act13 罪と勇気
朝、木製の扉をくぐると、懐かしい匂いがした。紙とインク、それは知識の香りだった。
部屋を囲む本棚に、所狭しと並べられた色とりどりの背表紙。
デジタル保存が当たり前の現代社会では、紙の本はめったに見かけない。だが、愛好者は根強く存在しており、フェリシティの父もその一人だった。自分の書斎に本を集めていて、よくフェリシティも読ませてもらった。
カウンターには若い男が座っており、こちらを胡散臭げな目で見ている。フードを下ろしたローブ姿なのだから当たり前だと思うし、その対応にはもう慣れていた。
狭い店だが、本の数は多い。もっぱらが小説や旅行記、料理の本などが占めている。参考書の棚を調べたが、目当ての本は見つからない。
カウンターの前まで行き、「法律書と法制言語の辞書はありますか?」 と聞いた。店員の目がさらに疑惑の色を強めた。
「あんたが読むのかい?」
「いえ」 フェリシティは首を振って否定した。「”オリベイラの野菜”のマリサ・オリベイラの使いで来ました」
「フードを取りな」
店員の言葉に、フェリシティはフードをはぐった。店員が目を見開いた。今日のフェリシティは、いつものただ後ろで縛っただけの髪型ではない。マリサの整髪料をこっそり使い、丁寧にクシを入れて前髪を真ん中でわけている。
店員は頷くとカウンターの下から本を二冊取り出してカウンターに置いた。
――やっぱり隠していた。
フェリシティは内心で微笑んだ。
疑問に思っていた。なぜ契約書が公用語で書かれていないのか。答えは簡単だった。隠すためだ。
支配者たちが自らの地位を守るために、弱者たちから法律の加護を奪い取るために、知識は秘匿される。
そのため、フェリシティは身なりを整えた。支配者側の顔をするために。
効果は大きかった。店員は頭を下げていった。
「すまないな。最初浮浪者が入って来たかと思っちまったんだ。でも、その顔じゃ隠したくもなるのもわかるぜ」
フェリシティは恥ずかしげに微笑んで、本の代金を支払った。彼女が配達時に、まれに客から貰う駄賃と、サミールがどうやってか貯めたお金。それは合計しても大した額にならなかったが、本を買うのには十分だった。
「”オリベイラの野菜”だったな」
店員が紙袋に本を詰めながらいった。
「あんたが居るなら、今度からそこで買うよ」
「お待ちしてます」
フェリシティはにこやかに頭を下げると踵を返し、フードを上げて店を出た。
――手に入った。
大きなため息が漏れた。本はずっしりと重い。その重みがまた頼もしかった。
早く読みたい。逸る気持ちを抑えて足早に大通りを進んでいると、例の掲示板の前に来た。
相変わらず、老人が木箱を前に置いて座っている。まるで自然の岩のように、身動き一つせずただ座っている。
いつもなら見ないように努めるフェリシティだったが、今日はなぜかその姿から目が離せなかった。
ローブの中でポケットを探った。まだお金は少し残っている。サミールに返す分を差し引いても、三ドルと七五セント。
フェリシティは老人の前に立って、木箱にお金を入れた。老人がゆっくりとこちらを見上げた。フードの中から目が合った。
「ありがとう……、お嬢さん」
深々と頭を下げられ、フェリシティは自分が傲慢なことをしている気になり、居たたまれなさを感じた。
「この辺の人間じゃないね」
みんな同じことを言うんだなと思った。やはり目立つのだろう。
「はい。とても遠い所です」
そう返すと、老人は白い髭の下でしわを寄せて笑った。
「そうだろう。多分、とても遠いところだな。この世界よりももっと」
フェリシティは驚いた。まさか、自分が違う星の人間だと言っているのかと思った。
「もっと、人が人らしい場所だ。もうこの星にそんな人間は居ないと思ったんだが、残っておったんだな……」
どうやら、物質的な距離ではなく精神のことを言っているらしい。ほっとした反面、少し気落ちした。
「この前を、な。お嬢さん」 老人は白濁した目を通りに向けた。「毎日色んな人間が通る。みな、わしを見て不愉快になるようだ。目などもうほとんど見えんのに、なぜかわかるのよ。まあ、風呂など入っていないから、そりゃ汚いがね。だか……」
自嘲すると、通りを行く人々を指さした。一人の主婦がこちらを不思議そうに眺め、足早に去っていく。
「中には、居るのよ。哀れみを持ってくれる人間が、ね。だが、だれも施そうとは思わなんだ。毎日、目をそらしては去っていく。お嬢さんもそうだったな」
老人はフェリシティを覚えていたらしい。少し驚きつつ謝罪した。
「すみません……。その、どうしても勇気がなくて」
「勇気!」
突然老人が目を開いて大声をいった。とたんに咳き込み、苦しげにうめいた。
「だ、大丈夫ですか? おじいさん」
「いや……」 ゼイゼイと息をつくと、手で目頭を押さえた。
「勇気なんて言葉を聞くのはいつぶりだろうなぁ。その通りだお嬢さん、勇気こそが人の高潔さだ。人は、選択に直面した時、勇気が必要になる。お嬢さんは今日、施しを与える勇気をみせた。ああ……、最後に良いものを見た」
再び咳き込む老人は、木箱からお金を取り出し、拝むように掲げると大切そうに懐にしまった。
「もしかして、具合が悪いのですか?」
「もうすぐ死ぬだろうな」
老人は笑って答えた。だが、悲しげな目は冗談ではないと告げている。
「あの、だれか身寄りはないんですか?」
「身寄りではないがね、わしの所有者なら居たよ」
「所有者?」
聞き返すと、老人は「失礼するよ」 と呟いて背を向け服をはぐった。背中に大きな火傷の痕があった。それは、明らかに模様だった。昨日の市場で見たミッチェルの使用人とよく似ていた。あまりの痛々しさにフェリシティは目を逸らした。
「すまんな、こんなものを見せてしまって。これでわかっただろう?」
「わ、わかりません」 フェリシティは震える声でいった。
「知らないのかね。これは、奴隷の烙印だよ」
「奴隷……」 信じがたい様子で聞き返した。「奴隷制度があるんですか!?」
「本当に知らんのか」
フェリシティは首肯した。
「奴隷と言っても、一種の刑罰だがね。罪を犯したものは、場合によって被害者の奴隷にさせられることがある。そうなるともう人間の扱いはして貰えん。もし奴隷を殺しても、主人には罪がない。そういう罰だ」
とても実感のわかない言葉だった。奴隷など、現代では物語の中でも禁忌とされる概念だ。それが実在するとは、実際に刻印とやらを見せてもらっても信じられなかった。
「わしは昔な、大工をやっておったのよ。この町の壁を修繕するのが仕事だった。だがなぁ、つい魔が差したんだろうな、盗みを働いた」
フェリシティは黙って聞いていた。
「なぜそんなことを、と思うだろう? 多分、退屈だったんだろうな……。この壁の中は平和で、……そりゃ犯罪はあるがね、無意味に死ぬことはない。その分、なにもないのよ。平和で、平和で、それが嫌になった。わかるかい? お嬢さん」
フェリシティは首を横に振った。わかる、気もする。だが、根本的な部分では理解出来なかった。退屈だから盗みを働いた。それはフェリシティの常識にないとこだった。
「それで、刻印を?」
フェリシティの問いに老人はため息混じりに頷いた。
「盗んだのは金でな、一〇万はあったかなぁ。だが、あっさり捕まって裁判にかけられた。その日に刑は執行され、わしは人で無くなった。それ以来、もう三〇年になるかのう、奴隷として働いたよ。最初は何度も死のうとおもったがね、踏ん切りがつかないうちに、なにも感じなくなった。辛いも、嬉しいも。思ったもんだ、人間という生き物はしぶといものだとね」
老人は笑った。乾いた笑いだった。人は、安心すると笑うという。
「やがて、病気になった。治せん病気だよ。そしたら、捨てられた。わしは人生の最後になって、ようやく自由を得た。皮肉だが、幸せかも知れんなぁ」
フェリシティの目から涙が溢れていた。知らず知らずに泣いていた。
「わしのために泣くかい、お嬢さん」
老人の乾いた瞳も潤んだ。
「あなたは素晴らしい人間だ。お金を貰ったから言うんじゃない。みな、お嬢さんのように……」
そこでまた咳き込んだ。フェリシティは背中をさすってあげた。乾いて、小さな背中だった。
「ありがとう、ありがとう」
何度も頭を下げながら立ち上がろうとするので、フェリシティは手を貸した。
「久しぶりに栄養のあるものでも買って、眠るとしよう。本当にありがとう。お嬢さんに幸あれ」
そう言い残して、老人は片足を引きずって歩いて行った。足も悪いのならば着いて行こうかと思ったが、もう時間があまりない。
老人の名前を聞くのを忘れていた。今度お金が入ったらまた来てみようと思った。
家の扉をくぐると、フェリシティはフードの中で青ざめた。
マリサが帰ってきている。
まだ昼には早い。いつもはこの時間、店にいるはずだった。それがどういうわけか食卓に座り茶を飲んでいる。
こちらを認めると、相変わらず不機嫌そうにいった。
「どこにいってたんだい?」
明らかな疑心を含む言葉に、フェリシティは震える声を抑えて言った。
「……ちょっと、買い物に出ていました」
「なにを買ってきたんだい?」
マリサが憤然と立ち上がった。視線は、フェリシティの手に持つ紙袋に注がれている。
「それを寄こしな。わたしに見せるんだ」
拒否は出来なかった。フェリシティはずっしりと重い紙袋を手渡した。
マリサは袋をテーブルに置くと口を広げて覗き込んだ。
「なんだい、これは……」
不思議そうに中へ手を突っ込み、物を取り出した。
それは、花瓶だった。
粘土の表面に白い塗料を塗っただけのシンブルな焼き物。
「おれが頼んだんだよ、オババ」
廊下からサミールが現れて言った。
前の花瓶を割ったのはマリサ自身だった。彼女はばつが悪そうに舌打ちすると、話を変えた。
「店番はどうしたんだい、サミール」
「ウィンゼール亭の旦那がオババを呼べって。でかい注文らしい」
「わかったよ」
マリサは立ち上がると、フェリシティにいった。
「今日、またセッターが来たら叩き出すんだよ。必ず来るからね」
家を出て行く二人を見送ると、フェリシティは大急ぎで自分のベッドの下に本の入った紙袋を隠し、井戸で頭の整髪料を落とした。
――危なかった。
ついでに買ってきた花瓶が思わぬ役に立った。また、サミールのサポートにも助けられた。もし、フェリシティがフードをかぶっままなのを疑問に思われていたら。整髪料を使ったことに気付かれ、そうなれば、疑いは増してローブに隠した本も見つかっていたはずだ。緊張の汗を袖で拭うと、昼食の用意をするために台所に向かった。
用意と言っても、フェリシティは料理が苦手だった。焼いたり炒めたりといった簡単なものしか作れない。だが、そもそもマリサがお決まりの食材しか与えてくれないので、いつも同じものになるのは仕方なかった。
鉄のボウルにモロコシの粉末を入れてヤギの乳を混ぜて練る。潰した香草と野菜を挟んで焼く。それだけの簡単な料理だが、意外と美味しい。これならマリサも文句を言わない。
ただし、フェリシティとサミールは食べることが出来ない。なぜなら、二人の使って良い食材は定められており、香草とヤギの乳は禁止されている。粉末には水を、香草はなく野菜は少量。
マリサの分を皿に取り分けてリビングへ運び食卓に並べる。フェリシティとサミールはマリサの後で食べなければいけないが、これは苦痛ではなかった。彼女としても、終始不機嫌な顔と同じ食卓を囲むのは心底嫌だった。
料理に埃避けの布を被せると、どこからか物音が聞こえた。
廊下の奥。いまこの家にはフェリシティしか居ないはずだった。そっと、足音を忍ばせて音を辿った。
マリサの部屋の扉が開いている。中からぶつぶつと声が聞こえた。
「くそっ、やっぱり置いてねぇか……。銀行……、だけどなぁ……」
セッターが、横長なキャビネットの前に座り込み、引き出しの中を漁りながら独語していた。フェリシティに気づくと一瞬顔に焦りを浮かべたが、すぐに安堵した。
「なんだ、お前か。驚かせるなよ」
「権利書はないですよ」
そういうと、セッターは苦笑した。
「そうだよなぁ、お前らはここで暮らしてるんだ。探すに決まってるよなぁ」
立ち上がって腰を伸ばした。若いように見えるが、マリサの息子なのだから二〇代ということはないだろう。中年じみた仕草だった。そんな男が、自分の母親の部屋を漁っていたのだと考えると無性に腹が立った。
「そういや」 セッターは世間話でもするようにいった。「机の花瓶が前のと変ってるな。どうしてだ?」
「昨日、マリサが割ったんです。さっき買ってきました」
「そうか」 少し寂しげな表情を浮かべた。「あれは昔、オレが買ってやったやつだ。あのババア、本当にオレが憎いらしい」
自業自得だ。そう思ったが黙っていた。
「あんた、この暮らしが嫌なんだよな?」
突然そんなことを聞かれ、フェリシティは表情に戸惑いを浮かべた。
「前にお答えしたはずです」
またからかうつもりなのだろうかと思いながら返す。
「そうツンケンするな。ちょっとからかっただけじゃねーか」
ごまかすように笑うと立ち上がってフェリシティに歩み寄り、腕を掴んで引き寄せ、耳元で囁いた。
「自由になりたくないか?」
フェリシティは心のなかで身構えた。自由。その言葉の中に危険な匂いを感じ取った。セッターは小声で続ける。
「オレは店の権利書のありかを知っている」
「……だから、なんですか?」
冷静に返したつもりだった。だが、一瞬で口の中で乾いた。
「オレに協力しろ。お前を開放してやる」
フェリシティは唾を飲み込んだ。突然の提案。甘い響き。
「放して下さい」
セッターの手を解き、一歩下がった。頭は警戒の一色に染まっている。
「知っているなら、ここでなにをしているんですか。矛盾しています」
「もしかしたらと思ったのさ。だが、おかげで確信した。契約書のありかは一つしかない」
「なら、自分で手に入れればいいでしょう」
「それが出来ない。多分、お前にしか出来ないことだ」
要領を得ない説明だった。どちらにしろ、この男に協力するつもりは毛頭ない。
「お断りします」
きっぱりと断った。
セッターは無言で立っている。気まずい沈黙が流れた。
その時、廊下を歩く音が聞こえた。セッターの顔色が変った。だが、逃げ場はない。
現れたのはマリサだった。昼食に戻ってきたのだろう。彼女は部屋の状況を見て、事態を把握したらしい。
「こそ泥だよフェリシティ。警察を呼びな」
「おいおい、まてよ。オレはババ……、母ちゃんに会いに来たんだぜ」
「お前の母親は机の引き出しに住んでいるのかい」
マリサの体が怒りにぶるぶると震えている。セッターはなんとか言い訳を考えていたようだが、やがて肩を落として諦めた。もっとも、この状況で出来る言い訳など存在しないとフェリシティは思った。
「なぁ、ババア。いい加減、店を寄こせよ。もう歳なんだ。オレに任せろって」
「お前にやるぐらいなら犬に食わせてやる。どうせ店を継ぐつもりなんかないんだろう」
「金が必要なんだよ」
セッターは急に態度を変えた。懇願するようにマリサに擦り寄る。
「遊ぶ金じゃねぇ。働く金だ。バッドシャーロットで干ばつが続いて野菜が高騰してる。運べば必ず儲かるんだよ。母ちゃんも商売人だったらわかるだろ?」
マリサは鼻で笑い飛ばした。
「前はウィーザーで砂嵐、その前はスリップノットで洪水。どこかでなにかが起こるたびにお前に金を渡してやったよ。それで一度だって返ってきたことがあるかい!」
「今回は本当なんだ。なぁ、母ちゃん頼むよ。二万でいいんだ」
「二万!? ”二万でいいんだ”だって!?」
マリサは吠えると廊下の奥に引込み、すぐに戻ってきた。手には、包丁が握られている。フェリシティは驚いて部屋の隅に逃げた。
「ちょ、おい、マジかよ」
部屋の真ん中で立ちすくむセッターの前に包丁がつきつけられた。
「金を稼ぐ苦労も知らない大馬鹿が! 掘れば金が出てくると思っているのかい!」
「ふざけんなバカヤロウ! てめえの息子を殺すのかよ!」
「死ね! おまえのような穀潰しは死んでしまえ!」
マリサが包丁を振りかぶった。セッターが慌てて避けると、目標を失った老体が足をもつらせたのか床に倒れた。受け身もとらずに体を丸めて転がった。包丁がフェリシティの足元に転がってきた。
「お、おい、大丈夫か母ちゃん……」
セッターが歩み寄ると、マリサは俯いて肩を震わせていた。
「どうして、どうしてそんな風になっちまったんだい……」
声で、泣いているのだとわかった。
「あんなに働き者だったじゃないか……。それが、トレーダーなんて馬鹿な夢をみて。大馬鹿野郎だよお前は!」
マリサはよろよろと立ち上がった。悲壮な姿を見て、フェリシティは歩み寄ろうと一歩前に出た。
「来るんじゃないよ!」 マリサは両手を振り回して喚く。「みんな店が欲しいんだろ! 渡さないよ! 出て行け! わたしの部屋から出て行け!」
そういうとまた顔を覆って泣き始めた。手がつけられないと思った。
そして、マリサにこんな一面があることに驚いていた。血も涙もない生き物だと思っていた。
セッターが目で合図を送ってきて、二人は部屋を出た。
気まずい空気が流れた。セッターは頭を掻いて、小声で言った。
「権利書の件、考えておいてくれ」
「まだ、そんなこと言ってるんですか?」
フェリシティは厳しい口調で返すと、セッターは不貞腐れたようにいう。
「お前、同情してんのか? だったらやめとけ。あいつは同情されて優しくなるような女じゃねえ」
「だからと言って、あなたに協力するつもりはありません」
セッターは苦笑を漏らした。まるでわかってない。そんな風に首を振った。
「まぁ、いいさ。そのうち、……近いうちに気が変わるさ。また来る」
廊下を渡っていく背中を見て、フェリシティは奥歯を噛んだ。最低な男だと思った。
だが後日、セッターの言葉が本当だと知った。




