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第313話 樹木の魔人

「いよいよ、明日か……」


 王立魔法学園の卒業式まで、残すところあと一日に迫っている。


 血の運命が待ち受けるその日の前に、俺は自身の背後――すなわち『魔界』の情勢を確固たるものにしておくため、転移魔法を使って魔王城へと移動した。


 魔王城の内部は、外の荒涼とした魔界の瘴気とは無縁の、清浄な空気に満ちていた。

 客分として滞在しているエレノア王女とリリアーナ姫が、光魔法を息の合った連携で紡ぎ出し、城全体を覆う堅牢な『光の聖域』を展開してくれているからだ。


 肌に触れる暖かな光の粒子は、闇属性を本質とする魔人たちにとっては猛毒に等しい。

 その強力な結界の恩恵もあり、次期魔王候補の筆頭であるオルカスを始めとした野心的な魔王候補たちは、おいそれとこの城へ攻め入ることができないでいる。


 しかし、このかりそめの安息が長くは続かないことも理解していた。


 魔王の座を争う血みどろの継承戦も、すでに大詰めを迎えている。

 有象無象は淘汰され、広大な魔界において生き残っている真の実力者は、もはやオルカスを含めてたった二人だけとなっていた。


 もし、圧倒的な武力を誇るオルカスが残りの対抗勢力を吸収し、あるいは完全に打倒して継承戦の勝者となったならば。

 奴はいよいよ、目障りな不確定要素であるこの魔王城へ、全戦力を挙げて総攻撃を仕掛けてくるだろう。


(……そうなる前に、確実に芽を摘んでおきたいところだ)


 戦略のセオリーから言えば、相手に攻め込ませておいて、こちらが万全の態勢で迎え撃った方が圧倒的に有利に戦える。

 なにしろこの魔王城は、敵の闇魔力を著しく減衰させる『聖域』の中にあるのだ。地の利はこちらにある。


 しかし、この城には俺が守るべき対象が多すぎるのが最大のネックだった。


 魔王城の城主であるルシフィールをはじめ、有能なメイドのミュリル、結界を維持する要であるエレノア王女とリリアーナ姫。さらには俺の専属メイドのミナ、そして獣人族のルミアとクーコ。


 万が一にも、防衛線を突破されて彼女たちに危険が及ぶような市街戦……いや、城内戦は絶対に避けたい。


 いっそ人間界の安全な場所へ全員を避難させておくことも一つの手ではあるが、向こうは向こうで明日、卒業式という大波乱が控えている。何が起こるかわからない不安定な状況で、軽々しく彼女たちを移動させるわけにはいかなかった。


「攻められる前にこちらから攻め込んで、後顧の憂いをなくす」


 それが、熟考の末に導き出した俺の結論だ。

 決意を固めた俺は、守るべき者たちが待つ魔王城に背を向け、ただ一人で移動を開始した。


 俺が用いるのは、自身の視界の端の座標へと空間を繋ぐ転移を、速いテンポで連続して繰り返す特殊な移動術。風景がコマ送りのように弾け飛び、俺は過酷な魔界の大地を常識外れの超高速で駆け抜けていく。



 ***


 澱んだ魔界の雲を引き裂きながら、俺は遥か上空を転移で移動し続けていた。

 強烈な風圧と硫黄の混じった瘴気が頬を掠めるが、無視して移動を継続。


 今回俺が向かう先は、魔界の実力者として五本の指に数えられている存在――

 『樹木の魔人』の縄張りだ。


 出発前、ルシフィールとミュリルから念入りに聞き出した情報によれば、「彼女たちは自らの拠点から動くことは決してないが、その領域内においては非常に強力で厄介な能力を持っている」らしい。


 ここで俺が引っかかったのは、「彼女たち」という複数形だ。

 つまり、樹木の魔人というのは単一の強大な個体ではなく、群れ、あるいは種族として複数存在していることになる。


 「彼女たち」の詳細を、分かっている範囲で事前に聞いておいた。


 自らの拠点から一歩も動かない完全な防衛型なのであれば、わざわざこちらから出向かずとも放っておいてよさそうなものだ。


 しかし、もし継承戦を制したオルカスが圧倒的な力で彼女たちを屈服させ、その軍門に下ってしまったらどうなるか。


 「拠点からは動かない」というセオリーが崩れる。

 オルカスの配下として「彼女たち」のうちの何人かを、魔王城への刺客や遊撃部隊として派遣してくる可能性は十分に考えられた。


(不確定要素は、先手を打って徹底的に潰しておくに越したことはない。だが――)



 ***


 高速で流れる景色を見下ろしながら、俺の脳裏に、情報収集の際に聞いたある噂がよぎった。


 聞いた話では、樹木の魔人たちというのは、その種族の皆が「恐ろしく美しい容姿」をしているらしいのだ。


(……美しい、か)


 これまでの俺は、自身の脅威となる者は有無を言わさず武力で叩き潰し、戦って倒すことばかりを最優先に考えてきた。

 だが、相手が知性を持ち、話の通じる相手であるならば、一方的な殺戮にこだわる必要はないのではないか?


 現に、魔王と天使の間に生まれた規格外の存在であるルシフィールとは、一戦交えたものの、今では確固たる共闘関係を築いているし、彼女の有能な部下であるミュリルとも、円滑なコミュニケーションが取れて連携できている。


 武力で制圧して脅威を減らすより、話し合いが可能なら同盟を組み、味方に引き入れた方が、対オルカス戦に向けた大幅な戦力増強になる。


 それに……美しい女性たちと血みどろの殺し合いをするよりは、協力関係を結ぶに越したことはない、という男としての打算も少なからずあった。


「よし。話が通じるようなら、樹木の魔人と共闘することも視野に入れて動くか」


 方針を「殲滅」から「交渉、決裂した場合は制圧」へと柔軟に切り替え、俺はさらに速度を上げて目的地を目指した。



 ***


 やがて、荒涼とした魔界の景色が一変する境界線に辿り着いた。

 上空から見下ろす俺の眼下に広がっていたのは、黒と赤が基調の魔界には到底似つかわしくない、むせ返るような濃密な「一面の緑」の領域だった。


 ここが、樹木の魔人の縄張りだ。


 高度を下げて観察すると、そこに生い茂っている木々のスケールが、人間界の森のそれとは段違いに大きいことがわかる。一本一本が樹齢百年以上の太さを持ち、圧倒的な生命力と魔力を大気中に放っている。


 さらに、その鬱蒼とした樹海の中には、ランダムに他の木々を凌駕する超巨大樹が何本もそびえ立っていた。


 まるで大地を穿つ巨大な緑の槍だ。


 だが、俺の視線を最も強く釘付けにしたのは、その異常なスケールの森の中心――一面の緑の中央に鎮座する、さらに規格外の神木だった。


 他の巨大樹すらも足元に及ばない、文字通り「天を貫く」ようにそびえ立つ一本の世界樹。その幹は堅牢な城壁のように太く、枝葉は魔界の空を完全に覆い隠すほどの広がりを見せている。


 そして、その天を衝く巨大な木の根元。

 柔らかな木漏れ日が降り注ぐ黄金色の苔の絨毯の上に、一人の女性が優雅に寝そべっていた。


 遠目からでもはっきりとわかる、人智を超えた神秘的な美貌。

 透き通るような白い肌と、自然そのものと一体化したかのような底知れぬ魔力のオーラ。彼女の周囲だけ、時間が静止しているかのような錯覚さえ覚える。


 その女こそが、この広大な樹海の絶対的な支配者。


 大樹母だいじゅぼアルラウネ・シルヴァ――

 全ての「樹木の魔人」の始まりとなる、最古にして最強の個体だった。

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