第316話 事態を注視する
むせ返るような緑の匂いに満ちた魔界の森林地帯での死闘(と交渉)を経て、俺は「樹木の魔人」たちとの間に同盟を成立させることに成功した。
来たるべき次期魔王候補筆頭・オルカスによる魔王城襲撃。その決戦において、彼女たちが戦力として共闘してくれるという、願ってもない内容だ。
(……ついでに、彼女たちと子作りをするなんていう頭の痛くなる条件も出たが、それは戦いが終わったまだまだ先の話だ。今は考えるのをやめよう)
今はとにかく、迫り来る敵の猛攻を防ぎきり、この魔界の動乱を生き残らなければならない。
俺は転移魔法を展開し、赤黒い空から一転、静寂に包まれた人間界の自邸へと帰還した。
ふかふかのベッドに背中を預け、ようやく強張っていた全身の筋肉を休める。
「ふぁぁ……」
俺の肩の上で、可愛らしいあくびの声が響いた。
視線を向けると、そこには花びらで編まれたドレスを纏う、手のひらサイズの小さな妖精がちょこんと座っている。
彼女は樹木の魔人の一人、「豊穣のデメテル」の分体だ。
花の妖精のような愛らしい姿をしているが、中身はあの恐ろしい魔人そのもの。これからは彼女に、魔界と人間界を繋ぐ連絡役を担ってもらう手はずになっている。
魔界におけるオルカスの動きも油断ならないが、ここ人間界の方も、明日、事態が大きく動くことが予想されていた。
――『転移の魔人アシュラフによる、リアム王子の暗殺』。
俺が予知魔法で視た凄惨なビジョンの通りに事が進めば、明日の卒業パーティーという晴れ舞台の中央で、この国の第一王子は魔人の手によって無惨に殺されてしまう。
そうなれば、国は未曾有の混乱に陥り、俺が望む平穏で気ままな生活にも多大な悪影響が出ることは避けられない。
(いざという時は、俺が直接介入してでも最悪の結末を阻止する)
静かな決意を胸に秘め、俺は翌日の決戦に備えて深い眠りについた。
***
翌日。
今日は王立魔法学園の卒業式であり、夜には華やかな卒業パーティーが開かれる日だ。しかし俺は学園には向かわず、屋敷の広々としたリビングのソファーに深く腰掛け、静かに待機していた。
「おはようございます。……なんだか、落ち着きませんわね」
しばらくすると、私服姿の婚約者、セシリアとリゼルが連れ立ってリビングにやってきた。
彼女たちも、今日の卒業式およびパーティーは欠席だ。
俺と共にこの安全な屋敷に残り、事態を見守ることになっている。
魔人による大規模な襲撃があると分かっている危険地帯に、大切な婚約者たちを無防備に向かわせるわけにはいかないのだ。
やがて、屋敷の地下にある貴賓室に身を隠していたヴィオレッタも合流した。
三人の美しい令嬢たちがソファーに並んで腰を下ろすと、俺の専用メイドであるリーリアが、音もなく近づき、緊張をほぐすような芳醇な香りのするカモミールティーを配っていく。
「さて、そろそろ始まる頃合いか」
俺はテーブルの上に、手のひらに収まるサイズの銀色の球体魔道具を三つ、コツンと並べて置いた。
そして、その表面を指先で軽く叩く。
――ピュィン、という起動音と共に、球体から青白い光が放たれ、空中に三面の半透明なホログラムウィンドウが浮かび上がった。
そこに映し出されたのは、色とりどりのドレスや正装に身を包んだ貴族たちが談笑する、きらびやかな卒業パーティーの会場だ。
あらかじめ会場内の死角に設置しておいた複数の盗聴・盗撮用の魔道具が、様々な角度から現地の様子を克明に捉え、リアルタイムでここへ映像と音声を送信してきている。
「……やっぱり、私たちも出たかったわね。ドレス、用意していたのに」
「お気持ちはよくわかりますわ、リゼル様。わたくしも、参加したかったですもの……」
「仕方ありませんわ。これからあそこで、恐ろしい事件が起こるのですから。命には代えられません」
リゼル、ヴィオレッタ、セシリアの順に、画面越しに映る卒業生たちの姿を見つめながら、名残惜しそうな溜め息をこぼしている。
無理もない。
彼女たちにとって、今日は三年間通い続けた学校生活の集大成を飾る日なのだ。参加したい気持ちが大きいのを我慢してくれていることに、胸が少し痛む。
(……これで俺の予知が外れて、何も起きずに無事にパーティーが終わったら、彼女たちに対してかなり気まずいことになるな……)
何も事件が起きない平和な結末に越したことはないのだが、俺は密かにそんな不謹慎でズレた心配をし始めていた。
**
その時だった。
――ドゴォォォォンッ!!
モニター越しでも耳をつんざくような凄まじい爆音が響き渡り、パーティー会場の重厚なオーク材の扉が木端微塵に吹き飛んだ。
「きゃあああああっ!?」
「な、なんだ貴様は!」
優雅な音楽が途絶え、会場は一瞬にして悲鳴と怒号が交錯するパニック状態に陥った。
土煙を踏み越えて、乱入者が悠然と姿を現す。
金髪をべったりとオールバックにし、いかにも裕福な貴族らしい過剰に派手な装いをした男――ルカ・ドルトンだ。
顔立ちは決して悪くないのだが、その表情にはずる賢さと下劣さが滲み出ており、全身から拭いきれない「小物感」が漂う、典型的な三下悪役貴族である。
今の奴から放たれている魔力は異常だった。
ルカは現在、転移の魔人アシュラフの『魔力奴隷』に成り下がっており、その対価として強力な魔人由来のドス黒い魔力を付与されていたのだ。
「ひゃははははっ! 踊れ、踊れぇっ!」
ルカが下品に笑いながら杖を振るうと、常軌を逸した水圧を持つ激流の攻撃魔法が放たれ、美しいシャンデリアやご馳走の並ぶテーブルを次々と粉砕し、会場を更なる混乱と破壊の渦に叩き込んだ。
「殿下をお守りしろ!」
この凶行を止めるべく、リアム王子の側近である二人が即座に迎撃に出る。
緑髪の筋骨隆々な大男、アルドリック・ストーンウォールが前衛に立ち、その後方から青髪の知的キャラであるエリオット・ヴァーリアスが援護魔法の詠唱を開始する。
だが――。
「邪魔だぁっ!」
魔人の力を得たルカの放つ水竜巻が、エリオットの魔法防壁を紙屑のように粉砕し、その余波でアルドリックの巨体をも壁際まで無造作に吹き飛ばした。
敢え無く倒れ伏す側近二人。
会場に絶望の空気が蔓延しかけた、その瞬間。
「……光よ!」
凜とした声と共に、リアム王子が天高く剣を掲げた。
まばゆい純白の光が会場を包み込み、神々しい賛美歌のような音が鳴り響く。
リアム王子による天使召喚。
天使がその純白の翼を広げると、周囲一帯に強力な『聖域』が展開された。
聖なる光の粒子はルカの纏う邪悪な魔力を瞬時に半減させると同時に、リアム王子自身の身体能力を劇的に強化させる。
「な、なんだこの光は……力が、抜ける……!?」
狼狽するルカの懐に、光を纏ったリアム王子が疾風の如く踏み込み、強烈な一撃を叩き込んだ。
ルカの体はくの字に折れ曲がり、無様に床を転がって気を失った。
見事な逆転劇だった。
***
「……ふぅ」
戦闘の終結を確認し、リアム王子が安堵の息を吐き出す。
同時に、背後の天使の顕現が解除され、会場を満たしていた絶対的な安全圏である『聖域』の光が、ふっと消失した。
側近たちが立ち上がり、物陰に隠れていた貴族たちが胸をなでおろす。
誰もが「事件は終わった」と錯覚し、最も気が緩む致命的なタイミング。
俺が予知魔法のビジョンで見た通り――
まさに「その時」だった。
――グニャリ。
王子のすぐ背後の空間が、陽炎のように不気味に歪んだ。
空間が裂け、そこから這い出るようにして姿を現したのは、先ほどの三下とは次元の違う、本物の死の気配を纏った影。
「……やはり、来たか……!」
モニター越しにその姿を確認した俺は、ソファーから素早く立ち上がった。




