竜王国へ
馬車の窓から見える景色は、日を追うごとに様変わりしていった。
見慣れた人間の国の田園風景は、二日目には深い森へと変わり、三日目には切り立った岩山の合間を縫うような街道になっていた。護衛として付いてきた竜人国の騎士たちは、険しい道も慣れた様子で馬を進めていく。
「国境を越えます」
案内役の女性――名をリセルと名乗った、竜人国の文官が告げた。彼女は人間にも竜人にも見える、不思議な佇まいをしていた。
国境の門をくぐった瞬間、空気が変わったのを感じた。
「……すごい」
思わず声が漏れる。目の前に広がっていたのは、これまで見たことのない光景だった。空に浮かぶ島々。その間を、翼を持つ竜人たちが自在に飛び交っている。地上には、人間の建築とは異なる、優美な曲線を描いた建物が立ち並んでいた。
「竜人国へようこそ、カイン様」
リセルが微笑む。俺はただ、窓に張り付くようにして外の景色を眺め続けた。
「あちらに見えますのが、王都イグドラです。竜王陛下の御座す都にございます」
指し示された方角には、雲を突き抜けるようにそびえる城が見えた。人間の城とは比較にならない規模で、その威容だけで、竜王という存在の格の違いを思い知らされる。
「大きいな……」
素直な感想が口をついて出た。リセルはくすりと笑った。
「初めていらした方は、皆様そうおっしゃいます」
馬車は緩やかに速度を落としながら、城下町へと入っていく。行き交う人々の姿は多様だった。人間もいれば、獣の耳や尻尾を持つ獣人もいる。翼や角を持つ竜人の姿も少なくない。それぞれが当たり前のように隣り合って暮らしている様子に、俺は素直に驚いていた。
「この国では、種族による差別はないのですか」
「もちろん、無いとは申しません。ですが竜王陛下の治世下では、種族を理由にした不当な扱いは厳しく禁じられております」
その言葉に、俺はわずかに安堵した。少なくとも、この国を統べる者が、公正さを重んじる姿勢を持っているらしいことは分かる。
道中、リセルは竜人国の風習についても丁寧に教えてくれた。挨拶の作法、食事の礼儀、竜王への謁見の際の振る舞い。覚えることは多かったが、不思議と苦にはならなかった。
「カイン様は、覚えが早くていらっしゃいますね」
「必要なことですから」
そう答えながら、俺は自分の胸の内にある感情を、そっと確かめていた。
前世で、誰にも打ち明けられなかった想い。好きになった相手にすら、その気持ちを伝えることができなかった臆病な日々。今世では、手の甲の紋様がすべてを物語ってくれる。隠す必要も、言い訳をする必要もない。
竜王という存在がどんな人物であれ、少なくとも自分の想いを堂々と向けられる相手がいる――それだけで、前世の自分から見れば、信じられないほどの前進だった。
「もうすぐ王城に到着いたします」
リセルの声に、俺は窓の外へと視線を戻した。城門が、ゆっくりと近づいてくる。守衛らしき竜人たちが、恭しく頭を下げるのが見えた。
胸の奥で、期待と緊張がせめぎ合っている。
――どんな人なんだろう。
竜王という言葉の響きに見合う、威厳のある人物を想像する。同時に、優しい人であってほしい、という願いも密かに抱いていた。
馬車が完全に停止した。扉が外から開かれる。
「カイン様、こちらへ」
差し出された手を借りて、俺は馬車を降りた。石畳の上に立ち、見上げた王城の壮麗さに、思わず息を呑む。
これから始まる新しい人生への、期待と不安。その両方を抱えたまま、俺は王城の門をくぐった。




