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第345話 息抜きも大事

 世界規模で同時多発的に発生したモンスター・スタンピード。


 だが、事態は最悪の結末を免れつつあった。

 報告によれば、アースガルド王国の重鎮であるクロウリー公爵家は、領地への壊滅的な被害を未然に防ぐことに成功したらしい。


 彼らはこれから、残存する魔物の数を徐々に間引きつつ、住居や生活基盤を失った領民たちの救済と復興に当たるだろう。

 王国の希望であるリアム王子も、公爵領の安全が確保されれば、すぐさま他の被災地へと救援に赴くはずだ。


 俺にとって重要なのは、クロウリー公爵領が安泰となったという事実そのものだ。


 あの公爵領は、俺の統治下にあるドワーフ自治領と隣接している。

 防波堤の一角となるアースガルド側が持ちこたえたことで、連鎖的にドワーフ自治領への負担も大幅に軽減されたことになる。


 対魔物戦における直接的な戦闘能力が低いドワーフたちを守るため、現在配置している戦力『キラー・マシーン三号機』を別の場所に引き抜くことまではできない。


 だが、ひとまずは俺の縄張りであるドワーフ自治領の安全は、盤石なものとして確保されたとみていいだろう。


(……これで、背後を突かれる懸念は一つ減ったな)


 頭の中で複雑に絡み合っていた盤面の駒を整理し、俺は小さく息を吐いた。


 常に張り詰めていた思考を、少しだけ緩める。

 魔界での苛烈な戦闘と人間界の情勢確認が一段落した今、次なる一手を打つ前に、俺自身にもわずかな『息抜き』が必要だった。



 ***


 俺は空間を跳躍する『転移魔法』を展開し、自らの縄張りとなっているオアシス都市国家連合ザハラの地方都市、『イスファラ』へと一瞬で移動した。


 転移先として指定したのは、あらかじめ俺が個人的に確保しているプライベートな空間――この都市の領主であるサーメフ・ザカリアの広大な屋敷の一室だ。


 視界が切り替わり、豪奢な絨毯の敷かれた部屋に降り立つ。

 乾いた砂漠の熱風を遮断した、ひんやりと薄暗い室内。


 俺は油断することなく、到着した瞬間に『空間把握能力』を高精度で使い部屋の隅々までを探った。魔力的なセンサーや、物理的な盗聴器などの不審なものが仕掛けられていないかを念入りにチェックする。


 結果はシロ。

 部屋に一切の異常がないことを確認した俺は、ようやく隠密状態を解き、領主サーメフに会いに行くため扉を開けた。


 廊下を歩き出すと、すぐに見回りの衛兵と遭遇した。


 突然現れた俺の姿を見た衛兵は、まるで死神にでも出会ったかのように一瞬で顔面を青ざめさせ、ガチガチと鎧を鳴らしながら、這うようにして俺を領主の執務室へと先導した。


「久しぶりだな。この地域の情勢について、報告を聞かせろ」


 執務室の重厚な扉をくぐるなり、俺は領主サーメフを見下ろして尋ねた。


「ひぃっ! し、漆黒の魔剣士殿……! よ、よくぞお越しくださいました……っ」


 豪華な椅子から跳ね起き、床に額を擦りつける勢いで頭を下げるサーメフ。

 その傍らには、彼の息子が立っていたが、息子の方は俺と目が合った瞬間に全身をガタガタと震わせ、滝のような冷や汗を流して硬直している。


 無理もない。

 以前、俺の逆鱗に触れた息子の一人を、文字通り『細切れ』にして始末し、地獄の苦しみを与えた過去があるからだ。


 ポーカーフェイスを取り繕うような精神的な余裕など、彼の心からはとうの昔に消え去っている。


「世界各地で大規模な魔物災害が発生しているが、この辺りに影響はあるか?」


「は、はい! 幸いにして、我がイスファラへの直接的な被害は軽微に留まっております。ですが……聖都の方で大規模な魔物の襲撃があった影響により、物流網に深刻な混乱が生じておりまして……」


 サーメフが震える声で報告する。


 世界全体で魔物の総量が爆発的に増えたせいで、街道を行き交う商隊が魔物に襲われる頻度も急増しているという。


 ただ、この町自体に被害は出ていない。

 町の衛兵たちの奮闘に加え、悪徳大臣カリムの傘下にある武闘派盗賊団「サンド・ファング」が、積極的に町周辺の魔物討伐に尽力してくれている。


 とはいえ、ここは過酷な砂漠の町だ。

 オアシスがあるとはいえ、外部からの物流が完全にストップしてしまえば、他の地域以上に生活への影響が直撃する。


「……なるほど。アースガルド方面からの輸送だけでも、滞りなく行われるように俺の方から配慮してやろう。ただ、危険手当として料金は通常より割増しになるぞ。それでも構わないな?」


「ははっ! 漆黒の魔剣士殿の海より深いご配慮――誠にありがたく存じますっ!」


 俺からの提案(という名の通達)が何事もなく、そして一方的に終わったことで、サーメフとその横で息を殺していた息子は、あからさまに安堵の息を漏らした。



 ***


 必要な視察と業務連絡は済ませた。

 さて、息抜きをするか――そう思った矢先だった。


 執務室の扉が軽くノックされ、サーメフの娘であるフィラーマ・ザカリアが、花が咲くような笑みを浮かべて会談の場に顔を出した。


「ゼノス様! お久しぶりですわ。せっかくお越しになられたのですから、わたくしにもちゃんとお顔を見せてくださいませ」


 彼女は、俺の残酷で血塗られた『本当の恐ろしさ』を一切知らない。


 だからこそ、父親や兄が怯えて縮み上がっている空気などお構いなしに、美しいドレスの裾を揺らしながら、親しげに俺の腕にすり寄ってくるのだ。


 なんとも呑気なものである。

 だが、今の俺は休息を求めていた。


 彼女の屈託のない誘いに乗るのも悪くない。

 俺はフィラーマを伴い、彼女の豪奢な私室へと向かい、そこで心地よい汗を流すことにした。


 ――数時間後。


 灼熱の砂漠の中にある、涼やかなオアシスの屋敷。

 香炉から立ち昇る甘いエキゾチックな香りに包まれた豪奢なベッドに寝転がりながら、俺は深い余韻に浸っていた。


 隣では、砂漠の民特有の褐色で健康的な美しさを持つフィラーマが、満足げな寝息を立てている。


 張り詰めていた神経がほぐれ、ようやく人並みの『息抜き』ができたと感じていた。



 ***


 だが、その安息は唐突に破られた。


「――ヒィィィィッ! た、助けてくれぇぇっ!!」


 突然、静寂に包まれていた屋敷の外から、鼓膜をつんざくような喧騒と悲鳴が巻き起こったのだ。


 ただ事ではない気配を感じ取り、俺はベッドから身を起こす。


 直後、バタンッ!

 と乱暴な足音が廊下を駆け抜け、フィラーマの部屋の扉の向こうで、完全にパニックに陥ったサーメフが大声でわめき散らし始めた。


「し、漆黒の魔人殿っ! この町に、あのような恐ろしい魔物を差し向けるとは、一体全体何事ですかァッ!?」


 扉越しに聞こえる声は、恐怖と混乱で裏返っていた。


「我らは! 我らはあなた様に対して、これまでひたすら従順に尽くしてきたではありませんか! それなのに、このような一方的な殺戮の仕打ち……っ、いくらなんでも、あんまりでございますぅぅッ!!」


「……あ?」


 俺は冷たい目で扉を睨み据えた。


 全く身に覚えのない言いがかりだ。

 俺が魔物を差し向ける理由など、今の状況下において一つも存在しない。


 何事かと思い、急ぎ衣服を纏って部屋の外に出る。


 怯えきったサーメフの襟首を掴んで強引に事情を聴き出すと、どうやらイスファラの町のすぐ外に、見たこともないような『大型の魔獣』が出現し、暴れ回っているらしい。


 俺のせっかくの息抜きを邪魔した、そのふざけた魔獣の正体を確認するため、俺は舌打ちと共に屋敷の外へと視線を向けた。

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