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第300話 長い旅の終わり

 翌日。

 木漏れ日が窓の隙間から差し込み、森の鳥たちのさえずりで目を覚ました俺は、手早く身支度を整えた。


 行き先は、ヴァランティーヌ侯爵が拠点とする防衛都市だ。


 あの血なまぐさい決戦を終え、獣人族との間に確かな「和解」の楔を打ち込むことができた。

 彼らと別れて森を出ることにする。


 あとは、借りていたレンタル馬を返しに行かなければならない。


 ルミアとクーコは、それぞれいつもの愛らしい「子ライオン」と「黒猫」の姿に戻り、俺と一緒に馬の背に揺られている。彼女たちの柔らかい体温が、冬の冷気を少しだけ和らげてくれた。


 一方、昨夜の宴で図に乗って大騒ぎしていたシルフィーは、すっかり疲れ果てたのか、今は愛剣『クロノス・ヴァイス』の中で静かに眠っている。


 急ぐ旅でもない。

 俺は手綱を緩め、一日かけてゆっくりと馬を走らせることにした。


 獣人の森とヴァランティーヌ侯爵領の境目にあった砦は、昨日の激戦の余波で無惨に破壊されていた。


 崩れ落ちた石壁の残骸の周りでは、顔を煤で汚した兵士たちが、凍える手をさすりながら慌ただしく修繕作業に入っている。

 森の奥から悠然と現れた俺の姿に、彼らは一瞬、ピリッと空気を張り詰めて警戒の目を向けた。


 無理もない。

 昨日の今日だ。


 だが、俺が胸元から王家直属の護衛騎士の証である『蒼穹の誓約』の紋章を見せると、彼らは慌てて道を開け、無事に通ることができた。


 どうやら、国境の末端に配置されている彼らには、俺が獅子王を打ち倒したという昨日の活躍はまだ伝わっていないらしい。それでも、護衛騎士という身分が持つ絶大な権威は、身分証一つで疑念を払拭するだけの効果があった。



 ***


 砦を越え、領地の深部へと進む道中。

 点在する集落の悲惨な光景が、目に飛び込んできた。


 焼け落ちた納屋、荒らされた畑、そして深く刻まれた巨大な獣の爪痕。

 獣人たちの怒りの進軍によって、かなりの被害を受けていたのだ。


(……これは、領地の立て直しにも相当な時間がかかるだろうな)


 すれ違う村人たちの瞳には、疲労と、よそ者に対する強い警戒心が宿っていた。


 彼らにとって、外から来る者はすべからく「脅威」に映るのだろう。

 こういう状況下では、それもやむを得ないことだ。俺はあえて彼らと目を合わせず、静かに通り過ぎた。


 その日の夜は、冷え込みが厳しかった。


 しかし、獣人を連れての旅だ。

 安全を考慮して街には入らず野宿することにした。


 ルミアとクーコは、ふかふかの毛皮を持つ獣形態でいるので、凍てつく野宿を全く苦にしない。むしろ丸まって気持ちよさそうに寝息を立てている。


 俺は太い木の幹を背にして座り、厚手のマントにすっぽりとくるまった。


 このマントには優れた保温機能が付与されているし、念のために発熱効果のある魔導具のカイロも持って来ている。


 底冷えする冬の森でも、凍えて死ぬことはないだろう。


 翌日。

 灰色の空から、わずかに白い雪が舞い降りていた。


 吐く息は白く、馬の蹄の音が雪を踏みしめてくぐもる。

 俺は手綱を引き、南の防衛都市へとさらに下っていく。


 この北の脅威である獣人族との戦争は、俺の介入によってひとまずは収束した。


 だが、南東に位置するアイゼンバルト辺境伯の軍勢が、いつこの混乱に乗じて侵攻してくるかもわからない。


 ヴァランティーヌ侯爵にとっては、息つく暇もなく、胃に穴の空くような頭の痛い日々がまだまだ続きそうだ。



 ***


 防衛都市の重厚な城門に着くと、物々しい警戒態勢を敷いていた門番の兵士から、ただちに呼び止められた。

 どうやら、侯爵が血眼になって俺を探し、会いたがっているようだ。


「後で訪問する。そう伝えろ」


 俺は短く告げ、兵士の制止を振り切って街の中へと入った。


 まずは、何よりも馬を返すのが先だ。

 この馬はギルドでレンタルしていたもので、万が一の保険代わりに保証金を多く払っている。無事に傷一つなく馬を返す時に、その差額分はしっかりと返金されるシステムなのだ。


 なぜわざわざ馬で移動しているのか。

 それは、俺が今、帝国の暗部を掃除する『漆黒の魔剣士ゼノス』として公に活動しているからだ。


 「漆黒の魔剣士ゼノスが確かにこの地を旅し、事態を収拾した」という物理的な足跡を残すために、あえて便利な転移魔法を使わず、泥臭く馬で行動していたのだ。


 街の中に入る際、ルミアとクーコには人間形態になってもらった。


 二人に目深にフードをかぶらせ、獣人の特徴である耳や尻尾を完璧に隠す。この街の住人が獣人に対してどんな過激な反応を示すか、火を見るより明らかだからだ。


 馬を返し終えると、急激に腹の虫が鳴った。

 侯爵の小言を聞く前に、まずは腹ごしらえだ。


 俺は路地裏にいた街のガイドの少年に銀貨を弾み、治安の良い地区にある、とびきり旨い飯屋まで案内させた。


「わらわも食べるぞ!」


 豪奢な造りのレストランの扉を開ける直前。

 俺の意図を察したのか、剣の中で寝ていたはずのシルフィーがちゃっかりと実体化し、空中でふんぞり返りながらご飯をねだってきた。


 案内された個室のテーブルには、湯気を立てる肉料理や温かいスープが次々と運ばれてくる。

 戦争直後の情勢不安で物価が高騰しているのか、値段は少々張ったが、その分ボリュームがあって、胃袋を掴まれるほど旨そうな料理ばかりだ。


 四人で無言のままそれを綺麗に平らげた。

 シルフィーは腹を満たすと、「大儀であった」と満足げに頷き、再び剣の中へと戻っていった。



 ***


 食後。

 俺は重い足取りでヴァランティーヌ侯爵の居城へ赴いた。


 豪華な謁見の間に通されると、侯爵はひどくやつれた顔をしていた。


「……この度は、窮地を助けられた。礼を言う」


 絞り出すように謝意を示した後、侯爵は重々しい口調で本題を切り出した。


「エリザベート様の要請を、全面的に聞くことにしようではないか」


 それは、以前俺が面会した時に強く要求した「領内における奴隷狩りの禁止」と「亜人への虐待の禁止」の法制化のことだ。


 ずいぶんと恩着せがましい言い草だが、今回の戦争で文字通り死の淵を覗き込み、獣人族の圧倒的な暴力と恐怖を骨の髄まで知ったからだろう。


 背に腹は代えられない、というやつだ。


 目的は果たした。

 俺は「賢明なご判断です」と当たり障りのない短い礼を言い、さっさと謁見の間を後にした。


 もう、この物々しい街に長居する理由(用)はない。


 ルミアとクーコを連れて、足早に街を出る。

 城壁から少し離れた人気のない森の影に入ったところで、俺はようやく空間魔法を展開した。


 一瞬の浮遊感の後、俺たちはアースガルド王国の王都にある、見慣れた自分の屋敷へと『転移』で帰還した。


 静まり返った書斎に戻る。


 張り詰めていた空気が抜け、俺はすぐに備え付けのベルを鳴らし、専用メイドのリーリアを呼び出した。


 数分後、控えめなノックと共に、巨乳メイドが姿を現した。

 何日か外で野宿を重ねていたせいか、ピンと伸びた彼女の背筋と、どこか温かみのある瞳を見た瞬間、ひどく久しぶりに会う気がした。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 俺は無言のまま彼女の細い手を取り、強引に引き寄せる。


 そして、わずかに驚く彼女の華奢な体を、腕の中にすっぽりと抱きしめた。

 石鹸と、紅茶の微かな香りが鼻腔をくすぐり、凍えきっていた心が芯から溶けていくのがわかる。


 すると、それを見ていたルミアとクーコが「あ、ずるい!」とばかりに俺の真似をして、後ろからリーリアの腰にぎゅっと抱き着いてきた。


 振り返れば、長い道のりだった。

 ベルンシュタイン伯爵領での騒動から始まり、このヴァランティーヌ侯爵領での獣人族との戦争を終わらせるまで。


 俺は転移魔法でしょっちゅう屋敷に戻りながらも、泥臭く各地を旅して回った。

 血と泥にまみれ、権謀術数が渦巻く戦場を駆け抜けた。


 だが、どんなに長く過酷な旅路であっても。

 その終わりで俺を待っているのは、いつだって彼女の静かな体温と、この日常なのだ。

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