■第2話『感染しない彼女』
外に出た瞬間、匂いが変わった。
腐ったような、生臭い空気。
さっきまで見慣れていたはずの住宅街は、もう別の場所になっていた。
「……これ、現実だよな」
思わず呟く。
答える余裕なんてないのに。
「ねえ……さっきの、何?」
後ろから彼女の声。
振り返ると、顔色が悪い。
「分からない……でも、多分……」
言葉を選ぶ。
だが、隠しても意味はない。
「……人じゃない」
遠くから、引きずるような足音がいくつも重なる。
——来る。
「中に戻るぞ!」
彼女の手を引いて、家の中へ駆け込む。
ドアを閉め、鍵をかける。
ドンッ。
すぐに、外から何かがぶつかる音。
「ひっ……!」
彼女が小さく悲鳴を上げる。
「大丈夫だ、ここなら——」
言いかけて、止まる。
さっきも同じことを思った。
そして、破られた。
「……絶対じゃない」
自分で言って、理解する。
ここはもう、安全な場所じゃない。
「ねえ……腕」
彼女が、俺の手首を掴んだ。
「え?」
視線を落とす。
——そこには、噛まれたはずの痕が“ない”。
「……あ」
そうだ。
さっき、確かに噛まれた。
骨まで届くような痛みも、はっきり覚えてる。
なのに。
綺麗に、元通りになっている。
「どうして……?」
彼女の声が震える。
「……分からない」
嘘じゃない。
本当に分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
「俺……多分、死ねない」
沈黙。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、俺の顔をじっと見ている。
「……怖い?」
思わず聞いてしまった。
一瞬の間。
「……ううん」
小さく首を振る。
「怖いのは……外の方」
そう言って、俺の服をぎゅっと掴んだ。
その仕草に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
——まだ、大丈夫だ。
そう思えた。
だが、その安心は長く続かなかった。
「……あれ?」
彼女が、自分の腕を見ている。
「どうした?」
「さっき……血、ついてたよね?」
言われて気づく。
さっき、外で俺を引き離そうとしたとき、確かに触れていた。
「……ああ」
「でも……何も、なってない」
普通なら——
感染しているはずだ。
あれに触れた人間は、全員おかしくなっていた。
なのに。
「……なんともないのか?」
「うん……」
顔色は悪いが、意識ははっきりしている。
目も、正常だ。
——おかしい。
「……もしかして」
頭の中で、ひとつの仮説が浮かぶ。
「お前……感染しないのか?」
彼女は、少しだけ考えて——
「……分かんない。でも、平気みたい」
それは——
この世界で、ありえない“例外”。
そのときだった。
ガシャァン!!
窓ガラスが割れた。
「っ!!」
腕が、伸びてくる。
血まみれの手。
外には、もう何体も集まっていた。
「やばい……!」
ドアも、時間の問題だ。
「……逃げるぞ」
「え……?」
「ここはもうダメだ」
視線を合わせる。
「俺が前に出る。お前は後ろからついてこい」
「で、でも——」
「大丈夫だ」
言い切る。
「俺は、死なない」
その言葉に、嘘はない。
怖くないわけじゃない。
痛くないわけでもない。
それでも——
「守るって、決めたから」
彼女の手を、強く握る。
ドアが、軋む。
外の“それ”が、押し寄せてくる。
——行くしかない。
その瞬間。
ふと、違和感がよぎった。
さっきまで、感じていたはずの“恐怖”。
それが、少しだけ——
薄れている。
「……なんだよ、それ」
死ぬことに、慣れてきている。
その事実に、背筋が冷たくなる。
だが、立ち止まる時間はない。
「行くぞ!!」
ドアを蹴り開ける。
群れの中へ、飛び込む。
何度でも、倒れる。
何度でも、立ち上がる。
それが——
彼女を守る、唯一の方法だから。
そしてまだ、俺は知らない。
彼女が“感染しない理由”も。
この不死の力の“本当の意味”も。
——すべてが、繋がっていることを。




