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第349話 預け先の劇場

 視界を白く染め上げていた転移魔法の光が収まると、俺とサラは、砂漠の王国ザハラの熱砂から一転、ひんやりとした静寂に包まれた空間に立っていた。


 ここはアースガルド王国の王都。

 その一角に居を構える、俺がオーナーを務める巨大な劇場型レストラン【砂漠のデザート・スター】の内部だ。


 転移の座標に設定していたのは、劇場二階の最奥にある俺専用のVIPルームである。

 豪奢なベルベットの絨毯が敷き詰められた薄暗い部屋には、埃ひとつ落ちていない。だが、扉の外から本来聞こえてくるはずの、グラスがふれあう音や酔客たちの喧騒は一切なかった。


 無理もない。

 つい先日、このアースガルド王都では大規模な魔物の大量発生スタンピード事件が起き、街全体が未曾有の混乱に陥ったのだ。


 劇場の先行きも見通せない危険な状況であったため、現在この店は一時的な休業措置をとっている。とはいえ、優秀な従業員たちを解雇するような愚かな真似はせず、全員を劇場の敷地内に留め置いて確保してある。


「……王都に侵入した魔物の討伐も粗方進み、治安も回復の兆しを見せてきているな」


 窓から見える王都の街並みを見下ろしながら、俺は独り言ちた。


 レストランとしての営業は、近いうちに再開できるだろう。

 もうしばらくすれば、王宮からこの劇場の目玉である「踊り子と歌姫のショー」の営業許可も正式に下りるはずだ。


 俺の傍らでコートの裾を掴んだまま、物珍しそうに豪華な室内を見回している少女、サラを見下ろした。


 彼女を預ける場所として、この劇場は最適だ。

 ここにはザハラ出身の従業員が多数在籍しており、砂漠の民の気質にも慣れている。何より、俺の活動拠点でもあるこの場所のセキュリティは盤石だった。


「行くぞ。お前の預け先を紹介してやる」


 俺はサラを連れ、VIPルームを出て劇場の地下へと向かう階段を下りていった。



 ***


 劇場の地下最深部。

 そこには、物理的な堅牢さはもちろん、何重もの防音と防御結界が張り巡らされた一番豪華な居住区画がある。


 ここは、この【砂漠の星】の絶対的な稼ぎ頭であるトップダンサーと歌姫の姉妹――『ファーマ』と『リーラ』の私室となっていた。


 彼女たちの正体は、砂漠の王国ザハラから連れ去られてきた王女である。

 それゆえに、この部屋の警護体制には万全を期しているのだ。


 重厚な扉を開けると、甘い香水の匂いがふわりと鼻をくすぐった。


「あら……ゼノス様?」

「お帰りなさいませ! ……えっと、その後ろの可愛らしいお客様は?」


 休業中で少しばかり暇を持て余していたらしいファーマとリーラが、ふかふかのソファから立ち上がり、目を丸くしてサラを見つめた。


 きらびやかな衣装を纏う美しい二人の姉妹は、すぐに母性本能をくすぐられたのか、警戒するサラの目線に合わせてしゃがみ込む。


「まあ、なんて綺麗で可愛らしいお顔立ち。ほら、怖がらないで。甘いお菓子を上げましょうね」

「お洋服もよく似合っているわ。私たちが髪を梳かして差し上げますわね」


 あっという間に二人に囲まれ、高級な焼き菓子を両手に握らされたサラは、困惑しつつも大人しくされるがままになっている。


 そんな和やかな光景を他所に、部屋の暗がりから音もなく一人の少女が姿を現した。


 ファーマたちの専属警護として張り付いている暗殺者の少女、アリアだ。

 彼女は鋭い三白眼を細め、呆れたようなため息をつきながら俺の隣に並んだ。


「……ゼノス。あの少女は一体何者だ?」

「ああ。イスファラで散歩中に、少し面白そうなものを拾ってきた」


 俺が適当に答えると、アリアは不機嫌そうに端正な眉を顰めた。


「散歩中に拾ってきた、だと? 相変わらずアンタは自由すぎるな。……それで、どうするつもりだ? まさか、あんな幼い子供に夜伽でもさせるつもりじゃないだろうな?」


 ジロリと、刺すような軽蔑の視線が向けられる。

 俺は肩をすくめて鼻で笑った。


「馬鹿を言え。そんなわけないだろう。あいつは恐ろしく頭の回転が速い。歌や踊りの基礎、あるいは裏仕事や武術なんかを教え込めば、将来間違いなく俺の手駒として『使える』存在になる。……アリア、お前が武術の面倒を見ろ」


「相変わらず……人使いの荒い男だ。まあ、基礎体力作りからなら見てやらないこともないが」


 俺たちのそんな物騒な会話を耳ざとく聞きつけたリーラが、パッと顔を輝かせて提案してきた。


「それでしたら、私が読み書きの基礎を教えてあげますわ!」

「ええ、計算や帳簿の付け方も教えれば、将来この劇場で事務作業や裏方としても立派に立ち回れますわね」


 ファーマもすっかり乗り気になり、少女に教育を施す気満々だ。

 早くも二人で机を囲み、サラのための英才教育の計画をウキウキと立て始めている。


 孤児であったサラにとって、これ以上ない最高水準の教師陣だろう。

 やはり、ここに連れてきて正解だったようだ。



 ***


 姉妹たちがサラにかまきりになっている間、俺はアリアの腕を引き、この大部屋に併設されている護衛用の小さな控室へと足を踏み入れた。


 扉を閉めると、表の華やかな喧騒が遮断され、仄暗く静密な空間が二人だけを包み込む。


「……おい、急に引っ張って何をする気だ」

「別に。少し、お前との時間が欲しかっただけだ」


 口では文句を言いながらも抵抗しないアリアの腰を引き寄せ、俺はそのしなやかな体を腕の中に閉じ込めた。


 久しぶりに触れる彼女の体温と、暗殺者特有の張り詰めた筋肉の感触。

 俺は彼女の首筋に顔を埋め、その柔らかな肌と匂いを堪能しながら、口元に冷酷な笑みを浮かべて囁いた。


「……ザハラの情勢について、最新の情報が入った」

「っ……こんな状況で、仕事の話か。お前は本当に底意地が悪いな」


 アリアが俺の背中に腕を回し、微かに息を乱しながら先を促す。

 俺は彼女の背筋をゆっくりと撫でながら、戦況を語り始めた。


「イスファラは俺が手助けして無事だったが……ザハラの聖都『アル・ジャバル』は、城壁を突破された。街の大半が、魔物の群れに蹂躙されたそうだ」


「聖都が……!?」


 アリアの体が、驚きで強張る。


「ああ。俺が手配した援軍のおかげで、国家としての崩壊だけは辛うじて免れたがな。それでも、軍と街が被った痛手は計り知れないだろうな」


 甘い吐息の交じる密室の中で、俺はアリアに今後の裏社会での立ち回り方を細かく指示し、情報を共有し終えた。



 ***


 十分な時間を過ごした後、身だしなみを整えて控室を出ると、大部屋ではすでに実践的なレッスンが始まっていた。


「そう、右足を引いて、手はこうよ!」

「……こう、ですか?」


 サラはファーマから見よう見まねでダンスのステップの振り付けを習い、その華麗な動きを驚くべき精度で真似していた。


「おい、サラ」


 俺が声をかけると、サラはピタリと動きを止め、こちらを振り向いた。


「今日からここが、お前の住処だ。彼女たちの言うことをよく聞いて、良い子にしていろよ」


 俺が歩み寄り、その亜麻色の頭を無造作になでてやると、サラは心地よさそうに目を細め、「はい、わかりました。ゼノス様」と素直に返事をした。


「ふふっ、ご心配には及びませんわ、ゼノス様。この子、私たちが教えたことを一度で覚えるんです。とっても物覚えがいいのですよ」


 リーラが自慢げに太鼓判を押す。

 その才能がどこまで伸びるか、今後の成長が楽しみだ。


 俺は彼女たちに別れを告げ、地下の部屋を後にした。


 劇場の廊下を歩いていると、曲がり角で不意に誰かと出くわした。

 プラチナブロンドの美しい髪と、長く尖った耳。


 エルフ族の姫であるリフィアと、その護衛たちだ。

 彼女は俺の姿を認めると、すがるような、ひどく思い詰めた瞳で駆け寄ってきた。


「ゼノス様っ……! いらっしゃっていたのですね。あの、魔物が世界中で大発生していると聞いて、心配で……エルフの里は大丈夫なのでしょうか?」


 彼女の震える声には、故郷を案じる深い焦燥が滲み出ていた。

 世界中で魔物が暴れ狂う中、閉鎖的なエルフの森が無事でいられる保証はどこにもない。彼女たちも、気が気ではなかったのだろう。


「ちょうどいいところだったな。俺もこれからエルフの里へ向かおうと思っていたところだ」


 俺がそう告げると、リフィアの顔にパッと希望の光が差した。


「準備をしておけ、リフィア。お前も同行させてやる」


 VIPルームで少しばかり休息を取った後、俺はエルフの姫を連れて、次なる火種が燻る深い森へと足を踏み入れることを決めた。

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