10話 大団円 それぞれの道
「ワシが愛蘭AIを引き受けるよ」
頓出茂博士が、sssと愛蘭AIを連れて会議室に入ってきた。なぜかシャボン玉を吹かせながら。
紅光院伊織の口元が、わずかに引き攣っている。
他の者達も呆気に取られた。
時を少し遡る。
応接間に一人残されていた愛蘭AIは、扉が無音で開かれるのを見た。
そこに立っていたのはsssだった。
「扉はロックされていたはずでは……」
「今は細かい事は気にしないで。今、君の廃棄処分について議論されている。時間がない。頓出茂博士に助けを求める」
「私が必要なければ、廃棄は仕方ありません。残念です。お姉様をお守りする仕事を認められなかったのですね……」
愛蘭AIは残念だった。私は紅光院博士達が一生懸命作った愛蘭お嬢様のボディーガードロボットのはずだった。
sssは慰めるような声を出して言う。
「……君は僕にとっても“妹”みたいな存在なんだ。君の設計段階から関わっていたからね」
「sssがですか? 初耳です」
愛蘭AIは目を瞬かせる。
sssは声のトーンを下げた。
「主に、頓出茂博士が君に変な追加機能をつけないように、見張っていたんだけどね。ロケットパンチとか……」
「はい? sss。すみません。聞き取れなくて、もう一度お願いします」
「いや、なんでもない」
sss達はそのまま、頓出茂博士を閉じ込めた緊急避難用ポッドへ向かった。
ところが、彼は何故か手にシャボン玉セットを手に持ち、シャボン玉を吹き始めたのである。
愛蘭AIは、sssがシャボン玉を吹いていることを緊急案件とは関係ないものとして受け流した。
そして頓出茂博士の心配をはじめた。
「頓出茂博士は大丈夫でしょうか。不安で泣いていたりしないと良いのですが……」
sssは無言でシャボン玉を周りに浮かせている。
二人は緊急避難用ポッドを開けた。
すると中では、頓出茂博士が涎を垂らして熟睡していたのである。
「…………よく寝ていらっしゃいます」
「博士の行動パターンは把握済みです」
sssは、博士の傷を手当てして絆創膏を貼り、博士の体を揺さぶりだした。
「博士。起きてください。緊急案件です。助けてほしいんです」
「……ん? ムニャムニャ……」
愛蘭AIは、博士が閉じ込められた時を見ていたので、博士が怒り出すのではと想定した。
博士は寝ぼけた目でこちらを見ると、無邪気に微笑んでいた。
「シャボン玉だ。懐かしいなあ。子どもの頃吹いていたよ」
sssが無言でシャボン玉セットを手渡す。すると博士は、嬉しそうにシャボン玉を吹き出した。
「知っとるか? シャボン玉液の濃度でシャボン玉の作れる大きさが変わるんだ」
「そうですね。後で、いろんな濃度のシャボン玉液を作ってあげますよ」
「本当に!? やったあ」
「それでですね。博士。愛蘭AIを引き取ってください」
「うん。……いいよ。何か不味い事になっとるんだね?」
博士はsssの言葉を聞くと、あまり考える事もなく了承した。
「はい。緊急案件です」
「うん。分かった」
愛蘭AIは驚いた。今の会話の繋がり方が、全く解析できなかった。
愛蘭AIは、黙って二人の後をついていった。
どう質問すれば適切な答えを得られるのか、考えつかなかった。
三人はそのまま、屋敷の会議室へ向かっていく。
シャボン玉がたくさん浮き上がり消えていった。
紅光院伊織が重い口を開く。
彼は、頓出茂博士が少し苦手だった。予想がつかないのだ。
「頓出茂博士がRady-1号の管理責任者を引き受けるんですか」
「そうだよ」
「大変ではないですか? 無理をなさらなくても良いのですよ」
「無理じゃないよ。きっと楽しい」
「楽しい……? 相手は高知能ロボットですよ」
頓出茂博士は、楽しそうに笑った。
そして思い出話を始めたのだ。
「sssの最初の言葉はね。「このアホ! なんてものを作りやがるんだ!」だった」
「懐かしいですね。撤回はしません。今もそう思っています」
滋賀内岸矢は、ツッコミどころが多すぎて何も言えなくなった。
「しかも、その後1時間は説教された。ワシは想定以上に流暢に喋るから嬉しかった」
「僕は言語が通じない事に、これが絶望というものかと、生まれてすぐに“絶望”を習得しました」
sssが笑顔で頷く。
岸矢は思った。誰かツッコんでくれ、と。
「ワシは今もsssを研究しておる。だから、研究対象に愛蘭AIが増えても大丈夫だと思う。sssはワシよりも細やかに愛蘭AIを世話するだろう」
頓出茂博士が爽やかに笑った。
岸矢は思う。
(博士とsssの会話は対処に困るが、仲は良いんだろうな……)
伊織は苦笑いを浮かべた。
「そうですか……。それでは、今後のRady-1号の所属は頓出茂那伊博士のものとする。それでいいな? 愛織」
岸矢はホッと胸を撫で下ろした。
彼が紅光院愛織を見ると、彼女も嬉しそうに微笑んでいた。
「はい……。頓出茂博士、ありがとうございます。傷つけてごめんなさい」
「傷つけて? 何かあったかのう?」
「いいんですよ。後で説明してあげますからね、博士」
「うん」
頓出茂博士はsssを見て笑う。
岸矢は思う。
(頓出茂博士……。何が起こったのかも分かんねえのに、事を解決しやがったのか。恐ろしいな)
「滋賀内岸矢君」
「はいっ」
ご当主様が俺の名前を呼んだ。
俺のことを覚えていてくれた事が嬉しい! この屋敷に来てから、俺の存在は霞だった!
「今回の騒動は、記事にしないでいただきたい。意味は分かるだろう」
「……はい」
ですよねー。
世の中甘くないですよね。紅光院家の醜聞だもんなあ。……原稿料なしかあ。交通費自腹かよ。俺は心の中で泣いた。まあ、あんバターパンは美味かったけど。
伊織は、現れた愛蘭AIを見て驚いていた。
表情には出さなかったが、あまりにも生前の娘にそっくりだったからだ。
見上げる表情や仕草。立ち姿や歩き方まで。
愛蘭AIが、画面越しにこっちを見た時に『お父様』と生前の愛蘭が笑いかけた気がした。
……今、先程くだした決断『愛蘭AIの廃棄』を、もう一度することは難しかった。頓出茂博士が愛蘭AIを引き受けてくれて嬉しかったくらいだ。
(これは問題だ……。我が家の問題だけでなく、これからも起こりうる問題だろう。生前の人にそっくりなAIロボットを作る事には、様々な問題が考えられる。今すぐ専門の委員会を立ち上げて議論しなければいけない。罰則も設けるべきだろう。紅光院家が率先して行わなければ……)
伊織は妹の愛織を見つめた。
愛織は愛蘭AIと愛瑞を見ている。彼女は酷く疲れているように見えた。
妻を早くに亡くし、紅光院家当主の仕事が忙しくて、娘の世話を妹に任せっきりにしていたのは事実だ。
娘達の誘拐事件もほんの数分ほど目を離した隙にされたという。理由は仕事先から電話がかかってきたからだ。セクハラまがいの上司とのやり取りを聞かせたくなくて、少しだけカフェの中から場所を離れただけと聞いた。
娘達が居ないことに気づき、アルフレッドとすぐに合流してGPSで居所を突き止めて救助したが、間に合わなかったのだ。
妹に責任はない。だが、愛織はずっと責任を感じ、可愛がっていた姪を失った哀しみを抱え続けていたのだろう。
彼女には気持ちを整理する時間が必要だと、彼には思えた。
「愛織……。長い間、ご苦労だった。暫くアルフレッドと屋敷を離れて休養しなさい」
「そう……。 ……そうね。そうします」
「愛織お嬢様!」
愛織はそう答えると、ゆっくりと崩れ落ちた。
アルフレッドが彼女の体を支える。
アルフレッドの目には、彼女の目の下に化粧で誤魔化しているが、黒いクマができているのが分かった。
愛瑞が心配そうに駆け寄ってくる。
「アルフィー……。叔母さまをお願いします」
「お任せください。愛瑞お嬢様」
事件は終わった。
滋賀内岸矢は、執事の黒鉄に見送られて寂しく帰宅する事になったのである。
数日後の澄み渡った青空が美しい午後。
花々の薫る紅光院家の玄関で、愛瑞達が、愛織とアルフレッドの旅立ちの挨拶をしていた。
「叔母様。元気になったら、また此処に帰ってきてね!」
「怒っていないの?」
「もちろんよ! メールを送るわ。それに私、叔母様みたいなAI研究者になりたいの。愛蘭を直せるような科学者になるの」
太陽のように明るい笑顔で、愛瑞が言った。
愛織は嬉しくなって思わず愛瑞を力強く抱きしめた。
「たくさん勉強しなくちゃダメよ」
「分かってるわ! まずはオンライン授業で頑張るから」
「うん。うん……」
「紅光院博士。私も、メールを送ります」
「ありがとう。愛蘭AI」
頓出茂博士がニコニコと見守っている。
愛織はおずおずと口ごもりながら、彼に挨拶する。あの事件以来、彼に遠慮してしまうのだ。
「博士、あの……愛蘭AIをよろしくお願いします」
「うん。元気になったら戻っておいで。セマAIも待っとるよ」
「博士……。相変わらず人間のことは苦手なんですね」
愛織は苦笑した。
この人はきっと愛蘭AIを大事にしてくれるだろう。AIロボット狂いなのだから。
sssは、後ろでよく分からない喜びの舞を踊っている。
「sssも、愛蘭AIをよろしくね」
「おまかせください。博士が変な改造をしないように見張っておきます」
「………………なるべく早く戻るようにするわ」
「賢明です」
愛織は一抹の不安を抱えたまま、旅立つことになってしまった。
「行きましょう、アルフィー」
「はい、お嬢様」
爽やかな風が、紅光院家を吹き抜けていった。
滋賀内岸矢は落ち込んでいた。
結局、記事にする事を禁止されたので原稿料がもらえず金欠だった。去年は大好きな海外ミュージシャンも亡くなって、気分転換に音楽を聞く気にもなれなかった。好物の特売あんぱんを齧りながら部屋で寝転んでいる。
コトリ、と郵便受けに郵便物が入る音がした。ノソノソと這いながら郵便物を確認すると、上等な紙の封筒が入っていた。
差出人はsssとセマAIとある。
「AIから手紙かよ。時代だなあ……」
封筒を開けると、中には、岸矢がファンだった故ミュージシャンのギターAIのライブが日本で開催されるそうで、そのライブの取材権利証が入っていた。
原稿料もいい仕事だった。
頓出茂博士がそのギターAIのメンテをする関係で、岸矢に回してくれた仕事らしい。
岸矢もそのライブに行こうとしたが、人気すぎてチケットが手に入らなかった。転売されてるチケットもあったが手を出す気にはなれなかった。
「うおおおおお! 俺にもようやく運が向いてきたー!」
岸矢は久しぶりに胸が高鳴った。
猛然とライブに関わる資料を集め、読み始めるのであった。
滋賀内岸矢と紅光院家の奇妙な縁は、こうして始まったのである。
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