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第350話 エルフ評議会の行方

 視界を覆っていた転移魔法のまばゆい光が収まると、むせ返るような濃密な「緑」の香りが肺を満たした。


 俺はエルフの姫であるリフィアと共に、アースガルド王国の北部に広がる広大な秘境、エルフの森『シルヴァン』へと降り立っていた。


 そこは、人間社会の常識とはかけ離れた幻想的な空間だった。


 天を衝くほど巨大な大樹の数々。

 その太い幹やうろをそのまま住居として利用し、自然と完全に調和した集落が形成されている。


 木漏れ日が神秘的な模様を地面に描き出し、空気中には濃密な魔力がキラキラと粒子のように漂っていた。


「ああ……良かった。森は、無事だったのですね……!」


 隣に立つリフィアが、安堵のあまり胸の前で両手を組み、震える声でつぶやく。


 世界規模で大量発生した魔物の群れ(スタンピード)。

 その波はこの深い森にも間違いなく押し寄せていたはずだが、集落は悲惨な波に呑まれることなく、その美しい姿を健在させていた。


「おお、リフィア様! それに、ゼノス様も!」

「よくぞご無事で戻られました!」


 俺たちの到着に気づいたエルフの村人たちが、次々と木々の間から姿を現し、歓待の声を上げて駆け寄ってくる。彼らの顔には疲労の色が見えるものの、絶望の陰りはなかった。


 その理由の中心は、村の入り口付近にそびえ立つ二つの影だ。


 無骨な鋼鉄の身体に、魔物の返り血と激戦の傷跡を無数に刻み込んだ自動人形。

 俺がこの村を防衛するために配置しておいた分体、『キラー・マシーン三号機』の二体である。


 初期の激しい襲撃を村人たちと共に凌ぎきった後も、彼らと連携して森に増殖した魔物を間引くため、休むことなく討伐に出続けていたらしい。

 今は討伐隊が村で一時休憩中であるため、門番のように立ち尽くして待機している状態だった。


 俺は鋼鉄の巨躯に歩み寄ると、分体の動力源であるコア魔石から、自律行動のために付与していた魂を回収した。

 そしてすぐさま『写し身の魔法』を発動し、俺自身の意識の一部を再付与して機体を完全なコントロール下に置く。


「ゼノス様……本当に、何から何までありがとうございます。貴方様のおかげで、私の故郷は無事でした」


 リフィアが俺の前に深々と頭を下げ、声の震えを隠しきれない様子で丁寧にお礼を言ってくれる。


「なに。同盟相手を守るのは当然のことだ。このくらい、どうということはない」


 俺は軽く肩をすくめて短く返し、村の奥へと視線を向けた。


「それよりも、随分と物々しい空気だな。リフィア、里の長に挨拶に向かうぞ」



 ***


 俺たちが案内されたのは、集落の中央にそびえ立つ、村で一番巨大な木の中にある広間だった。


 重厚な木造の扉越しにでも、中から複数人の熱を帯びた声が漏れ聞こえてくる。

 どうやら、里の重鎮たちが集まって重要な会議を開いている真っ最中のようだ。


 門番の戦士に取り次いでもらい、重い扉が開かれる。


 円形に削り出された広い空間には、エルフ族の重鎮たちが顔を揃えていた。

 その最奥の座に腰を下ろしているのが、エルフ族の長、エリュシオン・エルフヘイムである。


 白く長い髪を背中に流し、リフィアと同じエメラルドグリーンの瞳には、深い知性と静かな覇気が宿っている。

 年齢は数百年を優に超えているとされるが、その肉体に老いによる衰えの色は一切なく、ただただ圧倒的な存在感を放っていた。


 広間に集まっていたエルフたちの視線が、一斉に俺とリフィアに向けられる。


 その反応は見事なまでに二分されていた。

 一方は、俺の登場に対して「気まずそうに顔をしかめる者たち」。そしてもう一方は、救世主の到来に「助かったという安堵の表情を浮かべる者たち」だ。


「……これはゼノス殿。よくぞまいられた」


 沈黙を破ったのは、族長のエリュシオンだった。

 彼は重々しく立ち上がり、深く頭を下げる。


「貴殿の使い魔の圧倒的な力のおかげで、我らは窮地を救われた。エルフ族を代表し、心より礼を言う」


「礼には及びません。俺は当然の対価を支払ったまでです。……して、外まで声が漏れていましたが、この集まりは一体どのような議題で?」


 俺の問いかけに、族長は重い溜息をつき、安堵の表情を浮かべていた者たちと視線を交わしてから、紛糾する会議の内容を静かに語り始めた。



 ***


「お恥ずかしい話だが……我らの中で血気盛んな者たちが、この混乱に乗じて『人間の集落に攻め入るべきだ』と強く訴えておるのだ」


 エリュシオンの言葉に、気まずそうな顔をしていた半数のエルフたちが、気を取り直したように鋭い視線を向けた。


 彼らが標的として攻め入ろうとしている先は、森に隣接する人間の領地、ブランシュフォール辺境伯の治める土地だ。


 エルフ族は長年にわたり、森の資源と奴隷を狙うブランシュフォール辺境伯の軍勢と、血みどろの激しい戦いを繰り広げてきた歴史がある。


 人間社会全体が魔物の大量発生によって大混乱に陥り、相手の軍事力が著しく弱体化している「今」こそ、積年の恨みを晴らす絶好の好機であると、強硬派の者たちは族長に詰め寄っていたのだ。


 その血生臭い主張を聞いたリフィアが、たまらず前に出て反対意見を声を張り上げた。


「お待ちください! 争いを広げてどうするのですか! このような未曾有の危機に際して人間の領地に攻め入っては、ブランシュフォールのみならず、人間社会全体から『エルフは火事場泥棒の野蛮な種族だ』と余計な恨みを買うだけです!」


 リフィアの悲痛な声が広間に響き渡る。


「それに皆様、お忘れですか? 我らがこの窮地を脱することができたのは、他ならぬ人族であるゼノス様のご助力があってこそです! 森に増殖した魔物の掃討には、まだ多大な時間がかかります。人との無益な戦争を優先している場合ではないでしょう!」


 彼女の正論は、広間の空気をピンと張り詰めさせた。


(……もっとも、そのブランシュフォールは俺が事前に召喚した千匹の魔物に襲われて、すでに疲弊しきっていた状態だったんだがな)


 俺は内心で一人、冷たい笑みを浮かべた。


 そこに今回のモンスター・スタンピードが重なったのだ。

 あの辺境伯の領地は、エルフがわざわざ手を下すまでもなく、すでに物理的にも経済的にも完全に『壊滅状態』に陥っているはずだ。


 強硬派のエルフたちが攻め入って積年の恨みを晴らしたい気持ちも、痛いほどよくわかる。何しろ、お互いに仲間を殺し合ってきた憎き相手だ。


 しかし、リフィアの言う通り、ここで彼らが人間の領土を蹂躙してしまえば、魔物騒動が終結した後、人間社会全体とエルフ族との間に「決して埋めることの出来ない決定的な溝」が残されてしまう。


 それは、この先の世界で気楽に暮らしたいと願う俺にとって、非常に面倒なノイズとなる。


 リフィアの鋭い指摘に、抗戦派の面々は押し黙った。


 だが、その瞳に宿る怒りの炎は消えていない。

 理屈ではわかっていても、完全に納得のいっていない、燻るような表情を浮かべていた。



 ***


 このままでは、いずれ不満が爆発して独断で兵を動かす輩が出かねない。


 頃合いだ。

 俺はゆっくりと一歩前に踏み出し、わざと重い足音を広間に響かせた。


 それだけで、空気が凍りついたように静まり返る。

 全員の視線が俺に釘付けになった。


「――皆さまの言い分も、リフィアの懸念も理解した」


 俺は低い声で告げ、ぐるりと強硬派のエルフたちを見据えた。


「積年の恨みを晴らしたいという血の滾り(たぎり)は否定しない。だが、俺の同盟相手が、下らない感情論で自ら泥を被り、人間社会との間に無用な火種を生むのは見過ごせない」


「ゼ、ゼノス殿……しかし、それでは我らの同胞の無念は……!」


 抗弁しようとしたエルフの一人に向けて、俺は軽く頷く。

 否定ではなく、肯定で黙らせた。


「ここは、俺に任せてもらえませんか?」


 俺は族長のエリュシオンに向け、はっきりと宣言した。


「俺が直接出向き、エルフ族とブランシュフォール辺境伯との間に『永続的な相互不可侵協定』を結ばせてきます。……二度とこの森に牙を剥く気を起こさせないように躾けて見せましょう」


 俺の口元に浮かんだ容赦のない笑みを見て、広間のエルフたちは息を呑んだ。


 ただの平和条約ではない。

 俺という圧倒的な暴力と恐怖を背景にした、絶対の「首輪」を辺境伯にはめに行くという宣言だ。


 エルフの森の平和と、俺自身の計画を同時に満たす最善の一手。


 エリュシオン族長は深く目を閉じ、やがてゆっくりと頷いた。

 新たな火種は、俺の手によってブランシュフォールの喉元へと突きつけられることになった。

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