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竜王の求婚は本能でした ―手の甲の紋様より、あなたの「好き」が欲しかった―  作者: チュチュ


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わがまま


シャンデリアの光が、磨き上げられた大理石の床に何重にも反射していた。オルドウィン伯爵家の次男として、俺はこの手の夜会に数えきれないほど出席してきた。


だが、慣れることは一度もなかった。


「カイン殿。そろそろ身を固める頃合いではないかな」


声をかけてきたのは、隣接する領地を治める子爵だった。杯を片手に、にこやかな笑みを浮かべている。俺は形だけの微笑みを返した。


「まだ十九ですので。急ぐ理由もありません」


「何を言う。うちの娘とは家格も釣り合う。悪い話ではないだろう」


婚約の話は、これで何度目だろうか。相手が誰であれ、内容はいつも同じだった。家と家の釣り合い、領地の広さ、跡継ぎの有無。そこに「好きかどうか」という項目は、最初から存在しない。


「貴族なら愛のない結婚くらい普通でしょう」


隣で聞いていた別の令息が、笑いながら会話に割り込んできた。悪気はないのだろう。この世界では、それが当然の常識なのだから。


「何をためらうんですか。愛人なら、外で作ればいいんですよ」


追い打ちをかけるように、さらに別の一人が軽い調子で言う。周囲がどっと沸いた。誰も悪意で言っているわけではない。むしろこの場では、気の利いた助言のつもりなのだ。


俺は曖昧に頷きながら、内心でだけ、はっきりと思った。


――俺は嫌だな。結婚するなら、一人だけを好きになりたい。


前世の記憶が、こんな時にふと蘇る。転生したところで、特別な力に目覚めたわけでもなかった。ただ、前世で培った結婚観だけは、今世になっても変わらず俺の中に居座り続けていた。


ゲイだった自分が女性と結婚できるかどうか、という話ではない。愛のない結婚を当然のように求められること自体が、たまらなく虚しかった。誰かと生涯を共にするというなら、せめてその相手を、自分の意思で好きになりたい。


けれどその考えを、うっかり口に出してしまった。


「一人だけを、好きに……?」


子爵が目を丸くする。周囲の令息たちも顔を見合わせ、やがてどっと笑い声が上がった。


「随分夢見がちだな、カイン殿は」


「本で読む恋物語の見過ぎではないか?」


悪意のない笑いだった。それがかえって、俺の胸にちくりと刺さる。誰も間違っているとは思っていない。間違っているのは、この願いを持つ俺の方だ――そう言われている気がした。


「失礼、少し風に当たってきます」


その場を離れ、バルコニーへ出る。夜風が火照った頬を撫でていった。星の少ない夜だった。屋敷の明かりが、庭の噴水にゆらゆらと映り込んでいる。


――別に、間違っているつもりはない。


そう思う自分と、周囲に馴染めない自分。その狭間で、俺はいつも立ち尽くしていた。


夜会が終わり、馬車に揺られて屋敷に戻ったのは日付が変わる少し前だった。玄関ホールに入ると、いつも通り出迎えの使用人が頭を下げた。


「お帰りなさいませ、坊ちゃま」


普段と変わらぬ声だった。労いの言葉を返そうとした、その瞬間だった。


右手の甲に、焼けるような熱を感じた。


「――っ」


思わず声が漏れる。見ると、手の甲の皮膚の下から、金色の光が滲み出るように浮かび上がってくる。光はすぐに形を持ち、複雑に絡み合った竜の紋様となって定着した。


美しい、と思う間もなく、鼓動が異様に速くなっていく。


「まさか……これは」


自分の手なのに、自分のものではないような感覚だった。熱はすでに引いていたが、金色の紋様だけが、皮膚に焼き付いたようにそこに残っている。脳裏をよぎったのは、幼い頃に読み聞かされた御伽噺だった。数百年に一度、竜王のもとに現れるという「運命のつがい」の証――たしか、そんな話だった。


まさか、自分に。信じがたい思いで紋様を見つめていると、使用人が数歩後ずさり、両手で口元を覆った。その顔は、恐怖というより、畏怖に近い表情をしていた。


「坊ちゃま……それは、竜王陛下の、つがいの紋にございますね」


震える声で、使用人はただそれを確かめるように言った。


その一言が、静まり返った玄関ホールに落ちた。


俺は、自分の手の甲を、ただ黙って見つめることしかできなかった。竜王――この大陸を統べ、各国の調整役を担うという、あの竜人国の王。御伽噺の中でしか聞いたことのない存在が、こうして自分の人生に踏み込んでくるとは、想像もしていなかった。


「陛下より正式な使者が遣わされるかと存じます。しばらくは、屋敷の外へ出られませぬよう」


使用人の声は、まだ動揺を隠しきれていなかった。俺は曖昧に頷くことしかできなかった。


自室に戻ってからも、頭の中は整理がつかないままだった。ただ、頭の片隅で、一つの考えだけが浮かんでは消えていった。


一人だけを好きになりたい、と願った、あの言葉。


もし本当に運命のつがいというものがあるのなら、その願いが、叶うのだろうか。


そこまで考えて、俺はすぐに首を振った。願いすぎるのは怖い。それでも、金色に光る紋様を見つめる指先は、隠しきれないほど震えていた。


屋敷の外では、遠くから馬の蹄の音が近づいてくる。まだ何も知らないその足音は、静かに、しかし確実に、俺の運命を変えようとしていた。

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