第306話 第一段階
吐く息が、濃い白煙となって夜の闇に溶けていく。
肌を刺すような冷たい冬空の下、俺は屋敷の庭の隅に立ち、いよいよ「変身魔法」の本格的な習得に向けた実証作業に入ろうとしていた。
足元の枯れ芝の上に置いたのは、二つの極上の触媒だ。
一つは、ドワーフ領から取り寄せてあった、青白く透き通る最高品質の『氷の魔石』。
そしてもう一つは、砂漠の死闘で手に入れていた、鈍い黄土色の光を放つ最高品質の『土属性の魔石』である。
まずは、土属性の魔石を手に取り、静かに魔力を練り込んでいく。
この魔石は元々、強敵であった【砂岩の巨像】デザート・ゴーレムの心臓部として機能していたものだ。
そのため、魔力伝導率が異常に高く、新たな人型のゴーレムの作製に使うにはこれ以上ないほど相性がいい。
俺の足元から庭の土がメキメキと隆起し、魔石を中心に集まっていく。
造形する大きさは、だいたい子供位の背丈。
そしてその姿かたちは、他でもない――
俺自身の姿を精巧にコピーしたものだ。
沈黙の図書館で徹夜で勉強した「変身魔法」の基礎理論。
その『自身の肉体のイメージを別の物質に上書きする』という理論を応用し、泥と土塊で俺の顔や手足を造形したのだが、思いのほか上手くいったようだ。
完成したのは、土色に染まった、子供時代の俺の姿だった。
月明かりに照らされた土人形の自分を見下ろすのは、なんとも言えない不気味さがあるが、実験のプロセスとしては完璧だ。
俺はその土人形の胸の奥、コアとなっている土属性の魔石に向かって、意識を集中させる。そして、己の精神を刃で薄く削り取るような感覚と共に、「写し身の魔法」を発動させ、俺の意識の一部をわずかに宿らせた。
ズン……ッ。
低い振動音と共に、土色のゴーレムのうつろな瞳に、微かな知性の光が灯る。
すると、ゴーレムはグギッ、と関節を鳴らしながら立ち上がり、自立して動き出した。
***
ゴーレムは自分の手のひらを握ったり開いたりしながら、稼働領域を確かめるように、首を回したり足踏みしたりと様々な動きを試している。
本来、これはただの土と魔力でできた人形の体だ。
関節の可動域や人体の構造を完全に無視した、首が三百六十度回転するような奇怪な動きも物理的にはできるはずなのだが、基本のモーションは人間と全く同じ動作になっているようだ。
無理もない。
俺の『人の意識』を宿らせている以上、その意思と常識に基づいた動きが無意識の基本制御になってしまうのだろう。
俺の思考と薄くリンクし、黙々と準備運動をする泥の分身。
こいつのことは、これから「ゼノス・ゴーレム」と呼ぶことにしよう。
「よし、こっちの準備はこれでいいな」
俺はゼノス・ゴーレムの挙動に満足して頷き、懐からもう一つの触媒である「氷の魔石」を取り出した。
そして、己の魔力回路を開き、契約している高位精霊を喚び出す。
ポゥッ、と淡い緑色の光が弾け、剣に宿る守護精霊シルフィーが実体化した。
「……ふぁあ。何の用じゃ、我が主よ」
宙に浮いた幼い少女の姿をしたシルフィーは、よほど気持ちよく眠っていたのか、小さな手で眠そうに眼をこすらせている。
「悪いが、少し頼みがある」
「何じゃ、また無茶振りかえ?」
呆れたようにため息をつく精霊をよそに、俺はシルフィーの小さな手と、土でできたゼノス・ゴーレムの冷たい手を両手でしっかりと掴んだ。
そして、そのまま冬の夜空、分厚い雲の上を見上げる。
空間座標を設定し、空間魔法『転移』を一気に発動させ、上空はるか高高度へと一瞬で移動した。
***
視界が切り替わった瞬間、暴力的なまでの冷気が全身に襲いかかってきた。
空の上は、地上の冬の寒さなど比較にならないほど、凍てつくように寒い。吐く息すら一瞬で凍りつきそうな極寒の世界だ。
俺はシルフィーとゼノス・ゴーレムの手を離す。
眼下には王都の夜景が小さく瞬いており、ふたりとも浮遊魔法によって重力から解放され、虚空にふわりと浮いて静止している。
「これから、俺がこの魔石で氷の粒を大量に作る。シルフィーは、それを風魔法で猛烈にかき混ぜてくれ」
「ふむ、よかろう。巨大な竜巻のようにするのじゃな」
俺の意図を瞬時に汲み取ったシルフィーが、パチリと目を覚まして不敵に笑う。
相変わらず理解が早くて助かる。
俺は手に持った氷魔石に、莫大な魔力をギュイィィンと流し込んだ。
そして、魔石の表面から剥離させるように、鋭い小粒の氷の魔石を空中に大量に作り出していく。まるで散弾銃のように上に向けて連続射出された数万、数十万という氷の粒たち。
それらを、シルフィーが両手を広げて展開した極大の風魔法が、一網打尽に捕らえて凄まじい勢いでかき混ぜ始めた。
ゴオォォォォォォッ!!
夜の空に、氷の破片を内包した巨大な竜巻が顕現する。
竜巻の中で無数の氷の粒が猛スピードでぶつかり合い、砕け、激しい摩擦を起こす。俺が図書館で学んだ知識の通り、バチバチと青白い静電気が発生し始めているのが見えた。
それらの静電気は竜巻の中で帯電して急速に束ねられ、威力を増し、やがて本物の『雷』へと成長していく。
なぜこんな面倒な手順を踏んでいるのか。
それは、俺が持つ特異体質に関係している。
俺の特殊能力である「魔封印」の影響により、俺は体内で生成した魔法を、体外に放出して自由自在に遠隔操作し続けることができないからだ。
だからこそ、俺が物理的な氷の粒(素材)を提供し、シルフィーの風魔法(動力)でそれを撹拌するという、連携作業によって「雷という自然現象」を人工的に製造しているのだ。
「……それにしても、この竜巻だけでも、かなりえぐい攻撃魔法になるな」
目の前で荒れ狂う暴風の壁を見つめ、俺は思わず呟いた。
ただの風ではない。
人を容易くミンチにする暴風の竜巻と、不可視の刃となる氷の礫、そこに致死量の電撃がセットになっているのだ。
軍隊のど真ん中に放り込めば、一瞬で部隊が消滅する凶悪な複合魔法だ。
***
さて、見とれている場合ではない。
数分間撹拌を続けたことで、竜巻内部の雲には十分に電気が溜まり、今にも飽和して弾け飛びそうな状態になっていることだろう。
「よし、次の段階に移るか」
俺は、隣で静かに浮遊しているゼノス・ゴーレムの土の腕をガシッと掴んだ。
同時に、俺自身の肉体に『身体能力強化』の魔法を何重にも掛け、筋繊維が悲鳴を上げるレベルまで腕力を爆発的に向上させる。
俺は体を大きく捻り、砲丸投げの要領で、俺の意識を繋いだ泥の分身を、荒れ狂う雷の竜巻のど真ん中へと全力で投げ入れた。
ビカッ! バリバリバリバリ!!
暗闇を真っ白に染め上げる閃光と、鼓膜を破る轟音。
竜巻の中に飛び込んだゼノス・ゴーレムという「異物」を感知した瞬間、雲の中に溜まっていた莫大な電気が、一斉にゴーレムの肉体へと牙を剥いて殺到した。
ゴーレムは浮遊魔法の力で、竜巻の中心部でピタリと停止している。
俺の狙いは一つ。
雷というエネルギーの性質、熱量、そして魔力の波長を、「俺自身のコピー」に直接叩き込み、その感覚を安全にデータとして観測・学習することだ。
変身するためには、対象を骨の髄まで理解しなければならない。
それから数十分。
俺は極寒の空に浮かんだまま、己の分身が雷に打たれ続ける様を冷静に観察し続けた。
やがて竜巻が収まり、雷のエネルギーが完全に放出し尽くされた時。
そこに残っていたのは、俺の形をしていたゴーレムの体が跡形もなく崩れ落ち、高熱でドロドロに焼け焦げた、ただの黒い土くれの塊だった。
しかし、その中心には、しっかりと雷の魔力データを蓄積した土属性のコア魔石が、熱を帯びて無傷で残っている。
「……上出来だ」
俺は虚空に漂う熱いコア魔石を回収し、火傷しそうなそれを手のひらで転がしながら、足早に地上の屋敷へと転移して帰還した。
変身魔法の習得。
その第一段階は、見事にクリアされたのだった。




