第346話 VSギガ・スコーピオン
「いくらなんでも、あんまりでございますぅぅッ!!」
領主サーメフの叫びが扉の外から聞こえてきた。
ふざけた言いがかりだ。
その狼狽えぶりと、窓の外から伝わってくる街の喧騒から状況を推測する。
どうやら、世界規模で大量発生しているモンスター・スタンピードの群れとは別に、この人間界の砂漠地帯で独自の進化を遂げた「はぐれ」の大型魔獣が、偶然この辺りにまで流れてきたということらしい。
魔物が爆発的に湧き出したことで本来の生態系や行動範囲が大きく狂い、イレギュラーな動きを見せた結果の遭遇劇。
(……それを、俺が意図的に差し向けたと勘違いして喚き散らしたわけか)
無知ゆえの的外れな非難に、微かな苛立ちを覚えて舌打ちをした。
俺がわざわざ、そんな回りくどい嫌がらせをする理由がない。
だが、怯えきった人間に理屈は通用しないだろう。
それに、不快ではあるが放置するわけにはいかない。
このオアシス都市イスファラは、今や俺の支配下にある「縄張り(テリトリー)」の一部なのだ。
自分の庭を勝手に荒らされるのは、我慢ならない。
「……すぐに片づけてやる」
俺は部屋の扉を蹴り開けると、未だに床に這いつくばって震えている領主サーメフを一瞥もせず、そのまま一直線に屋敷の外へと飛び出した。
***
屋敷の門を抜けた瞬間、俺は迷わず『加速魔法』を展開した。
――世界から、音が消える。
自身の体感時間だけを極限まで加速させた俺の視界では、パニックに陥って逃げ惑う人々の姿も、空中に舞い上がる砂埃も、すべてがスローモーションのコマ送りのように固定されていた。
混雑して身動きの取れないメインストリートを避け、軽やかな跳躍で建物の屋根へと飛び乗った。
そのまま、足場となるレンガを蹴りながら、文字通り飛ぶような速度で屋根伝いを一直線に駆ける。同時に『身体強化魔法』を重ね掛けし、超人的な脚力で街の景色を後方へと置き去りにしていった。
目指すのは、砂漠の町の外周付近。
濃密な土煙と、黒焦げた嫌な臭いが立ち昇っている方角だ。
現場に近づくにつれ、被害の悲惨さが視界に飛び込んでくる。
外周の防壁は紙くずのように粉砕され、周囲の家々は無残に倒壊していた。
崩れた瓦礫の下には逃げ遅れた人々の姿があり、乾いた砂地にどす黒い血の染みが点々と広がっている。
街の外を巡回していたカリム傘下の盗賊団「サンド・ファング」の連中が運悪くこの魔獣と遭遇して襲われ、生き残った数名がパニックのまま街へと逃げ込んだ結果、巨大な獲物まで一緒に市街地へと招き入れてしまったらしい。
土煙の中心に鎮座していたのは、絶望の権化だった。
――ギガ・スコーピオン。
警戒心の強さゆえ、人里には滅多に姿を見せないはずの希少な大型魔獣。
全長はゆうに3メートルを超え、尾まで含めれば8メートルはあろうかという規格外の巨体。一般的なサソリという言葉から連想するサイズ感を根本から凌駕する、さながら生きる「重戦車」のような凄まじい威圧感だ。
砂漠の灼熱で焼き固められたような赤黒く光る外殻は、鋼鉄よりも硬く分厚い。
前方に構えられた二つの凶悪なハサミは岩盤すら容易く砕き、高く持ち上げられた尾の先端の巨大な針からは、触れるものすべてを溶かす高熱の「溶融毒」がドロドロと滴り落ち、地面の砂をジュウジュウと音を立てて溶かしていた。
並の騎士の魔法や物理攻撃など、あの外殻の前では完全に無力だろう。
***
俺は加速を維持したまま、真っ直ぐに魔獣の懐へと突っ込もうとした。
だが、途中で視界の端にある光景を捉え、急遽予定を変更する。
ギガ・スコーピオンの正面。
崩れた壁の前に、薄汚れた身なりの小さな子供が、恐怖で腰を抜かしてへたり込んでいた。
頭上には、巨大なギロチンのような魔獣のハサミが、今まさに無慈悲に振り下ろされようとしている瞬間だった。
(……ほう。これは――物語の主人公が颯爽と登場して活躍するための、格好のシチュエーションじゃないか)
口角が、自然とつり上がる。
これ以上ない最高の舞台だ。
この劇的なヒロイック・シーンを逃す手はない。
俺は加速状態のまま、瞬きする間もなくその子供のすぐ側まで駆け付けた。
そのまま子供を小脇に抱えて離脱しようかとも考えたが、即座にそれを否定する。
超加速状態のまま、急に抱え上げて動かせば、凄まじいG(重力加速度)と衝撃の負担によって、このガキの内臓は一瞬でひしゃげ、首の骨が折れてしまうだろう。
ならば、答えは一つだ。
俺は子供の前に立ちはだかり、加速魔法を停止させると同時に、腰の剣を引き抜いた。
直後、魔獣の超重量のハサミが、俺の頭上へと叩き落とされる。
――ガキィィィィンッ!!
鼓膜を破壊するような金属音と、猛烈な衝撃波が周囲の瓦礫を円状に吹き飛ばした。
並の戦士なら、受け止めた剣ごとミンチにされている超重量の一撃。
しかし、土煙が晴れた後――
そこに立っていた俺は、ただの一歩も後退していなかった。
「……ギチィッ!?」
ギガ・スコーピオンが、信じられないものを見たかのように複眼を揺らす。
当然だ。
俺には『精霊王の加護』が備わっており、さらにダメージカット魔法『プロテクション』を100パーセントに近い精度で展開することができる。いかに巨大な質量の攻撃であろうと、俺の絶対防御を抜くことなど不可能なのだ。
「ひぃっ……!」
背後から、恐怖で引きつったか細い悲鳴が聞こえた。
声の高さからして、どうやら俺が庇ったのは幼い女の子のようだった。
***
敵の最大の攻撃を正面から軽々と弾き返した俺は、背後の少女を庇いつつ、流れるような足さばきで敵の死角へと回り込む。
「ほれほれ、こっちだ」
挑発するように魔物の身体を剣で叩き、少女から引き離すように誘導する。
獲物を逃がすまいと、ギガ・スコーピオンが怒り狂ったように旋回し、頭上から必殺の尾の針を弾丸のような速度で突き刺してきた。
俺は高熱の溶融毒が滴るその針を最小限の動きでさばき、滑るように回避する。
一瞬で体勢を整え、ガラ空きになった敵の胴体の側面に向かって、踏み込みと共に渾身の突きを放った。
ズガンッ!
という鈍い音と共に、剣の先端が赤黒い外殻を正確に貫き、硬い肉に食い込む。
(浅い――が、俺の目的にはこれで十分だ)
俺はその瞬間に、剣身を伝わせて『時限式爆裂魔法』の圧縮された魔力を、敵の体内へと直接流し込んだ。
剣で肉を抉られた痛みで、ギガ・スコーピオンは耳障りな咆哮を上げ、両方のハサミを振り上げて俺をすり潰そうとした。
しかし、俺はすでにそこにいない。
攻撃が届く直前、俺は『転移魔法』を発動し、後方にある無事な家の屋根の上へと一瞬で逃れていた。
屋根の上から見下ろす俺の眼下で、魔獣が俺の幻影を探して暴れ狂っている。
だが、戦いはすでに終わっていた。
「――お前はもう、死んでいる」
俺が冷酷にそのセリフを口にした、直後だった。
――ドゴォォォォォォンッ!!!
ギガ・スコーピオンの分厚い外殻の内側から、凝縮された魔力が一気に起爆した。
強固な装甲が内圧に耐えきれず、風船のように膨れ上がったかと思うと、次の瞬間には魔獣の巨体は凄まじい爆音と共に内側から木っ端微塵に四散した。
緑色の体液と肉片が、雨のように砂漠の街へと降り注ぐ。
圧倒的な暴力の終わり。
土煙が晴れる中、地面にへたり込んでいた少女が、恐怖を忘れたかのように、ただ不思議そうな表情で、屋根の上に立つ俺の姿を見上げていた。




