。素手で掴んでかじると酸っぱかった。
一〇分ほどしてセッターは戻ってきた。
「わかったよ。二五万ドルで手を打つ」
フェリシティは微笑んで右手を差し出した。セッターは頭を振り、握手を交わすと皮肉げな笑みを浮かべた。
「なかなか……。大したたまじゃねえか」
「交渉成立ですね」
翌日の夕方。頭の包帯も取れないうちにフェリシティは家に戻った。
食事中だったマリサがこちらを睨みつけた。
「遅かったじゃないか。大した怪我でもないくせに、ずいぶんのんびりとしたものだね」
酷い言い草に一瞬怒りを覚えたが、フェリシティは必死に堪えた。
「申し訳、ありませんでした」
深く頭を下げると、意外そうにマリサは少し呆けた。だが、すぐに邪悪な笑みを浮かべた。
「そうかい、そうかい」 嬉しくてたまらないように何度も頷いた。「ようやくわかったかい」
「……はい」
恥辱を押し殺してフェリシティはもう一度頭を下げた。マリサは自分の側をフォークで指さした。
「こっちへ来な」
言われる通りにフェリシティは近づいた。
「お前の給料だがね。わたしに投資しないかい」
なにを言い出すかと思えば、下らない話だと思った。言いたいことはわかっている。だが、マリサは得意気に説明した。
「わたしに預けて、店の資金にするんだ。そうすれば、店が大きくなるにつれてお前のお金も増える。よい提案だろう……?」
それは要するに、賃金に支払わないということだった。マリサもその意図を隠すつもりはないのだろう。ただ建前がほしいだけだ。
「どうだい? 嫌かい? 嫌なら構わないよ」
「嫌じゃ……、ありません」 喉が強張るのを感じた。それは恐怖ではなく、怒り。「それでお願いします」
演技はうまく行った。マリサはフェリシティの怒りを見抜けなかった。悔しさに震える彼女を見て、満足気に笑った。
「いい態度だねえ。じゃあ、そうさせて貰うよ」
「部屋に戻って、構いませんか?」
一刻も早くここから離れたかった。
「なにを言っているんだい」
だが、マリサは吐き捨てるように拒否した。
「お前のために台所の釜を空っぽにしてあるよ。今日中にいっぱいにしておくんだ」
「今から……、ですか?」
まだ頭の傷は癒えていない。左腕も満足に上がらない。
「不満かい?」
マリサは挑発的に微笑んだ。
「いえ」 フェリシティはただ心を殺して承諾した。「今からやります」
足早にリビングから廊下に出ると、自分の胸を抑えた。激しい動悸がしている。
――違う。これは好都合だ。
そう言い聞かせた。この家はロの字に作られている。外からは直接リビングに入る。向かって左側の扉を開くと廊下で、左手にいくつもの扉が見える。ほとんど使われておらず倉庫になっている部屋が多い。まっすぐに進み、最後にフェリシティとサミールの部屋がある。突き当りを右折すると、廊下の中頃に風呂場へと続く扉がある。さらに右折でマリサの部屋の前を通って、リビングに戻る。入ってすぐ左手には台所がある。
廊下から中庭へと続く扉は面ごとに一つづつで、普段は開け広げられている。自室からマリサの部屋へ向かうには中庭の方が近い。
一度部屋に戻ってみたが、サミールは居なかった。この時間は風呂焚きを始めているはずだ。
井戸のポンプを片手で操作するのは大変だった。体重をかけて、何度も何度もレバーを押す。水が半分ほど溜まった桶を右手に下げた。
往復する回数は増えるが、これなら負担は少ない。台所にはリビングを通らなけれないけない。その度にマリサがからかいの言葉をかけた。
「お前が悪いんだよ」
「あと三〇年。頑張っておくれ」
「左手はどうしたんだい? 犬にでも噛まれたのかねぇ」
四度目に通った時、リビングの電灯も、マリサの姿も消えていた。
急いで釜に水を注ぐと、リビングに戻りそっとマリサの部屋に面した廊下を覗きこむ。
しばらくして部屋の扉が開き、マリサが出てきた。着替えを脇に抱えている。
廊下を渡る途中で、中庭を覗きこんだ。そこにはだれもいない。フェリシティは咄嗟に身を引いた。その一瞬、マリサがこちらを向こうとしていた。
リビングは暗く、距離もある。見られていないはずだ。慎重に足音に耳をすませた。心臓がうるさい。
しばらくの静寂ののち、足音は遠ざかった。
胸を撫で下ろして息をついた。だが、まだ座り込むわけにはいかない。
廊下の奥からガチャリと扉が開き、閉じる音がした。脱衣所に入ったのだと思った。
フェリシティは急いで中庭に入ると井戸の側に桶を置き、足音を忍ばせてマリサの部屋へ向かう。扉に張り付き、そっとドアノブをひねった。だが、鍵がかかっている。
落ち着いてポッケットから鍵を取り出した。セッターが何年も前に作った合鍵で、財布から小遣いを抜くのに使っていたと聞いた。
鍵は変っていなかった。あっさりとノブは回り、扉は開く。
権利書のありかには検討をつけていた。少し前、風呂の準備が出来たと伝えに来た時、マリサはどこに居たか。
電灯のスイッチを入れた。部屋は広く、数多くの調度品が置かれている。
大きなベッドに、服の吊り下げられたクローゼットと、隣にドレッサー。大小のキャビネットにまぎれて、化粧台が置かれている。
鏡の付いた机の上には複数の化粧品が並んでいた。まず二つある引き出しを開けるが、中には櫛など細々としたものしか入ってない。少し浮かして底と背面を見たが、なにもない。
――別の場所?
ちらりと頭を過った。しかし、他の場所を探すほど時間に余裕がない。マリサの風呂はいつも二〇分から三〇分程度で、すでに五分は経過している。
両隣のキャビネットも調べた。漁ったのがバレないように、それも片手で探すのは時間がかかった。しかし、服や小物が入っているだけで、権利書らしきものは見当たらない。
一度戻るべきか。チャンスは毎日ある。だが、また一日マリサの嫌がらせを耐えなければいけない。
逡巡ののち、フェリシティは化粧台を片付けはじめた。
台を動かした時に化粧品の位置がずれている。元の位置は覚えており、小瓶を丁寧に戻していく。シングルフローラルと書かれた黒い筒状の瓶を手にした時、違和感を覚えた。
――軽い。
それは、単に液が少ないだけかも知れなかった。しかし、確かめないわけにはいかない。蓋を捻るとスポっと外れた。
「あった……!」
心臓が跳ねるように脈打った。筒の中には、なにかの紙が詰め込まれている。指を突っ込み取り出す。
油紙に包まれたそれを広げると、法制言語の書かれた紙が現れた。
「この……、持つ者、書類、……に、権利、当該、……認める」
最初の一行で店の権利書だと理解できた。土地、店舗、営業、すべてがこの一枚で許可されている。
フェリシティは急いで懐から紙束を取り出した。そのうちの一つに同じような店の権利書があった。違うのは住所と名前だけ。丁寧にそちらを油紙に包むと、瓶に戻し入れた。蓋を閉め、所定の位置に置く。
呼吸が乱れているのを感じた。胸に手をあて、深呼吸を行なった。
そっと扉に近づき、音を立てないよう慎重に開く。顔だけを出して周囲を確認する。人影はない。
廊下に足を踏みだそうとした時、突然ガチャリと扉の開く音がした。
マリサが脱衣所を出たとわかった。
すぐに飛び出して中庭に転がり込むか。だが、後ろ姿を見られたら――。
ひた、と足音が聞こえた。フェリシティは体を部屋に戻し、ゆっくり扉を閉めると中から鍵をかけた。かちん、という音はマリサに聞こえなかったか。
――どうしよう。
電灯のスイッチを切った。窓にカーテンがついており、部屋は真っ暗でなにも見えない。頭のなかで警鐘が鳴り響いていた。すぐにでもマリサはやってくる。
数秒後、扉が開いた。
パチン、音がして電灯が部屋を照らした。髪を濡らしたマリサはまっすぐに化粧台に向かうと、例の筒から油紙を取り出した。そして、中身を確認せずに懐へ丁寧にしまった。
肩にかけたタオルで髪についた雫をごしごしと拭き取り、ブラシで丁寧に梳かした。癖づいた白髪頭は大して変化を見せなかったが、本人は満足したらしく、立ち上がった。
クローゼットに近づいて、扉を開く。
中から朱色のカーディガンを取り出すと羽織った。
タオルを片手にさげて、部屋を出た。扉は少し開いていたまま。
フェリシティはすばやくベッドの下から這い出た。腰を屈めて扉に取り付くと、少しだけ顔を出してリビングの方に目を向けた。マリサが台所に入っていくのが見える。水を飲むのだろう。
今しかないと思った。思い切って廊下に出ると、扉を少しだけ閉める。足音をさせないよう慎重に、だが急いで廊下から中庭に飛び出した。
深い水の底から水面に上がった気分だった。井戸のそばで呼吸が整うのを待ちながら、自分の履いているブーツを撫でた。硬い土の上を歩いても足音をさせなかったのは、靴のおかげだった。
星系連合の本部は石畳で出来ており、足音が響く。会議の邪魔になるということで、職員も靴は音がしないように出来ている。何度もカーペットを敷く案が出ていたが、古い職員が頑強に反対していた。石の床は伝統だからと。そのくせ、本人たちは音のなる革靴を好んだ。
フェリシティも、若い仲間に同調して憤ってみせたりしていたが、今は心から頭の固い老人たちに感謝を捧げた。
「まだやっているのかい!」
突然声をかけられて、フェリシティは跳ねるように顔を上げた。今、通ってきたばかりの戸口にマリサが立っている。
「あの……、片手ですので、時間がかかります」
マリサはしげしげとこちらを眺めた。フェリシティの呼吸はまだ上がっている。
「ふん」 マリサは鼻を鳴らした。「そのぐらいで音を上げているのかい。この一週間でずいぶん体がなまったみたいだね」
――助かった……。
密かに胸の内で歓喜した。だが、表には出さず、悔しげに頭を下げた。
「今日中には必ず……」
「当たり前だよ! 明日にはたっぷり使う水なんだからね! 縁まで注いでおきな!」
そういうと、自分の部屋へと戻っていった。
フェリシティはその場に座り込んだ。まだ鼓動が高鳴っている。
――やり遂げた。
いまさらになって手が震えている。ただただ夢中で、まだその夢から醒めていないような気持ちだった。
――いや。
まだ終わったわけじゃない。フェリシティは立ち上がって桶を掴むと、水汲みを再開した。
釜をいっぱいにして自分の部屋に戻る。サミールは上のベッドに戻っていた。背伸びして顔を覗くと、よく眠っているようだった。
下のベッドに潜り込んでシーツに身を包めた。
その夜は、なかなか寝付けなかった。




