第307話 電撃のイメージ
上空での身を切るような極寒の実験と、それに伴う複雑な魔法の研究を終えた俺は、ようやく自室の書斎へと戻ってきた。
暖炉の火が静かに爆ぜる音が、重厚な本棚に囲まれた静寂の空間に心地よく響いている。
先ほどの実験で、俺はシルフィーと連携し、人工的な竜巻の中で雷を実際に発生させ、その致死のエネルギーを俺の分身であるゼノス・ゴーレムの体で最後まで受け続けさせた。
なぜそこまで手の込んだ真似をしたのか。
それは、魔法というものが、究極的には『術者の抱くイメージの強固さ』によって威力が左右されるからだ。
未知の事象を具現化しようとするならば、空想で補うよりも、まず実物の圧倒的なエネルギーをその目で見て、肌で感じた方がはるかに具現化しやすい。
さらに、沈黙の図書館で気象学的な発生メカニズムを知り、実際に自分の魔力を介在させて雷を発生させたことで、俺の脳内における『雷』の解像度は極限まで高まり、魔法で現象を再現するための下地は完全に整っていた。
俺は書斎の椅子に深く腰掛けたまま、両手を胸の前に持ち上げ、手のひらを向かい合わせる。
そして、ゆっくりと息を吐き出しながら、両手に濃密な魔力を込めていった。
俺の身体には魔法を強制的に霧散させてしまう特異体質「魔封印」が備わっている。まずは己の精神を針の穴を通すように集中させ、その魔封印が発動する範囲を、皮膚の表面スレスレの最小限にまで絞り込む。
そして、脳裏に先ほどの激しい放電現象を思い描き、両手の間に走る『電流』を強くイメージする。その研ぎ澄まされたイメージに合わせて、体内の魔力の性質を急速に変化させていった。
バチッ……! ジジジジッ!!
空気中の酸素が焼ける、特有の鋭いオゾン臭が鼻腔を突いた。
手から手へと、空間を切り裂くようにして稲妻が走る。
だが、その色は通常の青白さとは全く異なっていた。光を飲み込むような、禍々しくも純粋な漆黒。
(……なるほど。俺自身の闇属性の魔力の影響で、発生する雷の色も黒く染まるか)
右手のひらに発生し、蛇のようにのたうつ黒い雷は、左手の表面を覆う不可視の膜――「魔封印」の領域に触れた瞬間、ジュッという小さな音を立ててあっけなく霧散した。
生み出した電気は、魔封印の性質上、体外に放出した時点で俺自身の意思で方向をねじ曲げたり、制御したりすることは絶対にできない。
しかし、俺は微かに口角を上げた。
これを直接、敵に投げつけるような直線的な攻撃魔法に使うわけではないのだから、制御不能であろうが全く問題はない。
(これはあくまで、俺の肉体そのものを雷という概念に変化させるための、ほんの『前段階』に過ぎないからな)
***
その前段階のデータ収集のために、俺は自身の意識を薄く繋いだゼノス・ゴーレムを、雷の発生する荒れ狂う竜巻の中心へと容赦なく放り投げたのだ。
そこで無数の落雷に打たれまくった経験は、焼け焦げたコア魔石を通じて、俺の意識の一部としてすでに回収済みである。
目を閉じれば、今でも脳裏に鮮明に蘇る。
何万ボルトという規格外の電流が体を貫く圧倒的な衝撃。
内側から泥の体が沸騰し、一瞬にして爆ぜるような熱量と破壊の連鎖。
『雷というものが、物理的・魔術的にどういう存在であるのか』。
その恐るべき情報は、ただの知識ではなく、骨の髄に刻み込まれた生々しい「経験」として、俺の魂の奥底にしっかりと蓄積されている。
そして、己の肉体を全く別の概念へと書き換える変身魔法「メタモルフォーゼ」の複雑怪奇な術式自体は、すでに学習済みだった。
理屈の上では、あとはこの身を雷へと変化させるだけだ。
だが、当然ながら、それは「はい、そうですか」とおいそれと簡単にできるような代物ではない。一歩間違えれば、人間の形を保てなくなり、文字通り空気に溶けて消滅してしまう危険がある。
(……焦っても仕方がない。これは地道な練習あるのみだな)
思考を打ち切り、俺は深く椅子に背を預けた。
集中が途切れた途端、どっと重い疲労感が押し寄せてくる。今日の研究はひとまずここまでにして、ゆっくりと風呂に入ることにした。
なにしろ、氷結魔法が吹き荒れる上空の寒空の中に長時間浮遊していたのだ。
体の芯まで冷え切っており、指先はまだ微かに痺れている。
湯気の立ち込める熱い湯船に浸かって強張った筋肉を解し、身体を十分に温めてから、シェフが用意した温かい夕食をゆっくりと胃に流し込む。
そして俺は、泥のように深い眠りについた。
***
次の日から、俺の生活リズムはさらに過密になった。
王立学園での授業を終えると、すぐさま変身魔法の習得という狂気の特訓に精を出す日々となる。
俺自身、この学園の卒業はすでに確定しているようなものだ。
だが、この世界に存在する多種多様な魔法の基礎知識や歴史は、魔術を昇華させるために必要なものであるため、授業自体はサボらずにまじめに教室へ足を運び、勉強しに行っている。
それに、もう一つ理由があった。
俺が前世でプレイしていたこの世界の基となったゲームにおいて、本来の主人公である「リアム王子」の動向が、多少は気になっていたからだ。
窓際の席から訓練場を見下ろすと、そこには汗にまみれて剣を振るうリアム王子の姿があった。
最近、魔人の強襲という圧倒的な脅威に直接触発された彼は、人が変わったように血を吐くような訓練に精を出している。その甲斐あってか、彼に宿る勇者の素質がようやく開花し始め、実力は確実に伸びてきていた。
しかし。
俺の冷徹な目は、残酷な現実を捉えていた。
本気になって立ち上がるのが、あまりにも遅すぎたのだ。
俺の推し量る限り、ゲームのシステムに換算してマックスで99まで上げることの出来るはずの彼のレベルは、現状、せいぜい20前後くらいにしかなっていない。
(……物語の進行度から言って、この時期にその程度のレベルだと、魔人勢力の中堅クラスの敵にすら全く敵わないだろうな……)
もちろん、彼がここまで育たなかった最大の原因は、俺が意図的に危機感を与えないようにして、過保護なまでに強くさせなかったからだ。
自業自得といえばそれまでだが、それにしても、この世界を救うべき「光の戦士」の戦力としては、あまりにも心もとない。
***
やはり、自力で脅威となる魔人を打倒するしかない。
そう決意を新たにしながら、俺は放課後、人目のない場所から空間魔法を展開し、砂漠の国・ザハラ王国へと一瞬で転移した。
じりじりとした太陽の熱砂が照りつける外とは無縁の、悪徳大臣カリム専用の広大なハレム――ここを修業の場とする。
これから俺は、己の肉体を雷に変換するための、極めて危険な魔法修行に入る。
なぜ自分の屋敷の庭や修練場を使わないのか?
答えは単純だ。
特異体質である魔封印がオートで発動し続けている俺は、体外に出た魔力を一切操作・誘導することができない。
つまり、実験の過程で発生させた高出力の「黒い雷」は、完全に制御不能の暴走エネルギーとなって周囲に甚大な被害をまき散らすのだ。
そんな爆弾を、愛着のある自邸で爆発させれば、屋敷が全焼するどころか、使用人たちにどんな人的被害が生まれるかわかったものではない。
だからこそ、俺は修行場として、多少燃えても全く心が痛まないカリムのところを迷わず選んだのだ。




