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竜王の求婚は本能でした ―手の甲の紋様より、あなたの「好き」が欲しかった―  作者: チュチュ


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11/30

それ、本能ですよね


その日は、朝から陛下の様子がおかしかった。


執務の合間を縫って俺の宮を訪れた陛下は、いつになく落ち着きがなく、視線もどこか彷徨っているように見えた。


「陛下、大丈夫ですか」


「ああ……いや、少し」


言葉を濁しながら、陛下は無意識のように俺の手を取った。触れた瞬間、明らかに肩の力が抜けるのが分かった。


「……すまない。今日は朝議で、隣国からの使者と厄介な話し合いがあってな。気が立っていた」


「それで、俺に触れると落ち着くと」


「そうだ。本当に、不思議なものだな」


陛下は、まるで褒め言葉のようにそう言って微笑んだ。だが俺の胸の中では、これまで積み重なってきた違和感が、限界に近いところまで膨らんでいた。


「陛下」


「なんだ」


「今、どうして俺の手を取ったんですか」


「それは……お前に触れれば、心が凪ぐからだ」


「その言葉、もう何度も聞きました」


俺の声が、思っていたより低く響いた。陛下は、俺の様子の変化に気づいたのか、わずかに眉を寄せた。


「どうした」


「陛下は、俺のことを、本当に好きだと思っているんですか」


「当然だ。お前は私のつがいだ」


「つがいだから、じゃなくてです」


俺は、自分の中に溜まっていたものを、堰を切ったように吐き出した。


「匂いで落ち着く。触れると魔力が安定する。離れると気が立つ。それって、俺を好きなんじゃなくて、身体が求めてるだけじゃないですか」


部屋の空気が、一瞬で凍りついたようだった。


陛下は、何かを言おうとして、口を開いた。だが、言葉が出てこなかった。その表情には、これまで見たことのない動揺が浮かんでいる。


「私は……」


「本能で落ち着くことと、誰かを愛することは、違うと思うんです」


俺は、震える声を抑えながら続けた。


「陛下が俺に優しくしてくれるのは、嬉しいです。でも、それが本当に俺という人間を見てのことなのか、それとも、ただ竜としての本能に従っているだけなのか、俺にはもう、区別がつかない」


陛下は、しばらく黙り込んでいた。長い沈黙だった。その沈黙の間、陛下の瞳の奥で、何かが激しく揺れ動いているのが分かった。


「……分からない」


ようやく絞り出された声は、これまで聞いたことのないほど弱々しいものだった。


「運命だとか、つがいだとか、そういうものは、生まれた時から当然のように説明されてきた。だから、疑ったことなど一度もなかった」


「陛下」


「私が今、お前に感じているものが、本能なのか、愛なのか……正直に言えば、その違いを、私は考えたことすらなかった」


その告白は、俺が予想していたどんな反論よりも、重く胸に響いた。悪意で誤魔化されるよりも、こうして真摯に己の無知を認められる方が、かえって苦しかった。


「陛下は、悪い人じゃないと思います。でも」


「でも、それだけでは、足りないと」


陛下が、静かにそう続けた。俺は、小さく頷くしかなかった。


陛下は、それ以上何も言わずに、ゆっくりと立ち上がった。その背中には、これまでにない重さが乗っているように見えた。


「少し、考えさせてくれ」


それだけ言い残し、陛下は部屋を出ていった。


一人残された俺は、自分が放った言葉の重さに、改めて震えていた。傷つけるつもりはなかった。ただ、これ以上、曖昧なまま流されたくなかった。


窓の外、夕暮れの光が部屋を赤く染めていく。俺はその光を見つめながら、自分が本当に望んでいたのは、陛下を問い詰めることではなく、ただ、本当の意味で見てほしかっただけなのだと、ようやく気づいていた。

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