第8話 逆転の筆跡
早朝の宮廷の大広間。
縦に非常に長く、百名以上の官吏が整列できる奥行きを持つ。
天井は高く、龍紋の梁が何本も連なる巨大な構造をしており、黒檀の床は、朝の光を受けて薄く光を放つ。
荘厳な重圧が満ちる御前会議の場に、光真帝は、三段高い床の通称・龍椅に座っており、その前方に百官と称される科挙に合格した役人や貴族たちが位階順に居並んでいた。
朝議が始まる。
「用のある者は出でよ、無ければ退出し御簾を巻く!」と司令監の号令が発せられる。
紫色の衣を纏った推す派の筆頭である崇文侯――彩霞の父が自ら「臣、これを以て奏上を奉る」と、上奏文の内容について報告を始めた。
卓上には「国の大祭を今すぐ中止すべきだ」と主張する推す派の上申書と、市中から回収されたあの不気味な詩の紙片が積み上げられている。
「陛下! 街の動揺は限界に達しております! この不吉な詩が示す通り、大祭を強行すれば天罰が下りましょう!」
崇文侯が悲痛な声で訴える。静蘭の父・鎮安侯は孤立無援の中で静かに目を閉じ、重い沈黙を守っていた。
「……お待ちください!」
凛とした声が大広間に響いた。
重い扉が開き、現れたのは青色の衣を纏った白静蘭。
そしてその隣には、静蘭からの文を受けて駆けつけた、青色の衣を纏った朱彩霞の姿があった。
「無礼者!何奴、恐れ多くも御前で礼儀を失するか!」
司令監が威嚇するように一喝し、周囲の護衛が身構える。静蘭らは引くどころか、懐から奏折を高く掲げ、声を枯らして上奉する。
「帝、天下万民のため、そして大義のために、真実を申し述べます。百官の皆様、どうかその耳を、真実にお貸しくださいませ」
「この真実を知ったとき、私自身、言葉にできぬほどの恐怖と衝撃を覚えました。しかし、真実から目を背けては、国の未来はございませぬ」
彩霞が胸を張り、きっぱりと言い放つ。予期せぬ娘の登場に、崇文侯は息を呑んだ。
まず前へ進み出たのは、青色の衣を纏った司馬知古であった。彼女は復元された古い年代記を恭しく掲げた。
「恐れながら申し上げます。皆様が天罰の予言と恐れておられるこの詩ですが、公式記録を精査いたしましたところ、これは呪いなどでありませんでした。
先代・清雅帝の御世の隆盛の頃に詠まれた、普通の『朝焼けの美しい風景の詩』であったことが判明いたしました」
知古の落ち着いた声が大広間を静めていく。
「恐れながら申し上げます。お名前の箇所は確かに削り取られております。……これは、検閲による損壊ではございません。詩文には傷ひとつなく、その美しさは完璧なまでに保たれております」
続いて青色の衣を纏った紫恪礼が冷徹な論理で言葉を重ねる。
「恐れながら申し上げます。呪いと恐れられたのは、そのあまりに優雅で深遠な言葉を、人々が理解しえなかったゆえにございます。意を解せぬ恐怖から、人々はお祭りの準備不足や運営の不備と結びつけ、天罰の予言として勝手に恐れをなしてしまったのでしょう」
「戯れ言を!」と赤色の衣を纏った高官の一人が叫び、続いて問いかける。
「では『万家眠』や『血如泉』という穏やかでない言葉をどう説明する! 皇帝陛下の命が尽き、この宮廷が血の海になるという暗殺計画の脅しではないのか!」
「それこそが、一番の大間違いでございますわ!」
彩霞が一歩前へ踏み出し、大広間全体に通る美しい声で朗々と叫んだ。
「この詩を、最初から順に普通の素直な心で読んでみてください!
春の心地よい風が吹き、各家からは夕飯の支度の煙(清雅煙)が優しく昇っている。
夜になれば、誰もが安心してぐっすり眠っている(万家眠)。
……もしこれが人殺しの暗殺計画なら、なぜこんなにも平和で温かい日常の暮らしを細かく書くのですか! みんなが眠っているのは、この国が平和で安全な証拠でございますわ!」
高官たちが一瞬、息を呑む。彩霞は間髪容れずに畳みかけた。
「転句の烏啼(カラスが鳴く)も同じです! カラスは夜中には鳴きませんのよ。カラスが鳴き、月の光が消える(光真に尽き)のは、夜が明けるのを察知したから――つまり、暗殺の合図などではなく夜の闇が終わり、新しい朝が来るというただの朝の訪れを表しているのです!」
広間がざわめき始める。彩霞はさらに一際高く、胸を張って言い放った。
「そして……皆様が一番怯えている結句の『血』という文字でございます!
古典詩の美しい世界において『血』とは、恐怖の意味ではありません!
『これ以上ないほど、燃えるような真っ赤な色』を表す最高の褒め言葉なのでございます!
『血のような泉』とは、地平線からお日様の真っ赤な光が、泉のようにドクドクと溢れ出して空を染め上げる、圧倒的な朝焼けのことでございます!
この詩の本当の意味は――『静かな春の夜が明け、月が消え去った瞬間、世界が目を見張るほど真っ赤な朝焼けに包まれた』という、新しい一日の始まりを祝う、ただただ素晴らしい光の詩なのでございます!」
言葉が、解き放たれる。
難解だった詩が、彩霞の「やさしく、まっすぐな言い換え」によって、おどろおどろしい呪詛から一転、息を呑むほど美しい情景へと劇的に塗り替えられていく。
「な……なんということだ……」
役人たちが目を見張り、圧倒される。
その瞬間、静蘭が大きな絹の紙へと一気に筆を躍らせた。
四角く硬い実務の文字ではない。力強く、しなやかで、見る者すべての胸を打つ型破りな書、『言の葉、光となりて』と。
彩霞が解き明かした「真っ赤な朝焼けの光」が、静蘭の筆先から解き放たれ、圧倒的な美となって紙上に輝いた。
不吉な呪いなど、最初からどこにもなかったのだ。
「帝、以上のことから、この詩が語る本当の意味は、
『東風が吹き去って、清らかで風雅なもや(煙)が晴れ渡った。
ぽつんと浮かぶ丸い月(孤輪)が、静かに眠る万民の家々を照らしている。
烏が暗い森の中で鳴き、夜明け前の(月と星の)光が真に尽きようとするとき、
明くる朝には、ただ泉のように(美しく真っ赤な)朝焼けが広がっているのが見えるだろう』
ということでございます」
*御前会議のドレスコード(帝族以外)
三品以上:紫色
四品・五品:赤色
六品・七品:緑色
八品・九品:青色(一般的な官僚)
一般庶民:白 または 黒(無位無冠)




