第359話 国王からの呼び出し
魔界の広大な森林地帯を舞台に繰り広げられている、『樹木の魔人』たちと、絶海のオルカス陣営による果てなき抗争。
俺が黒雷となって巨大な海水領域の結界に百五十もの穴を穿ってから、かなりの時間が経過していた。
敵の魔法によって展開された厄介な海水が完全に抜けきるまで、おおよそあと一ヶ月ほどとなった日のことだ。
魔界の状況としては、水槽の水が半分ほど抜けたあたりで、敵であるオルカス陣営も水圧に逆らって穴を塞ぐ作業を半ば諦めているような状態だった。
無駄な魔力と労力を消費するよりも、水が引いた後の本格的な地上戦に備えて戦力を温存する方針に切り替えたのだろう。
優先度の高い魔界の戦局に目立った動きがないのであれば、当面は様子見で構わない。
俺自身も定期的に人間界の各地を視察して回っているが、戦力の再配置が功を奏し、こちらも特段の異変は起きていなかった。
そんな、嵐の前の静けさとも言える平穏な午後。
王都に構えた俺の屋敷の門を、王宮からの使者が慌ただしく叩いた。
(……さて、何のご用件だろうか?)
豪奢な装飾が施された王家の封書を受け取りながら、俺は冷静に思考を巡らせた。
俺はこのアースガルド王国において、長年『魔力ゼロの無能な跡取り』という仮面を被って過ごしてきた。
だが、魔人アシュラフが王都で表立って動き出し、人類の半数を生贄にするという計画を宣言して以来、俺もあえて実力を隠さずに盤面を動かしてきた。
王家や上層部が、得体の知れない強大な力を持つ俺を『国家を脅かす危険分子』として判断し、査問にかける気になったのか。
それとも、この未曾有の危機を乗り越えるための『稀代の実力者』として、正式に助力を請う気になったのか。
どちらに転ぶにしろ、このタイミングでの直接の招集には応じておいた方がよさそうだ。
魔界が膠着状態にある今、人間界での政治的な関係構築や情報収集に時間を割くのは決して悪い選択ではない。
俺はため息を一つ吐くと、クローゼットから上質な仕立ての余所行きの服を取り出して着替え、迎えの馬車に乗り込んで王宮へと向かった。
***
石畳を鳴らす馬車の車輪の音が止まり、案内されたのは王宮の奥深く。
豪奢な謁見の間のすぐ横に位置する、重厚なオーク材の扉で閉ざされた会議室のような部屋だった。
ここには見覚えがある。
以前、クロウリー公爵家と我がグリムロック家の間でフェーデ(私闘)に発展した際、その裏面での取り決めや調停を行うために使われた因縁の部屋だ。
王宮としての格式は十分に保たれているが、表沙汰にできない秘密裏の話をまとめたい時にのみ使われる、いわば『密室』である。
磨き上げられた鎧を着た見張りの兵士が、恭しく、しかしどこか緊張した手つきで分厚い扉を開けた。
一歩足を踏み入れた瞬間、肌を刺すようなピリピリとした空気が全身に絡みついてきた。
広い室内には、このアースガルド王国の中枢を担う主だった人物たちが、すでに顔を揃えていた。
上座に腰を下ろす国王陛下を筆頭に、その傍らには第一王子であるリアムの姿。
さらに彼の優秀な側近二人、国家の運営を担う官僚の重鎮たち、そして王室を護衛する近衛騎士団の面々。
さらには、クロウリー公爵家の次期当主であるバルトロメウスの姿もあった。
どうやら彼は、この度の防衛戦で随分と王家に気に入られ、確固たる地位を築いているみたいだ。
現在、地方の領地を任されている辺境の領主たちは、魔物の残党処理や復興対応に追われており、到底この王都の会議に参加できるような余裕はないはずだ。
ただ、少し前まで各地の戦線を飛び回っていたリアム王子がこうして王都に戻り、落ち着いて席に着いているところを見ると、王国内の魔物掃討作戦自体はひとまずの段落を迎えたと見ていいだろう。
室内にいる大半の者は、押し黙ったまま、ひどく緊張し、ギスギスとした険悪な雰囲気を醸し出していた。
(……なるほど。これは、真っ向から俺と敵対する気で場を設けたのか?)
俺は表情を一切崩さず、室内の状況を瞬時に分析した。
本来であれば、臣下が揃ってから最後に国王が入室するのが定石だ。
だが、国王が俺よりも先に来て着席し、待ち構えているところを見ると、余計な挨拶や権威の誇示でごまかすつもりはないらしい。
もったいぶらずに、単刀直入に本題へ切り込みたいという強い意志が見える。
こちらを単なる若造として侮る気は、まるでないというわけだ。
***
俺は無言のまま、促されるように国王の真っ直ぐ対面に位置する席へと案内された。
長いマホガニー製のテーブルの最奥に国王が座り、その両脇にはこの国のそうそうたる顔ぶれがズラリと並んでいる構図。彼らの視線は、テーブルの反対側にポツンと座った俺一人へと一斉に集中していた。
その多くが、射抜くような、親の仇でも見るかのように激しく責め立てる視線を俺に向けている。
決して居心地の良いものではない。
だが、当然の反応でもある。
俺はずっと自分の底知れぬ実力を周囲に隠し続けてきたのだし、魔人の襲撃が相次ぎ、世界中で魔物が大量発生するという未曾有のパニックが起きたこの状況下だ。
突如として理外の力を行使し始めた俺という“得体の知れない存在”に対し、国家の中枢が強い警戒心や敵意を抱くのは、為政者として極めて真っ当な反応だろう。
俺は静かに背筋を伸ばし、嵐が訪れるのを待った。
俺が席に着いても、場はシンと静まり返ったままだ。
重苦しい沈黙が、時計の針の音とともに室内へ降り積もっていく。
一体、どんな糾弾の言葉が飛び出すのか。
魔人の手先と疑われるのか。
それとも王権を脅かす反逆者として拘束しようとするのか。
web小説の定石であれば、居丈高な為政者が理不尽な難癖をつけてくる場面だ。
俺がわずかに身構えた、その時――
分厚い沈黙を破り、国王自らが重々しい口火を切った。
「ゼノス・グリムロックよ」
低く、腹の底に響くような王の威声が室内を震わせる。
「我が国は……いや、この世界全体が今、歴史上類を見ない未曾有の厄災に見舞われている。それは貴殿も承知のはずだ」
国王はそこで一度言葉を切り、怒りを込めた鋭い眼光で俺を睨み据えた。
「そんな折にあって! 貴殿らグリムロック家は、未だに人同士の愚かな争いを止めようとはしない! 今は国境を越え、人類全体が手を取り合ってこの難局に挑むべき時である! この一大事において、他国との戦争を継続し、己の領地の拡大を最優先するとは……一体、いかなることであるかッ!!」
***
(…………ん?)
王の怒号が響き渡った瞬間、俺の頭の中に「?」が浮かんだ。
めっちゃ責められた。
ものすごい剣幕で怒鳴られた。
しかし、その内容は俺の強大な魔法や暗躍に対する警戒などでは一切なく……しかも、相手の言い分がぐうの音も出ないほどに『100パーセント正しい』のだ。
国王の言葉を合図に、居並ぶ重鎮たちが次々と口を開き始めた。
彼らは、我がグリムロック家が王国全体の魔物掃討戦に兵を出し渋っているばかりか、あろうことかこの世界的な非常時を『領土拡大の好機』と捉え、隣国であるアドラステア帝国への侵略戦争に力を入れているという事実を、口々に非難してきたのだ。
魔物の大群が人類の生存圏を脅かしている最中に、人間の軍隊同士で殺し合い、火事場泥棒のように領土を広げようとしている。
――そう言って糾弾してきた。
そりゃあ、怒るに決まっている。
人間として、倫理的に最悪の行動だ。
一体どんな理不尽な言いがかりが来るかと身構えていたら、あまりにもまともで、反論の余地のない正論の文句が飛んできたのである。
ここ最近、世界規模の防衛や魔界での神話レベルの戦闘にかまけていてすっかり忘れがちになっていたが、世間一般の認識において、俺はあくまで『グリムロック辺境伯家の跡取り息子』なのだ。
当然、当主である父親がやらかした非道な軍事行動への文句やヘイトは、王都に滞在している次期当主であるこの俺にも、ダイレクトに向かってくるわけである。
(……何をやってんだよ。親父の奴)
自分に向けられていた敵意の正体が「世界の脅威への警戒」などという高尚なものではなく、単なる「実家の親の不始末へのクレーム」であったことに気づき、俺は深く、重い疲労感と共に、内心でやれやれと盛大なため息をつくのだった。




