竜人国からの使者
馬の蹄の音は、思っていたより早く屋敷の前で止まった。
窓の外を見ると、松明の明かりに照らされた一団が門の前に整列していた。人間の騎士とは明らかに違う、鱗のような光沢を帯びた鎧を纏った者たちだった。
「坊ちゃま、伯爵様がお呼びです」
寝間着のまま慌てて応接間に向かうと、父は既に正装に着替え終えていた。隣には、寝巻きの上から慌ただしく上着を羽織った兄の姿もある。母は落ち着かない様子で、何度も髪を整え直している。
「竜人国の使者が、正式な書状を携えて参られた」
父の声は震えていた。恐怖ではなく、興奮によるものだと分かった。田舎の伯爵家にとって、竜人国からの使者など、生涯に一度あるかどうかの出来事なのだから。
応接間に通された使者は、長身の男だった。額に小さな鱗の痕があり、瞳は爬虫類のように縦に長い瞳孔をしている。人間とは明らかに違う気配を纏いながらも、その所作は驚くほど丁重だった。
「オルドウィン伯爵家、御子息カイン殿とお見受けする」
「は、はい」
「先日、竜王陛下のつがいの紋が現れたとのこと。当方にて確認させていただきたい」
促されるまま、俺は右手を差し出した。使者は目を細め、紋様をじっと見つめた後、静かに頭を垂れた。
「間違いございません。カイン殿は、竜王陛下の運命のつがいにあらせられます」
その瞬間、父が息を呑む音が聞こえた。母は口元を押さえ、目に涙を浮かべている。
「なんという、名誉なことか……」
父のつぶやきには、隠しきれない打算が滲んでいた。竜王のつがいを輩出した家門。それがこの先、伯爵家にもたらすであろう地位と利益を、既に計算し始めているのが分かった。
俺自身はというと、実感が湧かないまま、ただその場に立ち尽くしていた。
「輿入れの準備は、竜人国側にて整えさせていただきます。半月後には、お迎えに上がる予定にございます」
半月後。あまりにも急な話に、頭がついていかない。
「あの、質問してもよろしいでしょうか」
「なんなりと」
「竜王陛下は、どのようなお方なのでしょうか」
使者は一瞬、答えに迷うような間を置いた。
「聡明で、公正なお方にございます。歴代の竜王の中でも、特に民を思う心の篤い方かと」
答えとしては模範的すぎて、かえって人となりが見えてこない。それでも、俺の中に小さな期待が芽生え始めていた。
その日から、屋敷は目まぐるしく動き始めた。輿入れのための衣装が仕立てられ、竜人国の作法を教える教師が呼ばれ、贈答品の目録が連日作成された。
慌ただしい準備の合間、俺はふと、自室の窓辺で夜空を見上げることが増えた。
――一人だけを好きになりたい。
あの夜会で口にしてしまった願いが、こんな形で試されることになるとは思わなかった。運命のつがい、という言葉の重さは、まだ実感として掴めない。けれど、もしこの世界に本当に「運命」というものがあるのなら。
一人だけを、選んでもらえるかもしれない。
そう考えるだけで、胸の奥が微かに温かくなる。前世で誰にも言えなかった願いを、今度は隠さなくていい。手の甲の紋様は、誰の目から見ても明らかな、絆の証なのだから。
「カイン様、こちらの衣装の丈をお確かめください」
侍女の声に、俺は物思いから引き戻された。鏡の前に立つと、見慣れない豪奢な衣装を纏った自分が映っている。
――これから、俺はどんな場所へ向かうのだろう。
不安がないと言えば嘘になる。それでも、淡い期待が、不安をわずかに上回っていた。
出立の朝、屋敷の門の前には見送りの使用人たちが並んでいた。兄は複雑な表情を浮かべながらも、「達者でな」とだけ声をかけてくれた。
馬車に乗り込む直前、俺は自分の右手をもう一度見つめた。金色の紋様は、朝の光を受けてかすかに輝いている。
これが、俺の運命なのだとしたら。
覚悟を決めるように、俺は小さく息を吐いた。馬車の扉が閉まり、車輪が動き出す。生まれ育った屋敷が、少しずつ遠ざかっていった。




