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第333話 秘書の男の報告

(悪徳大臣カリムの視点)


 ザハラ王国の聖都「アル・ジャバル」の中枢、王宮の作戦会議室。


 分厚い絨毯の敷かれた豪奢な空間は、今や絶望と汗の臭いで満たされていた。

 忌々しいことこの上ないが、魔物の大量発生という国家存亡の危機ともなれば、宰相であるこのワシが、不本意ながら直接指揮を執るしかあるまい。


 物見の兵からの報告によれば、砂漠の地平線を埋め尽くすほどの魔物の大群が、猛烈な砂煙を上げながら一直線にこの聖都を目指して進軍してきているという。


 しかも厄介なことに、その群れの中には空を覆う飛行能力のある魔物や、地響きを立てて歩く三メートル級の巨大ゴーレムまでもが含まれているらしい。


 我が国の誇る常備兵や城壁の防衛設備など、人の手による通常兵器の迎撃では、到底間に合うはずがない。


「慌てるな、愚図ども! 我が国には最強の盾があるだろう!」


 魔物の群れの進軍が確認され、対応を迫られたその時、ワシは即座に奥の手である「使役魔獣」による迎撃を命じた。


 我が国が誇る一流の魔物使い(テイマー)たちが手塩にかけて操る、三体の規格外の魔獣たち。それこそが我が国の防衛の要――それがある限り、いかなる外敵をも屠る絶対の自信があった。


 しかし――。

 ワシの隣に控える、雑務全般を任せている神経質そうな秘書の男が、青ざめた顔でゆっくりと首を横に振ったのだ。


「……宰相閣下。国防の要である使役魔獣三体は……既に報告いたしました通り、――『漆黒の魔剣士・ゼノス』の手により、全て殺害されております」


「な、何じゃと!!?」


 ワシは信じられない言葉に、思わず椅子から立ち上がった。


 砂漠の主である『グランド・サンドワーム』。

 猛毒を撒き散らす『ジャハル・ナーガ』。

 鉄壁の装甲を誇る『デザート・ゴーレム』。


 それら最強の三体が、全て……あの忌まわしき「漆黒の魔人」によって殺されているというのだ。


 秘書は「既に報告していた」と冷たい声で言うが、ワシの優秀な頭脳には全くそんな記憶はない。


 無理もない。


 ワシは自分にとって興味のないことなど、記憶に残らないどころか最初から頭に入ってこないという、高貴な精神構造をしているのだから――。



 ***


 しかし、あの傍若無人で恐ろしい「漆黒の魔人」は、なぜ我が国の使役魔獣をピンポイントで殺したのか?


 少し考えれば、答えなどすぐに出る。

 いや、考えるまでもないことだ。


 あの邪悪の化身のような魔人が思惑など、これしかない。

 ――この国を、そしてこのワシを、圧倒的な恐怖で脅すためだ。


(防衛能力を低下させておいたところに、あの大量の魔物の群れをけしかけ、ぶつける。逃げ場のないこの絶望的な状況を作り出せば、ワシがどのような理不尽な要求にも屈するしかないと踏んだのだな!)


 何たることだ。

 なんという悪逆非道。


 ワシは以前、あの邪悪な魔人に大量の金貨を脅し取られた。

 しかし、その暴虐にもめげずに、愚民共を生かさず殺さずのギリギリの税率状態を維持し、密かにコツコツと自分用の裏金を蓄えていたのだ。


 おそらく、あの邪悪な魔人の狙いは――

 ワシが苦労して集めたその新たな富の全てだろう。


(このような回りくどいことをせずとも、夜中に直接ワシの寝所に現れて脅し、金貨を奪い取ればいいものを……! なぜ、国ごと滅ぼしかねないような魔物をけしかける真似をするのか? 決まっている。それは奴が、他者の苦しみを喜ぶ、純粋な『邪悪』だからだ!)


 あの男の底知れぬ悪意に、ワシはギリッと強く歯噛みした。

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。ワシの財産と命を守るため、今ある貧弱な戦力を総動員して、なんとしても町を守る手立てを打たねばならない。



 ***


 しかし、現実は非情であった。

 予期せぬ魔物の大量発生。その厄災は、瞬く間に砂漠を超えて聖都に迫り、ついに強固なはずの城門を物理的に破壊して、町の中へと雪崩れ込んできたのだ。


『西門、突破されました!』

『第三街区に魔物が侵入! 兵士の手に負えません!』


 大型の魔物に門を破られ、ワシの美しい町が、ワシの財産である民が、醜悪な魔物たちによって無残に蹂躙されていく。


 直ちに防衛網を再構築し、市街戦で迎撃するように悲痛な声で命じたが、いかんせん入り込んできた魔物の数が多すぎる。


 連携もクソもなく、対処が全く間に合わない。


 このままでは、ワシの国が終わる。

 ワシの命も終わる。


 絶望が会議室を支配した、まさにその時だった。


 バンッ!!


 ノックもなく、乱暴に扉が蹴り開けられ、その男が姿を現した。


「おい、カリム! この俺が来てやったぞ!!」


 漆黒の魔人。

 このふざけた事態を招いた、諸悪の根源。


 そいつは、背後に見上げるほど巨大で不気味な鋼鉄の魔物(キラー・マシーン一号機)を連れて、この悲壮感漂う会議室に、遠足にでも来たような軽い足取りで現れたのだ。


 ワシは、そのドヤ顔を見た瞬間。

 激しい「怒り」が胸の奥からマグマのように噴き出した。


 だが、その怒りはすぐに、どうにもならない「悲しみ」と「無力感」、そして凄まじい「怨嗟」へと変質し、全てがないまぜになって爆発した。


 限界だった。

 ワシの精神は、ここで完全に決壊した。


 ――慟哭。


「そ、そんな……! このタイミングでくるとは……う、うぉお……うおおおおおおおんっ!!」


 ワシは無様に椅子から転げ落ちながら、自然とあふれてくる涙と、それに伴う嗚咽を抑えることができなかった。


 王国の宰相としての矜持も忘れ、ワシは子供のように大声で泣きじゃくった。

 床に額を擦りつけ、鼻水を垂らしながら。


 そんなワシの惨めな姿を、「漆黒の魔人」は、さも満足そうに見下ろしている。


 『ふははははっ! どうだ? 人間とは、俺の前ではこうあるべきだ』

 ――とでも言いたげな、傲慢で底意地の悪い顔だった。


 我が聖都は今、お前が差し向けた魔物の侵略を受けている最中だ。

 あと数日、いや数時間もすれば、この町は完全に魔物に飲み込まれて滅亡するだろう。


 抗う術など、最初からなかったのだ。


 徹底的に無力な自分を痛感して泣き喚くワシを前にして、この町を滅亡寸前に追い込んでおいて――その邪悪な男は心底よろこんでいる。

 魔人というのは、どこまでも狡猾で醜悪な存在なのだと、ワシは涙の奥で呪った。



 ***


 ひとしきりワシの絶望を味わった後、漆黒の魔人が口を開いた。


「オルカスの奴が、世界規模で魔物を大量発生させていてな。どうやらここも大変みたいだ。俺の配下を置いていく。迎撃を手助けしてやるから、今の感謝を忘れるなよ」


 それだけを一方的に告げると、奴は煙のようにスッと姿を消した。


 ……ん?

 鼻水をすすりながら、ワシの優秀な頭脳が、今の言葉を高速でリフレインする。


(オルカス……? この事態を引き起こしたのは、あ奴と現在敵対しておるという、魔界の重鎮オルカスだったのか……?)


 そして、あ奴は自らがけしかけたのではなく、純粋に「援軍」としてあの鉄の魔物を置いていったのだという。

 ワシの頭の中で、パズルのピースがカチリと音を立ててはまった。


 その瞬間、ワシは腹の底から激怒した。


(だったら……だったら、最初からそう言えええええっ!! 貴様が助けに来るのが遅いせいで、ワシの町に莫大な被害が出ているではないか!! この無能魔人めが!!)


 怒りでおかしくなりそうだった。

 だが、ワシはザハラ王国を裏で牛耳る宰相だ。


 そんな煮えくり返るような内心を、瞬時に作り上げた完璧な「笑顔」で分厚く覆い隠す。


 ワシは床からすっくと立ち上がると、先ほどまでの涙を絹のハンカチで優雅に拭い、残された不気味な鋼鉄の魔物に向かって、揉み手をしてすり寄った。


「こ、これはこれは、漆黒の魔人の配下殿! 遠路はるばるのご到着、痛み入ります。早速で大変恐縮なのですが、まずはこの王宮周辺エリアの魔物から優先して退治していただけると、大変助かるのですが――」


 ワシは声のトーンを最大限に媚びたものに変え、言葉の通じるかどうかもわからない不気味な魔物に対して、ちゃっかりと市街地魔物の掃討を依頼したのだった。

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