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第317話 アシュラフの目的

 俺は安全な屋敷のリビングのふかふかなソファーに腰を下ろし、婚約者であるセシリアやリゼル、それにヴィオレッタと共に、目の前に展開したホログラム映像を食い入るように見つめていた。


 画面には、ルカ・ドルトンが引き起こした騒動によって大混乱に陥った、学校の卒業パーティーの様子が克明に映し出されている。


 そして――

 俺が予知魔法で視た凄惨なビジョンの通り、ついに「本命」が現れた。


 歪んだ空間から音もなく出現したのは、転移の魔人アシュラフ。


 彼は紛れもなく、リアム王子を殺しに来たのだ。

 一糸乱れぬ漆黒の執事服を完璧に着こなしたその姿は、阿鼻叫喚の惨状とはひどく不釣り合いで、異様なまでの存在感を放っている。


 アシュラフが静かに右手を持ち上げた。

 その指先に、恐ろしいほどの密度を秘めた暗黒のエネルギー体が、周囲の光を飲み込みながら集束していく。


「……ッ!」


 俺はソファーから立ち上がる。

 画面越しにすら肌が粟立つような、純粋な死の気配。


 それが放たれる直前。

 転移魔法を発動させた。


 王子暗殺を阻止するため。俺は視界が真っ白に染まる中、リアム王子とアシュラフ、その両者の間に割って入る絶対的な位置へと座標を設定し、自らの肉体を空間の彼方へと跳躍させた。



 ***


 パキンッ、と空間が割れるような音と共に、俺はダンスパーティーの会場へと降り立った。


 鼻を突くのは、焦げた絨毯の匂いと、破壊された建材の粉塵。


 会場は、直前までルカ・ドルトンが強大な水魔法で暴れまわったせいで、美しい装飾も豪勢な料理もすべてが破壊され、散々たる有様となっていた。


 だが、そんな物理的な惨状以上に会場を支配していたのは、アシュラフの発する邪悪でとてつもない魔力のプレッシャーだった。


 まるで深海に沈められたかのような重圧に威圧され、その場にいた生徒たちの心は、抗うことのできない絶対的な恐怖で完全に塗りつぶされていた。


 この場にいる中では間違いなく最大戦力であるはずのリアム王子でさえ、床にへたり込み、自らの死を覚悟した蒼白な顔で迫り来る暗黒のエネルギーを見つめることしかできないでいた。


 そこに、唐突に俺が出現した。


 俺の姿を認めたアシュラフも、さすがに驚いているようだ。常に冷徹な彼の目が、ほんのわずかに見開かれる。


 だが、その意外な展開にあっても、彼は攻撃を中止はしなかった。


 無慈悲に攻撃魔法が射出される。

 空間を削り取るような異音を響かせながら、漆黒の暴刃が一直線にこちらへと迫る。


 リアム王子をあっさりと殺害するはずだったその暴力。

 しかしそれは、俺の身体に届く直前で、音もなくあっさりと霧散した。


 俺が持つ規格外の特殊能力――

 『魔封印』。


 どれほど高位で強大な魔法であろうとも、オートで完全に防ぎ切り、無効化してくれるという謎の能力だ。


 効果範囲は最大で半径二メートル。

 俺の周囲に展開された不可視の絶対領域に触れた瞬間、アシュラフの放った必殺の攻撃は、何の痕跡も残さずにそこで消え去ったのだ。


「遅れてパーティーに来てみれば、なにやらごたついているようですね。――まあ、それはともかく、間に合ってよかった。お怪我はありませんか、殿下」


 俺は振り返り、背後にいるリアム王子に、努めて気楽な調子で語りかけた。


「……」


 リアム王子は無言のまま、目を見開いて俺を見上げている。


 ルカの襲撃、天使の召喚、謎の強者の出現、そして俺の乱入。

 突然のことが一気に重なりすぎて、完全に頭の処理が追い付かないようだ。


(さて……これからアシュラフはどう出る?)


 涼しい顔をしているが、俺の背中は冷や汗でぐっしょりだった。


 この魔人の実力は、底が知れない。

 一体何をする気なのかも、この時点では完全に不明だ。


 俺は内心の警戒心と極度の緊張を絶対に顔に出さないように、あくまで余裕の表情を貼り付けたまま、アシュラフを真っ直ぐに見据える。



 ***


 静寂に包まれた会場で、アシュラフは自身の指先と俺を交互に見た後、静かに口を開いた。


「まさか、今の攻撃をあっさり防ぐ手練れがいるとは思いませんでしたよ。人間というのも侮れないようですね」


 その声には、怒りも焦りもない。


 アシュラフはそう言いながら、重力を無視するようにふわりと宙に浮き上がった。そのままゆっくりと上昇して、冷たい見下ろすような視線で会場全体を見回す。


(なるほど……)


 俺は密かに安堵した。


 あいつは俺と『初めて遭遇』した体で話している。

 どうやら、俺と知り合いであることは、この場では伏せてくれるらしい。この空気を読める執事の配慮には感謝したいところだ。


 だが、その安堵も束の間。


 瓦礫の陰に隠れ、怯える会場中の卒業生たちが注目する中、空中に浮かぶアシュラフは、残酷なまでの平坦な声で宣言した。


「これより、人類の半数を殺害します」


 あまりにもスケールが大きく、現実離れした高らかな大量虐殺の予告。


 冗談でもなんでもない、確かな実行力を伴ったその言葉が、凍てつくような絶望となって会場の空気を一変させた。



 ***


「……ッ! ふ、ふざけるな! そのようなこと、させるものか!」


 沈黙を破ったのは、リアム王子だった。

 アシュラフの圧倒的な魔力におびえ、声や足の震えを隠しきれていない。


 残存魔力も底を尽きかけており、先ほどのような完全な天使の召喚はできないようだった。だが、それでも王族としての矜持か、彼は必死に小規模な聖域を展開し、一筋の光魔法を矢のように放ってアシュラフを攻撃した。


 アシュラフは、迫る光の矢を避けようともしなかった。

 純白の聖なる光球は、彼の完璧な執事服の胸元に当たって、パンッ、と軽い音を立てて弾けて消えた。


「なっ! ばかな……」


 リアム王子が絶望に顔を歪める。


 無理もない。

 この会場の中心部に展開された聖域の影響は、空中のアシュラフにも確実に及んでいるはずなのだ。


 なおかつ、魔人にとって絶対的な弱点であるはずの光属性による攻撃が直撃したにもかかわらず、全くダメージを与えられていない。


 次元が違いすぎる。


「うぉおおお、らぁっ!!」


 その時、床に倒れていたアルドリックが血を吐きながら立ち上がった。


 地面から大理石の床を突き破って、巨大な棘のような岩が連続して出現し、空中のアシュラフへと殺到する。大きな気合と共に、彼が土属性の最大級の攻撃魔法を放ったのだ。


 しかし――それもまた、アシュラフの体に届く前に、見えない障壁にぶつかったかのように粉々に砕け散ってしまった。


 反撃は、あまりにも無力だった。


 転移の魔人は、リアム王子やアルドリックの攻撃に対して注意を払うことすらせず、何事もなかったかのように静かに話の続きをする。


「人間界には『古の魔王』が封印されています。封印を解き、そのお方を復活させるためには、それだけの人の死が必要なのです。人類諸君にはお気の毒ですが――なにとぞ、ご理解いただきたい」


 まるで業務連絡でもするかのような、淡々とした狂気。


(……古の魔王の復活、か……)


 俺はようやく、アシュラフの真の目的を知ることができた。


 リアム王子の暗殺は、ただの「行きがけの駄賃」に過ぎない。

 この強大すぎる魔人が見据えているのは、世界そのものを地獄に変えるような――絶望のシナリオだった。

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