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第326話 緊急事態と状況判断

(王子リアムの視点)


 石畳を、百頭の馬の蹄がけたたましく打ち鳴らす。


 王都郊外にある違法な地下闘技場跡地から、突如として大量の魔物が出現したという凶報を受け、私は二人の側近と親衛隊を率いて現場へと急行していた。


 日は既に西の山へと沈みきり、濃密な夜のとばりが王都を黒く覆い尽くしている。松明の赤々とした炎が、焦燥に駆られる私の顔と、共に駆ける騎士たちの硬い表情を照らし出していた。


 親衛隊隊長であるサー・ガイウスが即座に選抜し、出撃させてくれた百名の精鋭たち。彼らの士気は高いが、現在の状況は決して楽観視できるものではない。


 最大の懸念事項。それは、広範囲の魔物討伐における絶対的な切り札となる、私の『天使召喚』の可否だった。


 私が天使を召喚し、自身の魔法と共鳴させることができれば、王都を覆うほどの広域に「聖域サンクチュアリ」を展開できる。ゴブリンなどの弱い魔物であれば、その浄化の光を浴びせるだけで一掃駆逐することが可能となるのだ。


「王子。現状、天使の召喚は可能でしょうか?」


 並走するサー・ガイウスが、風切り音に負けじと声を張り上げて尋ねてきた。


「まだ無理だ。あと数時間待てば可能になるとは思うが……今すぐとなると、大規模な聖域は展開できない」


 私は奥歯を噛み締めながら、端的に事実を告げた。


 今日という日は、あまりにも長すぎた。

 五時間前、学園の卒業式でのルカ・ドルトン襲撃事件において、私は既に一度天使を召喚している。


 会場に聖域を展開し、共に戦った。


 現在、私の魔力は回復途上にある。

 いかに光の神「アウロラ」の加護を受けていようと、短時間での連続使用は不可能なのだ。


「やはり、王子は後方へお下がりください。ここで焦って前線に立ち、中途半端に魔力を消耗してしまえば、いざという時の天使召喚が行えなくなります」


 銀縁眼鏡を光らせた側近のエリオットが、馬を走らせながらも冷徹なまでの正論を進言してくる。


「でもよう、エリオット! 既に町の中にまで魔物が溢れ出てきてるんだぜ!? 今この瞬間にも民が襲われてるってのに、放っておけるかよ!」


 もう一人の側近、アルドリックが血相を変えて熱く反論する。

 二人の言うことは、どちらももっともだった。


(魔物の出現が城壁の外だけであれば、門を閉ざして持久戦に持ち込み、私の魔力回復を待つという選択肢もあった。だが、既に町中に入り込まれているとなると……)


 被害の拡大は免れない。


 しかし、ここで私が小規模な魔法を撃って回るより、魔力回復に多少時間がかかったとしても、聖域を広範囲(半径数キロ圏内)に展開したほうが、結果的には効率良く街を救える。


 それで始末できる下級魔物は多いし、強力な個体であってもその力を半減させることができるからだ。


「――まずは、現場を見てからだ」


 私は手綱を強く握り直し、前を見据えて宣言した。


 常備兵たちが命懸けで魔物の侵略を局地的に抑え込めているのであれば、私は後方で力を溜め、条件が揃い次第、一気に方を付ける。


 状況を見て判断しよう。

 私たちは逸る心を必死に抑え込みながら、王都の中心から郊外へとひた走った。



 ***


 郊外の居住区に入ると、周囲の空気は一変した。


 町の住人たちには、魔物侵入の情報が既に駆け巡った後のようだ。どの家も窓や雨戸を堅く閉ざし、明かりを消して、息を潜めて建物に立てこもっている。


 そのため、通りは不気味なほどに静まり返っていた。

 聞こえるのは我々の馬の蹄の音と、鎧が擦れる金属音だけ。


 しかし、現場である闘技場跡地へと近づくにつれ、その静寂は徐々に破られていった。


「――きゃあああああっ!」


 夜気を切り裂くような悲鳴。

 散発的に上がる人々の絶望の声が、遠くから鼓膜を打つ。


 そして、鉄と鉄がぶつかる乾いた戦闘音。

 街中に配属されていた常備兵たちと、魔物との交戦の証だ。


「前方に魔物の影! 数は三!」


 暗闇の中から現れたのは、醜悪な顔をしたゴブリンなどの弱い個体だった。


「蹴散らせ! 歩みを止めるな!」


 ガイウスの号令の下、親衛隊は馬の勢いを殺すことなく、鋭い槍を突き出して瞬く間に魔物を串刺しにしていく。


 断末魔の悲鳴と共に黒い血が飛び散る。魔法を使うまでもない。

 親衛隊は魔力を温存したまま、見事な練度で障害を排除していった。



 ***


 さらに通りを進み、郊外の大通りへと差し掛かった瞬間――

 私達はあまりの惨状に息を呑んだ。


 そこは、文字通りの地獄だった。


 大通りにはおびただしい数の魔物があふれ返っていた。

 建物の扉や壁は無惨に破壊され、内部にまで魔物が入り込んでいる。


 風に乗って鼻を突くのは、濃密な血の匂いと、内臓が焼け焦げる悪臭。

 そして鼓膜を揺らすのは、建物の倒壊音と、グチャリ、グチャリという吐き気を催すような捕食の音だった。


 蠢く魔物の群れは、先ほどのゴブリンとは比較にならない。

 大きさも、放つ凶悪な魔力の強さも段違いに増している。


 兵士が戦う姿は、どこにもない。

 逃げ惑う人々の姿もない。


 動ける人間は、既に全て殺されていたのだ。


 魔物の群れは建物を徹底的に破壊し、そこに隠れ潜んでいた人間を引きずり出しては、貪り食っていた。


「総員、戦闘態勢! 攻撃魔法の構築に入れ!」


 ガイウスの鋭い指示が飛ぶ。

 親衛隊は一糸乱れぬ動きで馬から下り、陣形を組んだ。


 彼らは標的を脅威度の高い大型の魔物に絞る。

 短い言葉と視線で意思疎通を図り、攻撃がかぶらないよう計算し尽くされた見事な連携で、攻撃魔法を一斉に解き放った。


 轟音と共に炎が上がり、大型の魔物たちが悲鳴を上げて吹き飛ぶ。

 厄介な敵は高火力の攻撃魔法で確実に仕留め、それ以外の小型の魔物は、陣形を維持したまま剣や槍の物理攻撃で容赦なく減らしていく。


 この一帯の敵に関しては、彼らの精強さをもってすれば順調に対処できている。

 しかし、最大の問題は……圧倒的な「敵の数」だった。


 他の路地から、大通りから、倒しても倒しても、次から次へと魔物の群れが街の中に溢れ出てくるのだ。


(天使の召喚が可能になるまで、おそらくあと三時間……!)


 私は焦燥感に歯噛みした。

 親衛隊も無尽蔵の魔力を持っているわけではない。


 この激しいペースで戦い続けられるわけがないのだ。


「光属性持ちは前へ! 結界を構築しろ!」


 ガイウスの判断は的確だった。

 親衛隊の中から光属性の魔力を持つ者たちが中央に集まり、詠唱を開始する。


 まばゆい光が広がり、我々の周囲をドーム状に覆う「光の結界」が張られた。

 天使の「聖域」に比べればランクも浄化力も落ちるが、魔物はこの光を嫌うため、この場所の内側であれば我々は有利に戦えるようになった。


 戦闘の激しい音と、漂う濃密な血の匂い。

 それに惹きつけられた魔物たちが次々とこの結界の周囲へと集まってくる。そこを内側から効率的に迎撃するのだ。


 この場を強固な拠点として戦う。

 問題を一気に解決できるわけではないが、現状取り得る次善の対応だった。


(ここで彼らが踏みとどまってくれるなら、私は魔力を温存すべきだな……)


 私がそう判断し、剣の柄から手を離しかけた、まさにその時だった。



 ***


「おうおう。何やら派手な魔法の光が見えたから、どんな大物がいるのかと思って来てみれば……」


 空気を凍りつかせるような、ひび割れた濁声が響いた。


 狂乱していたはずの魔物たちが、まるで絶対的な上位者におびえるように――

 モーセの海割りのごとく道をサッと開ける。


 結界の光に照らし出されて闇の中から現れたのは、ゴロツキの親玉のような下品な身なりをした男だった。


「親衛隊の精鋭と、王子様のお出ましとはなァ。いやはや、恐れ入るぜ」


 男は下劣な笑みを浮かべ、首をゴキリと鳴らした。


 その瞬間、私の全身の産毛が総毛立った。


 ただのゴロツキではない。

 男の全身からは、数時間前に学園で対峙したあのルカ・ドルトンのような、いや、それ以上に濃密で邪悪な威圧感が、どす黒い瘴気となって立ち昇っていたのだ。


 ただそこに立っているだけで、結界がミシミシと軋みを上げ、親衛隊の面々が息を呑むのがわかる。


 圧倒的な死のプレッシャー。


(……こいつは、親衛隊だけでどうにかなる相手ではない!)


 どうやら、悠長に魔力を温存して回復を待つようなゆとりは、我々に残されていないようだ。


 私はゆっくりと剣を抜き放ち、王都の闇に現れた絶望的な強敵を見据えた。

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