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第304話 反省会と打開策

 圧倒的な光の暴力に蹂躙された魔界から、空間をねじ切るようにして逃げ帰ってきた俺は、ひどく荒い息を吐き出していた。


 「雷の魔人」との戦いで一方的にボコられた俺は、命からがら、砂漠の国・ザハラ王国の王宮へと転移した。


 辿り着いた先は――

 悪徳大臣・カリムが所有する豪奢なハレムだ。


 最近、俺はここには来ていなかったので、奴らも油断していたのだろう。

 広大なハレムのプールにはカリム大臣の囲っている大勢の女たちがたむろしていた。


 大理石の床に響く嬌声と、甘ったるい香水の匂いが充満していたのだが――

 全身から焦げた匂いと濃密な殺気を立ち上らせた俺が突如として姿を見せると、状況は一変した。


「ひっ……!」

「魔人だわ!」


 ――と悲鳴を上げ、彼女たちは濡れた体もそのままに、蜘蛛の子を散らすように慌てふためいて散っていった。


 あっという間に静寂が落ちた。

 今残っているのは、プールに浸かっている俺と、壁際でガチガチと歯の根を鳴らして震えている肥満体の大臣・カリムの二人だけだ。


 ざばり、と冷たい水に深く身を沈める。


 死に直結する傷自体は『身代わり術式』で使い魔のゴブリンに肩代わりさせたが、光速で何度も消し飛ばされかけた精神的な疲労と、神経に焼き付いた幻痛までは消えてくれない。


 俺が目を閉じて濁った息を吐き出しながら水に浸かっていると、ポゥッ、と淡いエメラルドグリーンの光が湯面に集まった。


 俺の守護精霊であるシルフィーが実体化し、細い指先を振って、俺の体から流れ出た血や服の煤で汚れていた水の浄化を行った。


「にょほほ。随分とご機嫌斜めじゃな、我が主よ」


 宙にふわりと浮いたまま、幼い少女の姿をした超・高位精霊がニヤニヤと笑いかけてくる。普段ならその態度に軽口で返すところだが、今の俺にはそんな余裕すらなかった。


「……まあ、な。手も足も出ない、完全なぼろ負けだったからな」


 自嘲気味に呟き、水面を見つめる。


 雷轟らいごうのヴォルテックスは、間違いなく規格外の強敵だった。

 だが、単に魔力や身体能力のスペックで劣っていたという、それだけではない。


 理不尽なまでの敗北感を味わった最大の原因は、戦いには『相性』というものが存在するからだ。


 骨の髄まで痛感させられた。

 人間が脆い生身のまま、大自然の猛威そのものである『雷』に、正面から勝てるはずがないのだ。



 ***


「それにしても、光の速度で動けるとか、どう考えても反則過ぎるだろ」


 苛立ちに任せて、ちゃぷん、と水を跳ね飛ばす。


 時間を操作するという、世界を書き換えるような能力を持っている俺が言うセリフでもないと思うが、それでも言わずにはいられないほどの、文字通りの反則級の強さだった。


 ――なぜ、「時間を完全に停止」させて、動けない敵を倒さないのか?


 理屈の上では、可能だ。

 時間を完全に停止できれば、どれだけ光の速度で動く敵の動きも、空間ごと完全に止めることができる。


 だが、その究極の魔法を行使した場合、恐るべき代償が待っている。

 俺自身の意識すらも、完全に停止したモノクロームの世界に閉じ込められる危険が生じるのだ。


 感覚的なもので説明が難しいが――それは「時間という概念」のある世界から俺の存在そのものが切り離されてしまい、「時間」というものを再認識できなくなる。


 すると、時間の流れる世界に帰れなくなる。

 永遠に時の流れない暗黒の異空間で、自我を持ったまま迷子になってしまうみたいな感じだ。


 宇宙の深淵にたった一人で放り出され、二度と元の世界に帰還できなくなるような、根源的な恐怖。


 それが、完全な時間停止に潜むリスクだった。


 魔法というのは、使い方を極めれば何でもできる、神にも等しい便利な力だ。

 しかし、それを「人が使う」以上は、おのずと明確な限界も生じる。


 強大すぎる力の行使には、世界からの反作用として、それ相応の破滅的なリスクも伴う。そして何より、人間の肉体や意識という「器」には、耐えきれるキャパシティの限界があるのだ。



 ***


「それにしても、あの魔人の強さは反則だ。魔人と言っても、流石になんでもありすぎやしないか?」


 俺は濡れた前髪をかき上げながら、再び愚痴をこぼした。


 ただ速いだけではない。

 光の速度で動けるうえに、攻撃の瞬間にはしっかりと実体化して凄まじい質量も伴っているなんて、物理法則をどう歪めればそんなことが可能になるというのか。


 俺の拭いきれない苛立ちを感じ取ったのか、シルフィーは空中でくるりと一回転し、真面目な顔つきになって口を開いた。


「うむ。確かに恐ろしい力じゃ。だが、あやつとて何でもありの無敵というわけではないぞ。自らを『雷という性質、概念』に変換している以上、長時間あの光速の動きを維持することは不可能なはずじゃ」


「……長時間は無理?」


「いかにも。自然界の摂理じゃよ」


 なるほど。

 言われてみれば、自然界でどれほど強大な雷という現象が発生しても、それは一瞬で大地を打ち据え、すぐに消える。


 思い返せば、雷轟のヴォルテックスもそうだった。


 あいつは一度俺に致命的な攻撃をヒットさせると、そこで一旦光速移動は終わり、遠く離れた空中で立ち止まって、再び魔力を練り上げてから魔法を使っていた。


 ずっと光速のまま動き続けていたわけではない。


(だが……それが分かったところで、俺の生身での対処は難しい)


 俺は心の中で毒づく。

 光った、と思った次の瞬間には、すでに致死の攻撃を食らって心臓を貫かれているのだ。どれほど神経を研ぎ澄ませても、初撃に反応するのは絶対に無理だ。


 魔封印の影響もあり、敵の魔法は俺の2メートル手前で霧散しているはずだが、動きが速すぎて魔法の残滓が残ったまま、奴の拳はこちらに到達している。


 そして、俺が頼みにしている「身代わり術式」にも、傷を他者に転嫁して再生するまでのほんのわずかなタイムラグがある。

 だから、術式で生き返った直後、敵の「攻撃後の隙」を狙って反撃するというのも、現実的ではない。


 それに何より、ヴォルテックスの「攻撃後の隙」事態が、せいぜい数秒という短すぎるものであり距離もある。人間の反射神経ではとても『隙』と言えるほどのものでもないのだ。


「おい、カリム。壁に張り付いてないで、こっちに来い。――お前、なんかいいアイデアないか?」


 考えが行き詰まり、俺は半ば八つ当たりのように、大理石の柱の陰で小さくなっている悪役貴族に声をかけた。



 ***


「ひぃっ! わ、私でございますか!?」


 突然意見を求められたカリムは、肩をビクンと跳ねさせて怯えたが、やがて脂汗を拭いながら、いかにも悪役らしい小賢しい意見を進言してきた。


「そ、そうですな……。現状、「漆黒の魔人」殿の手をもってしても打つ手なしなのであれば、あえて放置するのはいかがでしょう? その雷轟のヴォルテックスという敵が、最大勢力のオルカスの軍門に下らずに逆らい続け、勝手に潰されてやられるのを祈るしかないのではないでしょうか?」


 ……ヴォルテックスをオルカスにぶつけて、潰し合わせる、という策か。

 俺が手を下さず、敵同士で削り合ってもらう。


 悪くはない。

 だが、どちらが勝つにせよ、盤面を完全にコントロールできなくなるのは、それはそれで後々ひどく面倒なことになりそうだ。


 俺が渋い顔でプールの縁を指先で叩いていると、頭上でふわりと浮かんでいたシルフィーが、得意げに笑って助言してきた。


「にょほほ、我が主よ。そんな他力本願で面倒なことをせずとも、単純な話、こちらもあの魔人と同じ魔法を使えばいいではないか」


「……同じ魔法? 俺が雷になるってことか?」


 できるのか?


「うむ。そういえば、人族で使う者はまったくおらんな。人界では研究もされておらんようじゃが、帝国の辺境に住むあの獣人共がよく使っておるじゃろう? 自らの肉体を別の概念へと作り変える魔術――『変身の魔法』メタモルフォーゼじゃ」


 ――メタモルフォーゼ。


 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に雷光のような閃きが走った。

 生身の人間だから雷に対抗できないのなら、雷に耐えうる、あるいはそれ以上の超常の存在に「変身」してしまえばいい。


 時間の操作ではなく、肉体の概念そのものを書き換えるアプローチ。


(……なるほど、その手があったか!)


 シルフィーの口から、分厚い暗雲を切り裂くような明確な突破口が提示された。


 俺は思わず口角を吊り上げる。


 流石は精霊王だ。

 カリムの百倍役に立つ。


 さっきまでの疲労感は嘘のように消え去り、俺は次なる一手に向けて、急速に思考を加速させ始めた。

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