第299話 和解と歓待の宴
ヴァランティーヌ侯爵領での血みどろの決戦にて、俺は獣人族の頂点たる獅子王と一騎打ちに挑み、そして見事に勝利した。
荒れ狂っていた魔力の残滓が消え、舞い上がっていた土煙が冷たい冬の風に流されていくと、戦場に異様な光景が広がった。
死闘を制し、肩で激しく息をする。
視界の端では体力の枯渇による火花が散り、指先は極度の緊張からの解放で小刻みに震えている。
そんな俺に対し、本来であれば敵であるはずの獣人族から、地響きのような拍手と喝さいが送られているのだ。
「おおおおっ!」
「強者よ! 我が王と渡り合うとは!」
野太い歓声が、ビリビリと肌を刺すような空気の振動となって伝わってくる。
一方、俺に助けられ、背後で守られていたはずの侯爵軍の兵士たちは、この常識外れの結末を前に、持っていた槍や剣を取り落として呆然としていた。
腰を抜かし、泥にまみれた彼らの姿は、どこか滑稽ですらある。
「さすがですわ。ゼノス様!」
「見事であったぞ、我が主よ!」
「うにゃ~~~!!」
戦場のピリピリとした殺気を中和するように、背後から三つの無邪気な声が響く。ルミア、シルフィー、クーコの三人が、俺の勝利を無邪気に称えてくれた。その声に、張り詰めていた俺の心臓の鼓動が、ようやく落ち着きを取り戻していく。
すると、地面に倒れ伏していた巨大な影――獅子王が、ドスッ、ドスッと大気を揺らす重い音を立ててむくりと起き上がった。
「やるではないか人間の小僧。いや、ゼノスという名であったな。……ふっ、よくぞ力を示した。我が娘の相手に相応しいと認めてやろう」
口元の血を乱暴に拭いながら、獅子王は獰猛だが、どこか憑き物が落ちたようなスッキリとした笑みを浮かべた。
……いや、待て。
サラッと「娘の相手」とか言ったか?
こんな決め方で良いのかよ。
――と思ったが、今更だな。
獣人は自分の認めた強者に対しては、種族の垣根を越えて深い敬意を払う。
絶対的な王が認めたことで、他の獣人たちも、俺のことを完全に受け入れてくれたようだ。
彼らが向けてくる、黄金色に輝く熱い視線……そこからは先程までの凍り付くような殺意は消え失せ、むさ苦しいほどの仲間意識を感じる。
「では、帰って宴にするとしよう。この戦いと、新たな同胞に乾杯だ!」
獅子王が豪快に宣言した。
彼らは国家を揺るがす戦争に来ていたはずだが、強者との戦いに満足したのか、あるいはルミアの無事を確認できたからか、驚くほどあっさりと矛を収めて帰ってくれるらしい。
「そうですわね。わたくしたちも参りましょう、ゼノス様」
「うむ、そうじゃな。わらわを称えよ。この勝利はわらわの加護あってのものよな」
「にゃん! ごはん、にゃん!」
俺の連れてきた幼女たちもすっかりその気になり、当然のように獣人の宴に参加する気のようだ。特にルミアとクーコは、すでに食べ物の匂いを想起しているのか、鼻をひくつかせている。
そうなると当然、彼女たちの保護者である俺も一緒に行くことになる。
俺は疲労で鉛のように重くなった身体に鞭打ち、近くに待機させていた馬を呼び寄せた。
幼女三人をまとめて背に乗せると、俺は引き上げる獣人たちの巨大な群れ……歩くたびに地鳴りがするような、毛皮と野生の匂いが充満する一団に付いていった。
戦場跡に疲れ果ててへたり込み、硝煙の中で呆然とこちらを見送るヴァランティーヌ侯爵たちを、完全に取り残したままで。
***
数時間の行軍の末、たどり着いたのは『獣人の森』。その入り口付近の、巨木に囲まれて丸く開かれた場所に彼らの集落があった。
一歩足を踏み入れた瞬間、肌に触れる空気の密度がガラリと変わる。
今は厳しい冬だというのに、森の中は意外と温かいのだ。
むせ返るような濃密な緑の匂いと、湿気を帯びた熱気が漂っている。
ここから東の位置には、年中煙を吐き出す火山地帯『ザルツ山脈』がある。
おそらく、その豊富な地熱の影響が、地下水脈などを通じてここに及んでいるのかもしれない。
雪景色の外側とは打って変わり、森の内部は、まるで南国のジャングルのようだった。
普段は種族や群れごとに広大な森で分かれて暮らしている彼らも、重大な話し合いのある時はここに集うという。
それに、人間との交渉が必要な時も、ここを使うらしい。
言わば、集会所の役割を果たす、獣人族の外交用の拠点だ。
本格的な防衛拠点や村は、もっと森の奥深くに隠されているそうだが、ここだけでも十分な広さがある。
彼らは獣化だけでなく人間形態もとれるので、立ち並ぶ建築物のつくりは、人の作った街のそれとさほど変わりはない。
しかし、柱には巨大な獣の骨が使われ、屋根は色鮮やかな極楽鳥の羽で彩られるなど、野性味あふれる独自の文化が息づいていた。
広場の中央に、見上げるほど巨大な焚き火が組まれた。
爆ぜる薪の音と共に宴会が始まると、俺は何故か獅子王の座る隣……いわゆる「最上座」に座らされた。
次から次へと各部族の代表と思われる、岩のように屈強な獣人たちが現れ、順番に恭しく頭を下げて挨拶をしてくる。
(……新参者なのに、こんな上座に座っていいのか?)
居心地の悪さに喉が乾き、杯の酒を煽ろうとした俺の膝の上に、シルフィーが当然のような顔をしてちょこんと座り込んだ。
彼女はふんぞり返った偉そうな態度で、獣人たちの丁寧なあいさつにすっかり気を良くしている。
「うむ、苦しゅうないぞ。もっと敬うがよい」
――などと宣っている。
神聖な精霊である彼女は、とにかく敬われたがるのだ。
一通り挨拶を受けてから、本格的な飲み食いが始まる。
巨大な猪の丸焼きが直火で炙られ、香ばしい脂の匂いが漂ってくる。魔力枯渇で空っぽになった俺の胃袋には、毒に近いほどの誘惑だ。
隣では、ルミアとクーコとシルフィーが、両手を脂まみれにしながら、無心で肉を頬張っている。その、あまりにも平和で微笑ましい光景を見届けた後、俺は木製の重厚な杯を傾ける獅子王に、声を落として静かに話しかける。
「ここ最近、アイゼンバルト辺境伯の手の者が、獣人族と接触していたと思うが……心当たりはあるか?」
周囲のバカ騒ぎに紛れさせるように、しかし聞き漏らせない鋭さを持って切り出した。
「……どこの者かは分からぬが、貢物を持って来て、やけに熱心に話を聞きたがる人間はいたな」
獅子王は酒の杯を止め、黄金の瞳をスッと細めた。
その瞳の奥には、王としての鋭い知性が光っている。
「そいつは、ヴァランティーヌ侯爵に獣人族をぶつけたくて、意図的に情報を提供していた間者だ。お前たちの『怒り』を、自分の領地拡大のために利用しようとしたのさ」
俺が淡々と事実を告げると、獅子王の身体から、微かにピリッとした冷たい殺気が漏れた。
誇り高き獣人の戦士たちを、人間の薄汚い政争の駒に使おうとした。
その事実に、彼のたてがみが逆立つ。
「……そうか。小癪な真似を。……今後は気を付けよう」
怒りを酒と一緒に飲み込むように、重みのある言葉で獅子王は頷いた。
俺は伝えるべきことを全て話し終え、ようやく肩の力を抜いて、目の前の温かい食事に手を付ける。
焼けた肉の暴力的な旨味と、フルーティーだが芯の強い果実酒が、疲弊した身体の隅々までじわじわと染み渡っていく。
無益な争いを止め、裏で糸を引く者の真実を伝えた。
俺はその日、確かな達成感と、数年ぶりに味わうような深い安堵を胸に抱きながら、賑やかな獣人族の集落で一夜を明かすこととなった。




