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第325話 祭りの後

 (ゼノス視点)


 黒雷と豪水による余韻が消え、魔界の森に静寂が戻ってきた。


 俺は「サルの魔人」――

 ハヌマン・シャーを完全に討伐した。


 分厚い雷雲から降り注ぐ冷たい大雨が、先ほどまで激しく燃え盛っていた森の木々を容赦なく打ち据えている。


 ジュウウウウゥゥゥ……。


 赤熱した大地や黒焦げになった巨大な猿の残骸に雨水が触れ、真っ白な水蒸気となって視界を覆っていく。焦げた獣の体毛の匂いと、大気に満ちたオゾンの匂いが鼻を突く。


 広範囲に及んでいた延焼はすでに俺の降らせた雨で止まっているが、深く積もった灰の下には、まだくすぶっている厄介な火種が残っているかもしれない。


「そこは私たちに任せて。地中深くの根のネットワークを使って熱源を見つけ出し、残らず対処しておくわ。この森は自分の体の一部のようなものだし、事後処理は抜かりなく行えるから安心して」


 俺の脳裏をよぎった懸念を読み取ったかのように、俺の肩にちょこんと乗っている「豊穣のデメテル」の分体が、頼もしい声でそう答えた。


「そうか、助かる。じゃあ、俺たちは今日のところはいったん家に帰るか」


 いくら圧倒的な力を持つとはいえ、連続した規格外の魔法行使は精神力を削る。

 俺は小さく息を吐き、肩の力を抜いた。


「そうじゃの! 今日はたくさん働いて、わらわもちょいと疲れたのじゃ。温かいお茶でも飲んで休みたいぞ」


 俺の提案に、空中に浮かぶ守護精霊シルフィーが嬉しそうに賛成の声を上げる。

 しかし、こちらの様子を地中から見に来ていた茨姫ロゼ・ソーンが、不満げに真っ赤な唇を尖らせて渋った。


「えーっ!? ちょっと待ちなさいよ! まだ別の方向からたくさん敵の眷属が入ってきているのに、何でこのタイミングで帰るのよ。全部綺麗に倒してから消えなさいよね。それに……帰るなら、シルちゃんのことはここに置いていきなさい!」


 ロゼ・ソーンは背後の巨大なツタをバタバタと揺らし、子供のように我儘を言う。


「そういう訳にもいかない」


 俺は冷静な声色で、感情的になる彼女を諭すように言葉を紡いだ。


「俺のような『人間』には、魔人と違って体力の限界というものがある。精神をすり減らしたままでは万全のパフォーマンスは発揮できない。睡眠や休養は必須だ。この魔界での戦いが長期戦になることを考えれば、適切にオンオフを切り替えることこそが、戦略上、一番重要と言えるんだ」


 俺の極めて論理的な説得を受け、ロゼ・ソーンは腕を組み、しばらく思案するように目を伏せた。


「ふーん……そういえば、野生の動物はよく気を抜いて休んでいるときがあるけど、あれって怠けているわけじゃなくて、生存のために必要なことだったのね。まっ、いいわ。一番厄介だった『蟲』と『サル』を始末してくれたことだし、今日のところは大目に見てあげる」


 彼女は意外にもあっさりと、俺の帰還を了承してくれた。


(それに、人間界の方の状況も気になるしな……)


 俺の心には、一つの黒い雲が立ち込めていた。


 屋敷の防衛自体は、絶対の自信を持つ俺の分体「キラー・マシーン3号機」に守らせているから平気だろう。

 だが、アシュラフによる世界同時多発的な「襲撃宣言」が事実だとすれば、屋敷以外の場所……王都や各地の領地がどうなっているか、気が気ではない。


 シルフィーが淡い光と共に実体化を解いて「クロノス・ヴァイス」の剣身へと戻るのを確認し、俺は空間を繋ぐ転移魔法を起動して、人間界の屋敷へと帰還した。


「さて、こっちはどうなっているかな……」


 見慣れた屋敷のエントランスに降り立つと、心配そうに待っていた婚約者たちが一斉に駆け寄ってきた。

 俺は彼女たちに出迎えられながら、人間界の現在の状況について、詳細な報告を聞くことになった。



 ***


(王子リアムの視点)


 王宮の豪奢な会議室は、まるで巨大な墓所のように重苦しく、冷え切った空気に包まれていた。


 私は大きな円卓の席に座り、数時間前に学園の卒業式で起きた悪夢のような出来事を、血の気の引く思いで反芻していた。


 ――邪悪な力に完全に汚染され、別人のように豹変したルカ・ドルトン。

 ――そして、突如として空間を割って現れた、不気味な笑みを浮かべる『執事服姿の魔人』の絶対的な襲撃。


 あの絶望的な状況下で、私の展開した「聖域サンクチュアリ」と、こつ然と現れた我が宿敵であるゼノス・グリムロックの意味不明な力によって、その場は辛くも切り抜けることができた。


 しかし、事態が好転したわけではない。

 むしろ、人類にとってかつてないほど深刻な事態が、水面下で同時進行していることに変わりはなかったのだ。


 あの執事服姿の魔人が去り際に残した言葉が、呪いのように耳にこびりついて離れない。


 奴の目的は、「古の魔王の復活」。


 そして、その恐るべき儀式には“人類の半数の死”という生贄が必要なのだと、まるで取るに足らない事実でも告げるかのような声で宣言した。


 目的を達成するため、奴はこの世界に存在するすべての「魔物の湧き点」から、数千から数万という途方もない数の魔物を、一斉に召喚したという。


 もしそれが事実ならば、人類は滅亡の縁に立たされている。


 まずは、その狂気じみた宣言の真偽を確かめねばならない。

 学園から魔人が消えた後、私は震える足に鞭を打ち、信頼する側近のアルドリックとエリオットを伴って、大急ぎで王宮へ帰還した。


 そして現在、青ざめた顔の父王の隣席の下、国の主だった貴族や軍の重鎮たちを緊急で集め、事件の報告と、それを前提にした最悪の事態の対策会議を行っている最中だった。


「まさか、そのような馬鹿げたことが……! 数万の魔物だと!?」

「昨年から『鋼鉄の魔人』に『氷結の魔人』と、立て続けに恐ろしい襲撃が相次いだが……今度は得体のしれない執事服の魔人とは。我が国は呪われているのか……」

「し、しかし! 流石はリアム王子ですな! そのような恐ろしい魔人の襲撃を見事に撃退なさるとは、まさに救世の光!」


 現実逃避をする者、絶望に打ちひしがれる者、そしてこんな時でさえ私への媚びへつらいを忘れない愚かな者。


 シャンデリアの光の下、会議室のざわめきと無意味な言葉の応酬に私が頭痛を覚えていると、私の背後で起立したまま控えていたエリオットが、冷徹なまでに通る声を発した。


「静粛に。現状を嘆いても状況は好転しません。これから我々が国としてどう動くのか、最悪の事態を想定した上で優先順位を定めたいと思います」


 エリオットの理知的な声に、場が水を打ったように静まり返る。


「まず行うべきは、『執事服の魔人』の宣言の真偽確認です。早急に通信魔法を使い、魔物の湧き点が確認されている近隣の領主、並びに、アドラステア帝国、ザハラ王国と連絡を取り、情報共有を行い、各湧き点の状況を正確に把握します。――仮に、魔人の言葉通り数千の魔物が一度に湧き出していた場合、それらは飢餓を満たすために、近隣の人里から順番に襲っていくでしょう。我々に猶予はありません。騎士団の全軍出撃準備と、リアム王子の出陣準備を進めるべきです」



 ***


 エリオットが、銀縁の眼鏡を中指でくいっと直し、淀みない口調で的確な方針を話している、まさにその時だった。


 ――バンッ!!!


 突然、重厚なオーク材の会議室の扉が、蝶番が吹き飛ぶほどの勢いで乱暴に開かれた。


「なんだ貴様は! 今は国家の存亡を懸けた重要な会議中だぞ! 無礼であろう!」


 年老いた将軍が怒鳴り声を上げるが、飛び込んできた伝令の兵士は、兜を落とすのも構わず、青ざめ、滝のような汗を流しながら叫んだ。


「し、失礼します! き、緊急の報告です! 王都郊外の『地下遺跡跡地』から、突如として大量の魔物が湧きだしているとの報告が入りました!! すでに常備兵だけでは到底対処できず、防衛線が崩壊寸前です! 急ぎ、リアム王子と騎士団の出陣の要請が来ております!!」


「なんだと……!?」


 私は思わず席を立ち上がり、息を呑んだ。


 王都郊外の地下遺跡跡地。

 そこは確か、違法な地下闘技場があった場所のはず。


 あそこは、淀んだ魔力が溜まる『魔物の湧き点』ではない。

 それなのに、なぜそこから大量の魔物が発生しているというのか。


 魔人の宣言とは異なる、全くのイレギュラーな事態。


(敵の狙いが読めない……。だが、王都の民を危険に晒すわけにはいかない!)


「一刻の猶予もありません。私が直ちに迎え撃ちます」


 私は腰の愛剣の柄を強く握りしめ、覚悟を決めた声で宣言した。


 そして、動揺する貴族たちを置き去りにするように、マントを翻して力強く立ち上がり、アルドリックとエリオットの両側近を伴って、血なまぐさい戦場となるであろう王都郊外へと向かうべく、会議室を後にした。

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