第312話 英雄色を好む
雷轟のヴォルテックスを死闘の末に討伐した俺は、その足でザハラ王国の悪徳大臣カリムの元へと立ち寄った。
「雷の魔人は片付けた」と勝利の報告を叩きつけると、カリムはただでさえ悪い顔色を土気色に染め、ガタガタと震えながら何度もひれ伏して頷いていた。
怯える彼を尻目に、俺はハレムの高級な備品を勝手に消費して適度な休憩を取り、疲労を少しだけ抜いてから、自分の屋敷へと帰宅した。
今回、雷轟との戦いを通して、俺は強力無比な変身魔法を完全に会得した。
メタモルフォーゼ――
『タイプ・フェノメノン』。
自分の存在そのものを、物理法則を逸脱した『雷』という自然現象へと変換できる、まさに神にも等しい奇跡の術式だ。
だが、この規格外の魔法を安易に多用するのは、ひどく危険だと直感的に感じている。
その理由は明白だ。
あの魔法を操っている時、すなわち自身が『雷』と化している時の感覚は、生身の人間でいる今の感覚とは大幅に違う。
いや、違うという生易しいものではなく、完全に別物だった。
視覚、聴覚、時間の流れ、そして感情の起伏。
当たり前のことではあるが、無機質な大自然のエネルギーである『雷』と、『人間』の意識の在り方が同じであるわけがないのだ。
(……全身、特に思考を司る脳みそまで、長時間、完全に雷に変えておくのは極めて危険だな)
自室のソファーに深く腰掛け、俺は静かに考察する。
それは時間経過のゆがみが狂気となって襲い来る魔界の「沈黙の図書館」に長期滞在するのは精神が崩壊する危険がある、と感じた時の恐怖と同じようなものだ。
どれほどの力を持っていようと、あくまで俺の根幹は『人間』だ。
人間からかけ離れた現象の存在でい続ければ、やがて倫理や自我が削り取られ、人としての枠組みから永遠に逸脱してしまうだろう。
「んっ……ご主人様……?」
「いや、そのままでいい」
俺は膝の上に乗せた専用メイド、リーリアの豊かな胸を、両手でゆっくりと揉みしだいていた。
手のひらに伝わる、布越しの滑らかで圧倒的な柔らかさと重み。
そして、体温。その生々しい感触と彼女の甘い吐息が、宇宙の果てまで飛び去ってしまいそうな俺の意識を、現世へと強く縛り付けるアンカーとなってくれる。
どれだけ強大な力を得ようとも、人であることを忘れてはいけない。
俺は彼女の柔満な胸の感触を堪能しながら、決して己を見失わないよう、強固に自分の心を戒めたのだった。
***
そして、運命の分岐点となる学校の卒業式まで、あと二日と迫った日のこと。
俺は王都を離れ、アドラステア帝国にある広大な火山地帯、『ザルツ山脈』へと転移してきていた。
空を覆う灰色の火山灰、肺をチリチリと焼くような熱気、そして鼻を突く強烈な硫黄の匂い。
その過酷な山脈のふもとに広がる町、グラード。
そこには、俺が意図せずしてオーナーを務めることになってしまった、戦力と権力を誇る『一大組織』が存在している。
事の発端は、実にくだらないものだった。
もともとはこの町を牛耳る権力者のドラ息子で、「ガイル」という名の愚にもつかない三流悪党が、余所者である目障りな俺を排除しようと、獣人の戦闘奴隷を複数けしかけてきたところから始まった。
当然、そんなチンピラどもに俺がやられるわけもなく、襲ってきた獣人奴隷たちを片っ端から返り討ちにした。
そして彼らを縛り付けていた奴隷契約を力技で無効化し、行き場を失った彼らをまともな給料を払う従業員として雇っていくうちに、俺の組織はあっという間に町で一番の流通業者へと急成長してしまったのだ。
さらに事態は連鎖する。
俺の成功に逆上したガイルが、今度は手下を大量に引き連れて俺の拠点へ直接殴り込みに来たのだ。
結果は言うまでもない。
その抗争に完全勝利してガイルの勢力を壊滅させると、今度は奴の親族が運営していた冒険者ギルドから、見切りをつけた腕利きの冒険者たちがこぞってこちらの組織へと移籍してきた。
その結果、俺の組織は流通だけでなく、町で一番の実力を持つ冒険者ギルドにまで成長してしまったのである。
これに伴い、俺の組織と提携している凄腕の解体業者・ベアリスの工房も、連日持ち込まれる大量の魔物素材の処理で悲鳴を上げ、人手が足りないと大慌てで従業員を補充するほどの活況を呈している。
この過酷な火山の町で、腰を据えて事業を行う気など最初から全くなかったというのに、気付けば俺の意思とは裏腹に、町を支配する最大勢力を有する巨大企業が誕生していたのだ。
それだけではない。
俺は先日、誇り高き獣人族の長である『獅子王』と一対一で決闘し、圧倒的な力で勝利を収め、彼の娘を嫁としてもらう約束を交わしている。
そのとんでもない情報がこの一帯に流れると、組織とは直接関係のない獣人たちからも「獅子王を下した最強の戦士」として熱烈に尊敬されるようになってしまった。
さらに、俺という規格外の暴力と権力を恐れた周辺の悪徳な奴隷商人たちは、夜逃げ同然でこの町から完全に姿を消した。
そんな数々の強烈なエピソードが重なった結果、今や俺はこのザルツ山脈一帯で、虐げられた者たちを救う『奴隷解放の英雄』などと、身に余る大層な二つ名で呼ばれ、崇められている。
……正直なところ、この英雄譚の半分は、自ら墓穴を掘って俺の踏み台になってくれたガイルの手柄のような気がしてならないのだが。
***
「……ああっ……んっ……」
「別に俺は、可哀想な奴隷を解放してやりたいとか、そんな立派なことは微塵も思っていなかったんだ。ただの成り行きで、結果的にそうなったってだけで……」
グラードの町にあるベアリスの私室。
薄暗いランプの光に照らされたベッドの上で、俺はベアリスと熱く汗ばむ身体を激しく重ね合わせながら、自嘲気味にそんな言葉をこぼした。
俺の下に組み敷かれたベアリスは、絶え間なく攻め立てられており、俺の愚痴にまともに相槌を打つ余裕すらなさそうだ。
解体作業という重労働で培われた、しなやかで引き締まった美しい筋肉。
そして、それとは対極にある女性としての豊かな柔らかさ。
そのアンビバレントな魅力が詰まった彼女の肉体に、俺は指先と唇で優しく、時に激しく刺激を与えていく。
「……はぁっ……んぁっ……ちょっ、と……! いきなり、激しく……っ!」
ベアリスはシーツを強く握りしめ、顔を紅潮させて息も絶え絶えになっている。
彼女の汗ばんだ肌から漂う甘い匂いが、俺の理性を心地よく溶かしていく。
「俺が最初、この町に来た最大の目的は、ただ純粋に上質な『火属性の魔石』が欲しかったからだ。決して、こんなむず痒い『英雄の名声』なんてものを求めてきたんじゃないんだよ」
俺は彼女の耳元に唇を寄せ、吐息を吹きかけるように囁いた。
俺は正義の味方ではない。
自分の目的のためなら手段を選ばない、ただのエゴイストだ。
***
「……でもまあ、この暑苦しい町で、手に入れてよかったと心から思えるものもある」
俺の言葉に、ベアリスが潤んだ瞳で俺を見上げた。
「英雄だのなんだのという名声なんか、正直どうでもいい。だが……お前の事だけは、誰にも絶対に譲れない」
俺は彼女の顎を引き寄せ、甘く、深くキスをした。
少しの抵抗のあと、彼女の唇も熱を帯びて俺のそれに応えてくる。
ようやく唇を離すと、ベアリスは照れ隠しのように顔を背け、荒い息を整えながら口をとがらせた。
「……ふんっ。調子のいいことを言ってるんじゃないよ。そんなの、あんたが単にスケベなだけだろ」
耳まで真っ赤にして放たれた生意気な口答え。
その勝気な態度が、堪らなく愛おしく、俺は彼女を本当に可愛いと思う。
「ふっ……まあ、そうとも言うな」
俺はその的確な指摘に対してあえて否定はせず、意地を張る彼女の汗ばんだ髪を、愛おしむように優しく撫でた。
ベアリスは不満げに鼻を鳴らしながらも、俺の手にすり寄るように目を細めている。
それから数十分後。
彼女が疲れ果てて心地よい眠りについたのを確認すると、俺はベッドから抜け出し、静かに身支度を整えた。
最後に、すやすやと眠る彼女の頬にそっと別れのキスを落とし、卒業式という大きな嵐が待ち受ける王都の屋敷へと、静かに転移で戻っていった。




