竜王の本能
あの日以来、陛下は時折、俺の宮を訪れるようになった。
夜を共にするためではなく、ただ庭を眺めながら話をするためだけに。最初は戸惑ったが、次第にその時間が、俺にとっても心地よいものに変わっていった。
「今日は執務が立て込んでいてな。少しの間しか居られないが」
そう言いながらも、陛下は律儀に顔を見せに来てくれる。その日も、庭のベンチに並んで座り、他愛のない話を交わしていた。
「先ほどの評定会議で、陛下の御様子が少し落ち着かないご様子でした」
近くに控えていた侍従が、遠慮がちにそう漏らした。陛下は苦笑しながら答える。
「そうか。気づかれていたか」
「どうかなさったんですか」
俺が尋ねると、陛下は少し気まずそうな顔をした。
「いや……お前と会う前は、どうにも意識が散漫になる。理由は、自分でもよく分かっている」
「理由、ですか」
侍従が、代わりに答えるように口を挟んだ。
「陛下は、カイン様のお傍にいらっしゃると、魔力の流れが安定なさるのです。逆に離れている時間が長くなりますと、少々落ち着きをなくされることがございまして」
初めて聞く話だった。俺は思わず、隣に座る陛下の横顔を見つめた。
「そう、なのですか」
「つがいというのは、そういうものらしい。お前の匂いを感じているだけで、不思議と心が凪ぐ」
陛下は、まるで天気の話でもするかのように、あっさりとそう言った。だが、その言葉は俺の胸に、静かに、しかし確かな違和感を残していった。
その日の夕刻、陛下と共に庭を歩いていた時のことだった。ふと陛下が、俺の手にそっと自分の手を重ねてきた。触れた瞬間、陛下が小さく息をつくのが分かった。
「……どうかしましたか」
「いや。ただ、少し楽になった」
「楽に?」
「今日は朝から、体の奥がざわつくような感覚があった。お前に触れると、それが治まる」
その言葉に、俺はどう反応すればいいのか分からなくなった。愛おしさから触れたいと思われているのか、それとも、単に本能的な落ち着きを求めているだけなのか。その境界が、俺にはどうしても見分けがつかなかった。
「陛下は、俺に触れると、いつもそんな風に感じるんですか」
「そうだな。お前の傍にいると、竜としての本能が凪ぐ。長く離れていると、逆に苛立ちや焦燥のようなものが募る」
淡々と語られるその説明は、まるで自然現象を語るような客観性を持っていた。それが、かえって俺の中に、言葉にできない引っかかりを生んだ。
夜、自室に戻ってから、俺はその日聞いた言葉を何度も反芻していた。
匂いで落ち着く。触れると魔力が安定する。離れていると本能が乱れる。
それらはすべて、陛下自身の言葉で語られたことだった。悪意も誇張もない、ただの事実として。
だが、それを聞けば聞くほど、俺の中では一つの疑問が膨らんでいった。
陛下が俺に向けている優しさは、本当に俺という一人の人間に向けられたものなのだろうか。それとも、俺という存在が持つ「つがい」という役割に対して、体が勝手に反応しているだけなのだろうか。
鏡に映る自分の右手の紋様を見つめながら、俺はその問いに、まだ答えを出せずにいた。




