見守るという選択
――陛下視点
カインが城を去ってから、七日が経っていた。
私は執務室の窓から、遠くに広がる城下町を眺めていた。あの雑踏の中のどこかに、今もカインがいる。そう思うだけで、胸の奥が引き絞られるように痛んだ。
「陛下、隠密からの報告です」
側近の一人が、静かに書状を差し出してきた。目を通すと、カインが市場の食堂で働き始めたことが記されている。元気にしている、という一文に、私はようやく詰めていた息を吐いた。
「引き続き、見守れ。決して、姿を見せるな」
「畏まりました」
本能では、今すぐにでも駆けつけたかった。あの街まで飛んでいき、この腕で抱きしめてしまいたい。だが、そうすれば、カインの選んだ道を、私自身が踏みにじることになる。
「私を選んだことにはならない」
自分でそう告げた言葉を、私は何度も胸の中で繰り返していた。
執務の合間、私は改革の進捗をまとめた書類に目を通していた。周辺国との交渉は、思うようには進んでいない。慎重な態度を崩さない国もあれば、あからさまに反発する声を上げる大臣もいる。
「陛下、東方のガレス公国が、条約の草案に難色を示しております」
「理由は」
「側妃という形での縁組みがなくなれば、我が国との結びつきが弱まると懸念しているようです」
私は、しばらく考え込んだ後、口を開いた。
「ならば、婚姻に代わる、より強固な保証を示す必要がある。関税の優遇、軍事的な相互援助。あらゆる手立てを検討せよ」
「かしこまりました」
以前の私であれば、これほど根気強く、一つ一つの国と向き合うことはなかったかもしれない。運命のつがいという存在に、心のどこかで甘えていた部分があったのだと、今になって思う。
だが、カインという一人の人間と真剣に向き合おうとした時、私は初めて、国を統べるということの本当の重みを、自分の意思で引き受けようとしていた。
「リディア様が、お目にかかりたいとのことです」
その日の夕刻、そう告げられ、私はリディアの宮を訪れた。
「陛下、お忙しい中、ありがとうございます」
「いや。話とは」
「カイン様のことです。心配なさっているのでしょう?」
図星を突かれ、私は苦笑した。
「顔に出ていたか」
「ええ、分かりやすく」
リディアは、優雅な仕草で茶を差し出しながら、続けた。
「あの方は、強いお方です。きっと、ご自分の力で、答えを見つけられるでしょう」
「そうだといいが」
「陛下は、信じて待つことが、苦手でいらっしゃるようですね」
その指摘に、私は何も言い返せなかった。信じて待つ、という行為は、力で解決することに慣れた竜人の私にとって、これまで経験したことのない種類の忍耐だった。
「あの方が戻られた時、恥じない自分でいたいものです」
リディアの言葉に、私は静かに頷いた。
執務室に戻り、再び書類の山に向き合いながら、私はカインの言葉を思い出していた。
――誰かを犠牲にして一番になることじゃない。
その言葉の意味を、今の私は、以前よりも深く理解し始めている。国を変えること。誰も切り捨てないこと。それは、一人の男に恋をしただけでは、決して辿り着けない場所だった。
窓の外、夕陽が城下町を赤く染めていく。あの光の下のどこかにいる、カインの姿を思い浮かべながら、私は今夜も、静かにペンを取った。




