第322話 捕食、そして次の敵へ
黒雷による超高温の焼却攻撃が収まり、森に一瞬の静寂が戻った。
焦げたオゾン臭が漂う中、巨大なクレーターの中心に視線を落とす。
俺の一撃で上半身を完全に粉砕され、厄介な腐食バエの群れも塵と化した「蟲の魔人」ベル・ゼ・アラクネ。
だが、まだ完全に倒しきってはいない。
――キチッ……キチキチキチッ……!
残された巨大な下半身――蜘蛛と蜂を融合させたような禍々しい多脚の甲殻部分が、気色の悪い摩擦音を立てながら、主を失ってなお不気味に蠢いていた。
その硬質な殻の奥底からは、未だに強烈なプレッシャーと泥のような生命力を感じる。魔人という生物の、常軌を逸したしぶとさだ。
後顧の憂いを絶つため、俺が魔剣を引き抜いて完全に止めを刺そうと一歩踏み出した、まさにその瞬間だった。
俺の動きよりも早く、足元の大地がドゴォッ!
と重い音を立てて爆ぜた。
地中から、俺の胴回りほどもある極太の赤黒いツタが複数、まるで意思を持つ大蛇のように勢い良く飛び出してきたのだ。
ずおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!
奇怪な風切り音と共に襲いかかったその蔦には、刃物のように鋭く凶悪な棘がびっしりと生え揃っていた。
それらは瞬く間に、「蟲の魔人」の巨大な下半身に幾重にもまとわりつき、ミシミシと甲殻が悲鳴を上げるほどのすさまじい力で拘束し始めた。
先ほどまでの戦いで、「腐食攻撃」を使えるのは消し飛んだ美女の上半身だけだったことが証明されている。
残された下半身の方は、鋭い蔦に捕まっても、多脚を無意味にバタバタとじたばたさせているだけで、有効な反撃手段を持たないようだ。
(……なるほど。これなら、俺が手を下さずとも大丈夫そうだな)
俺が剣の切っ先を下ろすと、蔦が飛び出した大地の裂け目から、這い上がるようにして一人の魔人が姿を現した。
真紅の薔薇を思わせるドレスを纏った「樹木の魔人」の一人――
茨姫ロゼ・ソーンだ。
彼女は獲物を拘束する蔦を冷たい目で一瞥した後、俺の方へと視線を向けた。
***
「こいつは、私たちがこのまま森の養分として吸収するわ」
ロゼ・ソーンは、美しいが棘のある声でそう宣言した。
「あんたは、あっちで暴れているあのでっかい『サル』を始末してちょうだい」
(……どうにも、便利使いされている気がしてならないな)
俺は内心で軽くため息をついた。
同盟を結んだとはいえ、一方的に顎で使われるのは性に合わない。
俺は剣を鞘に納めながら、確認のついでに『さりげなく』釘を刺しておくことにした。
「そっちはまだ、仕留めていなかったのか?」
声のトーンはあくまで平坦に。
相手を直接非難するわけではなく、ただ事実を確認する体裁を取りながら、『こちらはすでに敵の片割れを単独で処理したぞ』という有能さを暗にアピールする。
我ながら、マウントの取り方として絶妙なコミュニケーションの塩梅だ。
俺の言葉のトゲに気づいたのか、ロゼ・ソーンはツンと鼻を鳴らして反論してきた。
「あの蟲とサル以外にも、別の方向から色んな魔人が侵入してきてんのよ! そいつらの眷属の有象無象の魔物もいて、こっちも防衛網の維持で手間取ってんの! それに……あのサル。全身が『燃える』から、私たち樹木にとっては最悪に相性が悪くて苦手なのよね。森を荒らされて、本当にムカつくわ」
どうやら敵勢力は、サルと蟲だけでなく、さらに後続の増援部隊を投入してきていたようだ。
こちらの戦力分散を狙ったオルカスの嫌らしい采配が透けて見える。
茨姫ロゼ・ソーンの忌々しげな報告を聞いた瞬間、俺の胸元から淡い緑色の光が溢れ出し、守護精霊シルフィーが勝手に実体化して空中にふわりと浮かび上がった。
「森を燃やす魔物じゃと!? 断じて許せん!」
神聖なる神樹の精霊は、美しい顔を怒りに染め、出てくると同時に過激なことを言い出した。
「我が主よ! 美しき森を害するその不敬な燃える魔物を、一匹残らず死滅させるのじゃ!」
「さっすが、シルちゃん! わかってるー!」
先ほどまでのトゲトゲしい態度はどこへやら、ロゼ・ソーンは顔をパァッと輝かせ、空中のシルフィーに向かって喝采を送った。
彼女だけではない、デメテルも含め、「樹木の魔人」たちは総じて、神樹の精霊であるシルフィーのことが大好きみたいだ。二人はキャッキャと乙女のように意気投合している。
「というわけよ。あんたも、私たち樹木の魔人と『子作り』したいんでしょ?」
ロゼ・ソーンはニヤリと妖艶な笑みを浮かべ、俺を挑発するように見つめてきた。
「だったら、口先だけじゃなくて、あんたが私たちを孕ませるに足る有能な雄だってこと……さっさと証明してきなさい」
いつの間にか、俺が彼女たちを熱烈に求めていることになっている。
確かに、同盟の条件としてその話(子作りによる強力な眷属の創造)は大樹母アルラウネ・シルヴァから直接持ち掛けられたものだが、俺から懇願したわけではない……。
(まあ、いまさらそこを突っ込んでも仕方ないか。こういう状況で、言葉の端々の細かいことをネチネチ気にするようじゃ、器が小さいと思われかねない)
俺は一つ肩をすくめると、茨姫ロゼ・ソーンからの厄介な討伐要請を快く受けることにした。
「ああ、わかった。それじゃあ――サルの方は、俺が責任を持って始末しておくよ」
「期待してるわよ。私は森の西側、他の魔人の迎撃に回るわ。じゃあね、シルちゃん!」
彼女は空中のシルフィーに向かって可愛らしく手を振ってから、足元の蔦と共にズブズブとその姿を地面に溶け込ませるように消した。
この魔力の満ちた森の中であれば、彼女たちは樹木のネットワークを通じて瞬時にどこへでも移動できるのだ。
俺も、次の標的である敵を倒すため、即座に移動を開始した。
***
「サルの魔人」――
【猿王】ハヌマン・シャー。
上空から観察した限りでは、全身を赤黒い体毛に覆われた五メートル級の巨大な魔物だった。
大きさだけで言えば、俺の使役する分体「キラー・マシーン2号機」や、以前戦った「氷結の魔人」絶零のアブソリュートと同じくらいだろう。
しかし、魔力の質や総合的な能力のプレッシャーから推測するに、それらよりは一段劣っているはずだ。
決して勝てない相手ではない。
俺は浮遊魔法で自重を軽くし、さらに身体能力強化の魔法を両脚に付与する。
バッ、バッ、バッ!
と、巨大な木々の太い枝から枝へと、まるで忍者のように高速で飛び移りながら、目標の座標を目指して一直線に進む。
近づくにつれ、むせ返るような焦げ臭い匂いと、肌をチリチリと焼くような熱波が前方から伝わってくるようになった。
「樹木の魔人」の縄張りが、広範囲にわたって延焼しているのだ。
視界は濃い灰色の煙に立ち込められ、パチパチ、ゴウゴウという炎が木を爆ぜさせる音が、まるで森の悲鳴のように響き渡っている。
***
燃え広がる森の、その激しい延焼のまさに中央の爆心地。
そこに、奴は佇んでいた。
「グルルルルルルッ……!」
地響きのような唸り声。
先ほどまで赤黒かった全身の体毛を、怒髪天を衝くように燃え盛る『本物の炎』へと変質させた【猿王】ハヌマン・シャーが、周囲の樹木を次々と灰に変えながら暴れ狂っている。
放たれる熱量は凄まじく、少し離れた木の枝に立つ俺の服の端すら焦がしそうなほどだ。
なるほど、これは確かに「樹木」にとっては絶対的な天敵と言える。
物理的な蔦の攻撃も、胞子も、すべてあの炎の膜で焼き尽くされてしまうだろう。
俺は燃え盛る5メートルの巨体を観察しながら、懐にそっと手を入れた。
炎系統の敵。
森の恩恵が通じない相手ならば、取るべき戦術は極めてシンプルだ。
俺は懐から、一つの石を取り出した。
周囲の熱波を完全に拒絶するかのように、表面に真っ白な霜を纏い、絶対零度の冷気を放ち続ける極上のアイテム――「氷属性の魔石」。
「さて……キャンプファイヤーは、お開きにさせてもらうぞ」
俺は手のひらに伝わる凍てつくような冷気を感じながら、炎の巨猿に向けて静かに闘志を研ぎ澄ませた。




