第320話 「樹木の魔人」の戦力
人間界の危機を「リアム王子に託す」という苦渋の決断を下した俺は、己の魔力を練り上げ、同盟相手である「樹木の魔人」から救援要請を受けた座標――魔界の最深部に広がる鬱蒼とした森林地帯へと転移した。
視界が晴れると同時に、肺を満たしたのは、むせ返るような濃密な瘴気と、大量の血と青臭い植物の体液が混ざり合った、生々しい戦場の匂いだった。
このあたり一帯は見渡す限りの広大な森であり、すべてが「樹木の魔人」たちの縄張りである。
魔界特有の赤黒い空の下、俺は出現した空の遥か上空で浮遊魔法を行使し、重力を無視してピタリと宙に浮いたまま、眼下に広がる壮絶な景色を俯瞰していた。
眼下では、巨大な木々が生き物のようにうねり、森全体がひとつの生命体として激しく蠢いている。
間違いなく、こちらには絶対的な地の利がある。
「それで、現在の戦況は?」
俺は視線を下へ向けたまま、肩の上にちょこんと座っている「豊穣のデメテル」の分体に静かに問いかけた。
手のひらサイズで可憐な花の妖精のような見た目をした彼女の分体は、その愛らしい容姿とは裏腹に、腕を組みながら極めて不機嫌そうに、吐き捨てるように説明を始めた。
***
「攻めてきたのは、『サルの魔人』【猿王】ハヌマン・シャーと、『蟲の魔人』【万軍母】ベル・ゼ・アラクネよ。あいつら、自分たちの配下である魔物の軍団と一緒に、ズカズカと私たちの縄張りに土足で踏み入ってきたわ。――連れてきた手下は、数万はいるわね。まったく、下等な雑魚のくせして、私たち「樹木の魔人」に正面から喧嘩を売るなんて、ムカつくったらないわ!」
憤慨するデメテルの言葉に、俺は脳内で敵の情報を整理する。
「サルの魔人」と「蟲の魔人」。
そいつらはそれぞれ、単独でも一国を滅ぼせる。それが数万に及ぶ凶悪な魔物の軍勢を率いている厄介な存在だ。
次期魔王候補筆頭であるオルカスの傘下に下り、強敵である「樹木の魔人」の戦力を削り、疲弊させて戦いを有利に運ぶための――使い捨ての先陣として切らされたのだろう。
その暴力的な物量戦術に対して、こちらの「樹木の魔人」たちは、自らの領域で徹底的な迎撃に出ている。
彼女たち樹木の魔人は、この果てしなく広がる森林地帯を、地表の根伝いに瞬時に移動できるという厄介極まりない特性を持っている。なおかつ、その場に生えているあらゆる植物を、手足のように自在に操って使役できるのだ。
眼下で繰り広げられているのは、もはや戦闘ではなく一方的な『処理』だった。
サルの魔人の配下である【岩跳猿】たちが、奇声を発しながら巨大な木の枝から枝へと身軽に飛び移り、森の深部へと進軍しようとしている。
しかし、森そのものがそれを許さない。
無数の太い蔦が蛇のようにシュルシュルと伸びて猿たちを空中で捕縛し、鋼のように硬い棘でその肉体をズタズタに切り裂きながら、骨が砕ける音と共に無慈悲に絞め殺していく。
あるいは、頭上から急激な老化を促す呪いの胞子を広範囲に散布し、吸い込んだ猿たちを一瞬にしてミイラのように干からびさせて死滅させる。
はたまた、敵の精神を魅了するこの世のものとは思えないほど美しい花を咲かせ、その甘い匂いで猿たちを行動不能の陶酔状態に陥らせた後、そのまま生きた肥料として地中へと引きずり込んでいく。
一方、蟲の魔人の配下の魔物は【殺戮蜂】と呼ばれる厄介な代物だった。
そいつらは巨大な蜂の姿をしているが、その実態は生きた特攻兵器、つまり『爆弾』である。敵に毒針で刺すと同時に体内の魔力を暴走させ、周囲を巻き込んで自爆する凶悪な魔物だ。
もし森の中で無数に自爆されれば、さすがの木々にも甚大なダメージが入る。
そのため、樹木の魔人たちは蜂が接近し爆発するよりも早く、先ほどの魅了の花粉や老化の胞子で空中の敵の数を的確に削り落としていた。
蟲陣営はキラー・スウォームが代表的な魔物だが、森の地表を這い回る巨大な百足や甲虫など、他にも多種多様な蟲系の魔物が波状攻撃を仕掛けてきている。
敵陣営の数は、圧倒的に多い。
上空から見ても、合わせれば数万、あるいはそれ以上は確実にいるだろう。
だが、「樹木の魔人」たちは、この濃密な魔力を持つ樹木が生い茂る自身の縄張りにおいて、極めて低コストで高効率な迎撃を実現している。
そう、この広大な「森林地帯」そのものが、彼女たちにとっての「軍勢」なのだ。
***
俺は眼下の凄惨な光景を眺めながら、冷静に戦局を分析していた。
この絶対的な防衛網を前にしては、いかに数が多かろうと有象無象の魔物では意味がない。
もし仮に、俺自身が敵に回って「樹木の魔人」と戦う立場であれば、まずは相手をこの無敵のホームグラウンドから引っ張り出すことを考えるだろう。
彼女たちをこの土地から引き剥がして別の場所へ移動させれば、戦力は大幅にダウンすることになる。
もしそれが出来なければ、外側から炎などで地道に森の面積を削っていくか、あるいは相手の防衛の要であり、核となる戦力――
「大樹母アルラウネ・シルヴァ」や、「豊穣のデメテル」などの上位魔人を、超火力で個別に撃破していくしか勝ち目はない。
現在、サルや蜂の魔物たちの決死の特攻によって、確かに森の辺縁部は削られ始めている。
だが、その被害は全体から見れば微々たるものだ。
しかも、魔界の植物は生命力が異常に高く、時間が経てば勝手に生えて瞬く間に成長し、数ヶ月から数年というスパンで元通りになってしまう。
苦労して森を焼いたとしても、途方もない寿命を持つ魔人たちにとって、森の回復はほんの瞬きする程度の「あっという間」の出来事でしかない。
つまり、この森を攻め落とすのであれば、相手の再生能力を上回るほどの圧倒的な火力で、短期間のうちに一気に畳み掛けるしかないのだ。
そう結論付けた、次の瞬間だった。
――どごぉおおおおおおッ!!!
――ざしゅぅうううううッ!!!
鼓膜を破らんばかりの轟音と、森をまるごと真っ二つに裂くような異音が、立て続けに空気を震わせた。
これまでの雑魚魔物たちの攻勢とは全く比較にならない、次元の違う理不尽な破壊。眼下の森の二箇所が、まるで巨大な見えないハンマーで殴られたかのように、広範囲にわたって一瞬でクレーター状に吹き飛んだ。
土煙と千切れた大木の破片が舞い散る中、その爆心地に現れたのは、二体の巨大な魔人だった。
一方は、全長5メートルほどにも及ぶ、筋骨隆々とした巨躯。
その全身は血を吸ったような赤黒い色の剛毛でびっしりと覆われ、口の端からは凶悪な牙が覗いている。
「サルの魔人」――
【猿王】ハヌマン・シャー。
もう一方は、全長3メートルほど。
上半身は、月明かりのように透き通るような白い肌を持った妖艶な美女の姿をしている。しかし、その下半身は蜂の腹部と蜘蛛の多脚を禍々しく混ぜ合わせたような、硬質で巨大な甲殻で構成されていた。
「蟲の魔人」――
【万軍母】ベル・ゼ・アラクネ。
二体は森の全く異なる地点に分かれて出現し、周囲の木々を威圧だけでなぎ倒していた。
上空にいる俺の肌が、ピリピリと粟立つ。
どちらの魔人も、先ほどまで戦っていた有象無象とは比べ物にならない、すさまじい密度の凶悪な魔力をその身に内包しているのがはっきりと分かった。
***
雑兵をいくら削られても痛くはないが、あのような規格外の怪物を野放しにすれば、いかに強靭な魔界の森といえども、致命的に削られてしまう。本格的に森の核を破壊される前に、早急に始末したいところだ。
「……あっちの、女の顔をした蟲の方が厄介そうね。あんた、まずはアレを始末なさい」
肩の上にいる「豊穣のデメテル」の分体が、冷徹な声で下半身が甲殻の魔人を指差して指示を出した。
「任せておけ」
俺は短く力強く頷くと、迎撃を開始した。




