act1 蒼い星 前編
フェリシティは目を開けた瞬間、自分がいままで寝ていたのだと気付かなかった。だが、左腕にはめた木製のクラシカルな腕時計を見ると、ついさっき確認した時から一時間ほど進んでいる。
ぞっとした。とたんに焦燥感がこみ上げる。
星系外航行船メイフラワーの船橋はせまい。よく言って中会議室ほどの広さで、前面の大モニターに対して扇状に座席が設けられている。中央に船長席があり、フェリシティはその左側の少し下がった位置に座っていた。
扇の左右ではカーキ色の制服を着た船員たちが慌ただしそうに働いているのが見える。
「コディ法務官。起きたかね」
声をかけられて、フェリシティは弾けるように斜め上を向いた。
宇宙の男らしく髭を蓄えた壮年の船長がこちらを見下ろしている。フェリシティは慌てて衣服を正す仕草をした。
「も、申し訳ありません。私は、その……」
詰まった言葉の間を縫うように、船長はため息をついた。
「凍結睡眠障害なんだろう? 何度も聞いたよ」
凍結睡眠から目覚めると、一時的に睡眠障害を起こすことがある。これを発症すると時と場所を選ばず強い眠気に襲われ、抵抗することなく眠ってしまう。初めてのことだったので本人も知らなかったが、フェリシティは症状が重い方だった。
「薬は貰っているのですが、……気をつけます」
船長は無表情のまま、首を横にふった。
「休みなさい。無理することはない。さしあたって法務官に仕事はないんだ」
「ですが、私だけ休むというのは……」
食い下がるフェリシティに、船長はさらに大仰なため息をついてみせた。
「ありていに言わねばならんかね? 船橋で居眠りされては士気に関わるのだよ」
二の句が告げず、黙り込んだフェリシティは周囲の視線に気づく。いつの間にか船員たちがこちらを見ている。誰もなにも言わないが、迷惑そうにことの推移を見守っている。
居たたまれない気持ちでフェリシティは立ち上がり、船長に頭を下げた。
「すみません。休憩させて頂きます」
返事はなかった。船長はすでに船員の方を向いて指示を飛ばしている。フェシリティは目を伏せ、逃げるように船橋をあとにした。
――まただ……。
自室に戻り、洗面所で顔を洗ってから大きく肩を落とす。病気とは言え居眠りしてしまったのは自分の落ち度だから仕方ないと思うが、それですごすごと立ち去らなければいけない立場は、辛いものがあった。
しかも、船橋を追い出されるのは今日で四度目だ。
鏡の中の自分と目が合う。
長い金髪を後頭部でまとめ、前髪は横に流してある。モニターの内蔵された眼鏡をかけると、幾分知的に見えた。群青色の制服は軍服や警察の制服に似た威圧感を持っている。まさか船で爪弾きにされている人間には見えない。
自分の容姿には自信があった。両親がお互いの遺伝子を組み合わせるにあたって、最良の顔を選んだのだから悪いはずがない。医療保険が効かないのでずいぶん金がかかったらしい。
呼び出し音が鳴った。
通路に通じる扉を開けると、カーキ色の作業服を着た長身の男が立っていた。彫りが深く鼻が高い。青い瞳は知性的で、これで遺伝子調整をしていない天然というのだから驚く。
「ルーク。どうしたんですか?」
問うと、ルークは鼻を指で掻いた。照れる時の彼の癖で、よく似合っていると思った。
「休憩中だって聞いてね」
フェリシティは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「私はいつも暇です」
「結局、この船に私の居場所はないんです。法務官なんて、法的な手続きが必要な時だけで、そんな機会なんてほとんどないのに」
船内公園の長椅子で、熱いコーヒーをすすりながらフェリシティは心情を吐露していた。
公園といっても歩き回れるような大きさではないが、効果的に植物が配置されており、天井から注ぐ人工の太陽光によって開放的な空間が作り出されている。
「私の部屋、船長室より広いんですよ? それは客室を改装したからだって。船員室にも空きはあるのに嫌味だと思いませんか」
「星系連合の人間を、あんな犬小屋に押し込めるわけにはいかないさ」
ルークは冷たい果汁を手に船長を擁護するが、フェリシティはため息で返した。
「何度も言いますけど、私の所属は星系連合福祉協力機構、通称福協。星系連合体の下部組織です」
「似たようなものだろ、俺たち一般人からすれば。どっちにしろ一緒に働くことなんて生涯にそうあるものじゃない」
「だからと言ってお客様扱いはあんまりです。この制服だって、どうしても特権的に見られてしまう」
「俺はかっこいいと思うけどね。よく似合ってる」
「……そうですか?」 少し伏し目がちになって返す。「私は偉そうで嫌です」
「実際偉いだろう」 ルークは肩を揺らして笑う。「この船で帯銃を許されているのはあんただけなんだ」
「銃はもっと嫌いです」
思わず大きな声になってしまった。ルークは少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔に戻る。
「なぁ、そう特権を嫌うことないんじゃないか? そんなに畏まって考えなくても、ちょっと得している、ぐらいに思えばいい。それをとやかく言う人間なんて無視しちまえばいいんだ。銃だってそうだろ? 持っていて勝手に人を撃つわけじゃない。ちょっと体重が増えるだけのアクセサリーだよ。俺だったら食堂の席を確保するぐらいには使うけど。いつも混んでるからさ」
ぽんぽんと小気味よく慰めの言葉をかけられて、フェリシティは思わず笑った。
「ありがとう、ルーク。いつも愚痴に付き合ってくれて」
思わず礼を言われ、ルークは鼻の頭を掻いた。
「お安いご用だ。でも、今日からは俺も忙しい。そうそう付き合えなくなるな」
「アンカーの展開作業ですか?」
「いや、アンカーは簡単だよ。今日中にでも設置出来ると思う。問題はダイビングの方だ。あれは機関部に負荷がかかるから綿密にチェックしておかないと。海で航行不能なんてシャレにもならない」
専門的な話になり、フェリシティは頭の中の辞書を引いた。
並列次元空間を利用して物質の四次元的な移動を行うと、通常空間の物質に対し並列次元空間が波のように歪むことから、超次元航行を通称ダイビングと言う。
通常ならばこの空間の歪みに物質は耐え切れず圧潰するが、地点同士をアンカーでつなげることによりトンネル状の不干渉帯が発生し、安全な航行が可能となる。
つまり、通常空間を旅して来た五年の長旅は、並列次元空間を通ることによって大幅に短縮される。具体的には――
「……二四秒なんてあっという間じゃないですか」
「それが素人の考えさ」
ルークは威張るように胸を張る。
「ダイビングは突入時が一番危ないんだ。海での事故の九十七パーセントは入り口で起こるからな」
「それじゃあ仕方ありませんね。私の愚痴で船を潰すわけにはいかないですし」
ルークは笑って果汁を飲み干すと、空いたコップをクシャリと潰し立ち上がる。
「今度、一杯やろう。飲めるんだろ?」
軽く聞かれて思わずフェリシティは頷いた。
「じゃあ約束だ。それまでに愚痴を貯めこんで置くといい」
そういってクルリと背を向ける。後ろ姿を見送りながらフェリシティはぼんやりと考えていた。
お酒を二人で飲むのと、公園でコーヒーを飲むのではまるで意味合いが違う。ルークはその認識があって自分を誘ったのだろうか?
どちらにしろ悪い気はしなかった。少なくともこの船で話を聞いてくれるのは彼だけなのだから。
コーヒーを飲み干し立ち上がると、花壇の奥から三人の女性船員が現れ、こちらに歩いてくる。
その様子が尋常ではなかった。先頭の赤い髪の女性の腕を残りの二人が引っ張っている。だが、赤い髪の女性は目尻を上げて突き進んでいる。
やがて後ろの二人が諦めたかのように手を放し、赤い髪の女性が目の前までやってきた。いかにも男受けしそうなタレ目が、怒りに爛々と輝いている。
「どういうつもりですか? 法務官」
質問の意味がわからずフェリシティは返事に窮する。
「星系連合職員の立場なら、なんでも許されるとお思いですか?」
あまりに挑戦的な言葉だった。困惑しながら返事を絞りだす。
「……仰る意味が、わかりません」
「職務怠慢」
女性が吐き捨てるように言う。
「用事もないのに船橋に現れては居眠り。その次はラウンジで男漁り。貴方はこの船に何をしに来たのですか?」
フェリシティは全身の血の気が引くのを感じた。
――誤解だ。
法務官の椅子は船橋にある。だが、仕事がないのだ。通常航行に法の手続きは必要ない。
「い、居眠りは申し訳ありません。しかし、凍結睡眠障害が……」
「本当にそうなんですか?」
「……え?」
女性船員の口元が、冷ややかに歪められた。
「私は幼いころから交易船で暮らしました。沢山の凍結睡眠障害患者を見ています。でも、貴方のように一周間も続いた人なんか、みたことありません」
フェリシティは反論出来た。頭の中のデータから、非常に稀ながら障害が一週間を越えて現れた例をいくつも述べることが出来る。だが、女性の剣幕に押されて上手く言葉が出ない。それに、頭から疑ってかかる人間を説得する自信がなかった。
「法務官殿には余暇の小旅行かも知れませんが、私たちにはこの船がすべてです。馬鹿にしないで頂きたい」
「ば、馬鹿になんか……」
していない。フェリシティは彼女なりに船への敬意も持って、仕事がなくても船橋に行くことにしていた。彼女は自分の行動を自分で決める裁量が認められており、毎日自室で寝ていても許される。だが、もしかしたらなにか出来ることがあるかも知れない。そう考えて自分の椅子に座っていた。
それをここまで曲解されてしまっては、手のつけようがなかった。どうすれば良いのかわからず、立ちすくむしかない。
赤髪の女性はそれで満足したのか踵を返した。
「それと、ルークはこの船で生きる人間です。あなたには似合わない」
肩越しに吐き捨てると、仲間に付き添われ去っていった。
フェリシティは空のコップを握りしめたまま、ようやく彼女の言いたいことが理解出来た。
男を盗るな。
そう言いたかったのだ。




