第330話 視察
光と闇が同量に混ざり合う、絶対的な消滅魔法の閃光。
捕獲したアシュラフの魔力奴隷・ゾルタンは、俺がルシフィールに依頼したその光に飲み込まれ、細胞の欠片も残さずに消え去った。
闘技場の支配者の、呆気ない最期だった。
だが、完全に消滅するその刹那、ゾルタンが俺に向けて感謝の微笑みを浮かべるようなことは決してなかった。あいつは最期の瞬間まで、醜く顔を歪め、俺に対する怒りと恨み言を喚き散らしていたのだ。
よっぽど、俺のことが気に入らなかったみたいだ。
身勝手な逆恨みとはいえ、少しばかりイラッとはする。
だが、俺はすぐに思考を打ち切り、気持ちを切り替えた。
あんな取るに足らないゴミ虫の怨嗟など、俺の脳の容量を割いてまで覚えておく価値もない。
聖域内の清浄な空気を背に、俺は空間を跳躍し、人間界の王都にある自身の屋敷の寝室へと転移で戻った。
柔らかいベッドに身を沈め、目を閉じる。
これからの終わりなき長期戦を見据えると、睡眠という完全な休息をとることが、今は何よりも重要なミッションだった。
**
チュン、チュン、と小鳥のさえずりが窓越しに聞こえる。
心地よい朝の陽光で目覚めると、ちょうど専用メイドのリーリアが、銀のトレイを手にして部屋に入ってきたところだった。
「おはようございます。ご主人様」
朝の澄んだ空気のように爽やかな、心底嬉しそうな笑顔。
起きてすぐに彼女の献身的な微笑みが見られるとは、それだけで今日が良い朝だと思える。
俺は寝巻きから真新しい服へと着替えを済ませ、ダイニングルームへと向かい、温かい湯気を立てる朝食を取った。
ナイフで肉を切り分けながら、同席している婚約者のセシリアやリゼルから、昨晩の騒動に関する詳細な情報を聞く。
彼女たちの報告によれば、王都郊外から多数の魔物が入り込んでいたらしい。
しかし、歴史ある貴族の屋敷はそれぞれ優秀な私兵や騎士を抱えているため、屋敷を拠点とした防衛戦であれば、下級の魔物などに後れを取ることはない。
さらに、リーリアの報告によって、俺がオーナーを務めている大型劇場や、懇意に取引をしているザイツ商会などの無事も確認できた。資金力のある有力な商会は独自に強固な自警団を持っているため、防衛は万全だったようだ。
それに加え、俺が王都に配置しておいた分体が、隠密状態のまま密かに魔物を暗殺して回っていたことも功を奏し、王都全体の被害は想定していたよりもはるかに少なく抑えられているようだった。
しかし、当然ながら無傷というわけにはいかない。
魔物の発生地点に近い郊外を中心に、強固な壁を持たず、自衛能力の低い一般の民衆には、確実に被害が出ている。
不幸中の幸いと言うべきか、魔物の発生源であったあの地下闘技場跡地からは、昨晩以降、新たな魔物の発生は確認されていないらしい。
(こうなると、王都の守りを薄くしてまで、地方へ大軍を動かすことはできないだろうな……。おそらく、王国軍の本隊は王都防衛に残し、機動力と殲滅力に秀でたリアム王子が、少数の精鋭護衛と共に各地へ援軍として駆け付ける――という方針に落ち着くはずだ)
王国軍の広域への動きが制限されるとなれば、全国各地で同時多発的に起きているモンスター・スタンピードの対応は、各領主の独自の軍事力のみで行うことを迫られる。
俺は食後の紅茶を飲み干すと、静かに立ち上がった。
自らの領地の状況を、この目で直接確認するためだ。
***
俺が最初に視察に向かったのは、自身の統治下にあるドワーフ領。
その南西の国境付近に位置する防衛砦だ。
あらかじめ砦内に用意させてある専用の部屋へと、転移魔法で一瞬にして移動する。
部屋の窓を押し開けた瞬間、生ぬるい風と共に、鼻を突く濃密な血と硝煙の匂い、そして魔物たちの鼓膜を劈くような断末魔の叫びがなだれ込んできた。
眼下の戦場を見下ろす。
そこでは、俺の分体である二体の『キラー・マシーン三号機』が、押し寄せる魔物の群れを、文字通り無慈悲に蹂躙していた。
轟音を立てて駆動する鋼鉄の剣が魔物を両断し、時限式爆裂魔法が敵を次々と消し炭に変えていく。
普段、彼らにはもっと森の奥地で魔物狩りをさせているのだが、今はずいぶんと砦の近くまで下がっている。
(なるほど。これだけ魔物の数が多いと引き下がらずを得ないか――森の奥で戦っていると魔物を撃ち漏らし、砦への侵入を許してしまうリスクがある。そこで戦線をここまで意図的に後退させ、強固な砦を背にして防衛ラインを構築し、誘い込んだ魔物を確実に殲滅する方針に切り替えたというわけか)
状況に応じた、分体の極めて合理的な戦術判断だ。
しばらく窓から戦況の推移を観察していたが、この圧倒的な殲滅力を見る限り、防衛線が突破される心配はなさそうだ。
ここは問題ないと判断した。
***
視察を終え、部屋を出て砦の内部の薄暗い通路を進む。
そこには、武器を手にしながらも、恐怖で顔を引きつらせ、右往左往と慌てふためいているドワーフの兵士たちの姿があった。彼らにとって、これほどまでの魔物の異常発生は未曾有の事態なのだ。無理もない。
俺は彼らの前に歩み出ると、重厚で落ち着いた声を響かせた。
「案ずるな。こちらに向かってきている魔物の群れは、俺の配下(分体)たちが問題なく処分している。数日も耐え忍べば、敵の数も目に見えて減るだろう」
俺の自信に満ちた言葉と、一切の動揺を見せない態度に、ドワーフたちは弾かれたように顔を上げ、次第にその表情から安堵の色を浮かべていった。
砦の兵士たちを鎮撫した後、俺はそのままドワーフ領の心臓部である中央都市の王の屋敷へと転移し、国王夫妻と面会した。
二人も各地で起きている魔物の大量発生という凶報はすでに耳にしており、顔を青ざめさせて不安そうにしていた。
俺は先ほど自分の目で見てきた情報――南西からの魔物の侵入は砦の防衛線で完全に食い止めているという事実を説明し、彼らの不安を取り除いておいた。
さらに、都市の行政と物流を実質的に回している商人たちの代表とも面会し、現在の状況と今後の見通しを的確に指示する。
「住民の間に根拠のない噂が広まり、パニックが起きることだけは避けねばならない。情報の管理と物資の統制を徹底しろ」
そう厳命し、領地内部の混乱の芽を未然に摘み取っておいた。
***
ドワーフ領の視察を終え、次に向かったのは、強固な同盟関係にある「エルフの森」だ。
朝から休む間もなく各地の視察を見て回っているため、太陽はすでに中天に差し掛かり、真昼の眩しい光を森に投げかけている。
転移した先のエルフの集落は、普段の静謐さとは打って変わって、ひどく慌ただしい空気に包まれていた。
いつもは風と葉の擦れる音しかしない美しい森の近くから、木々をへし折るような激しい戦闘音と、魔力の炸裂音が断続的に響いてくる。
俺はこの地にも分体を配置しておいた。
そのキラー・マシーン三号機も、ドワーフ領の砦と同じく戦線を後退させ、エルフ族の戦士たちと肩を並べて魔物の侵入を防ぐ防衛戦を展開しているようだ。
キラー・マシーン三号機のことは、あらかじめ俺の「従魔」としてエルフたちに紹介し、認知させておいた。そのおかげで無用な警戒を抱かれることもなく、彼らの間での連携は驚くほどスムーズにいっているようだ。
俺は戦況を見届けるため、エルフ族の長であるエリュシオン・エルフヘイムの元へと向かい、挨拶を交わす。
「ゼノス殿、よくぞ来てくれた」
美しい白髪をなびかせたエリュシオンと、人間界と魔界双方の必要な最新情報を迅速に共有する。
高い魔力と弓の技術を誇るエルフ族の元々の戦闘能力は、人間とは比べ物にならないほど高い。そこに俺の分体が強力な援軍として加わっていることもあり、この事態にも十分に余裕を持って対処できているようだった。
流れるような手際で魔物を仕留めていく彼らの戦いぶりを見て、俺はここも問題なしと結論付けた。
各地の防衛は、今のところ俺の想定の範囲内で持ち堪えている。
俺はエリュシオンに短く頷き返すと、被害が拡大しているであろう次なる地へと向かうべく、再び空間の扉を開いた。




