第二章:北の果て、魔境にて
「……うーん、想像以上に何もないわね」
王都を追放されてから三ヶ月。
ガタゴトと揺れる馬車から外を覗き込み、私は小さく息を吐いた。
私が追放先に選んだ「黒の平原」は、かつて魔王との戦争で汚染され、土地が痩せ衰えた不毛の地だ。作物は育たず、強力な魔獣が徘徊するため、王国の誰もが近づきたがらない「捨てられた土地」である。
だが、私にとっては格好の隠れ家だった。
公爵家を廃嫡されたとはいえ、長年蓄えてきた自分の手元資金(隠し財産)と、最低限の家具や道具は持ち出すことができた。
馬車が止まったのは、黒の平原の入り口近くにある、崩れかけた小さな館の前だった。
かつて国境を監視するための砦だった場所らしい。
「レティシア様……本当に、ここにお一人で残られるおつもりですか?」
私をここまで送ってくれた老御者が、涙ぐみながら尋ねてきた。公爵家に昔から仕えている親忠な御者だ。
「ええ。ありがとう、バルト。あなたも王都に戻ったら、私のことは忘れて公爵家に仕えなさい。お父様とお母様には『私は元気にやっていきます』とだけ伝えて」
「レティシア様……お可哀想に……」
バルトは涙を拭いながら、馬車を走らせて去っていった。
一人、荒野に佇む私。
風が吹き抜け、枯れ草がカラカラと音を立てて転がっていく。
普通なら絶望して泣き崩れる場面だろう。
だが、私は両手を腰に当て、深呼吸をした。
「さて! まずは掃除と、生活基盤の確保ね!」
腕まくりをする。
実は、私には前世の記憶とともに目覚めた「ある力」があった。
それは、乙女ゲームのステータス画面や魔法理論を応用した、規格外の【魔力操作】と【構造解析】の能力だ。
ゲーム内の「レティシア」は、実は潜在魔力量が作中トップクラスという設定だった。しかし、愚かな恋心と嫉妬のせいで魔法の修練を怠り、最終的に自滅する噛ませ犬に過ぎなかったのだ。
だが、前世で理系の大学を出てシステムエンジニアをやっていた私の頭脳と、この莫大な魔力が組み合わさったらどうなるか?
「まずは、このお屋敷の補修からね。……【構造解析】」
目の前の崩れかけた館に手をかざす。
脳内に館の構造、石材の劣化具合、木材の腐食度合いが立体データとして浮かび上がる。
「ふむふむ。基礎の石垣はしっかりしてるけど、柱の強度が足りないわね。土魔法で地盤を固めて、石材の結合を再構成……【錬成】!」
魔法陣が展開し、眩い光が館を包み込む。
ひび割れていた外壁が滑らかに修復され、腐っていた木材が真新しい頑丈な石柱へと置き換わっていく。ほんの数分で、崩れかけの砦は、重厚で美しい小さな城塞へと姿を変えた。
「よし! 次は水ね」
水脈を探す。地下数百メートルに、清らかな地下水脈を発見。
「【穿孔】、そして【揚水結界】!」
庭の真ん中に地面が爆発することもなく滑らかに穴が開き、美しい石造りの井戸が完成した。勢いよく冷たく澄んだ水が湧き出してくる。一口飲んでみる。甘くて美味しい。
「完璧! 家と水は確保したわ。次は食料だけど……」
その時だった。
『グルルル……ッ!』
背後から、地響きのような低音の唸り声が聞こえた。
振り返ると、そこには体長三メートルを超える巨体を持った黒い狼――この地域の害獣であり、最強の魔獣の一角「ブラックガルム」が三頭、赤く光る目で私を睨みつけていた。
鋭い牙からは涎が垂れている。完全に私を「餌」として認識しているようだ。
「あら」
私は溜息をついた。スローライフの邪魔をする奴は、害虫だろうが魔獣だろうが許さない。
「【解析】……ふむ、筋繊維と魔力循環の構造は単純ね。申し訳ないけれど、私の敷地内で暴れないでくれる?」
一番大きなブラックガルムが、疾風のような速さで私に飛びかかってきた。
私は避けることもせず、ただ静かに右手をかざし、パチンと指を鳴らした。
「【空間重圧】」
『グガッ!?』
飛びかかってきたブラックガルムが、まるで目に見えない巨大なハンマーで叩きつけられたように、地面に叩き伏せられた。みちみちと地面が沈み込み、クレーターができる。
残りの二頭は、その異常な光景に恐怖し、尾を巻いて逃げ出そうとした。
「逃がさないわよ。【氷結結界】」
一瞬で二頭の足元から氷が広がり、首から下をがっちりと凍りつかせた。
静寂が戻る。
私は叩きつけられた頭目のブラックガルムの前に歩み寄った。首筋に手を触れ、少しだけ私の魔力を注ぎ込む。
「降伏する? それとも、今日のお夕飯の肉になる?」
私の莫大かつ圧倒的な魔力の圧力を直接脳内に流し込まれたブラックガルムは、恐怖で全身を激しく震わせた。そして、キャンキャンと犬のような悲鳴を上げると、お腹を見せてゴロゴロと転がり、降伏のポーズをとった。
「よし、聞き分けが良い子は好きよ」
私は結界を解除してやった。三頭の魔獣は、まるで主人に従順な柴犬のように、耳を折って私の足元にすり寄ってきた。
「ふむ……毛並みはボサボサだけど、手入れすればモフモフになりそうね。よし、あなたたちをこの家の番犬に任命します。名前は……ポチ、タマ、シロね」
最強の魔獣たちが、新しくつけられた名前に満足そうに『ワーン!』と吠えた。
こうして、北の果てでの私の「快適な隠遁生活」が始まったのだった。




