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第298話 タイマン

 俺は、ヴァランティーヌ侯爵軍と獣人族が繰り広げていた血みどろの戦争に、たった一人で介入した。


 発端は、獅子王ソル・レオン・セクレッドが放った鋭い爪が、今にも侯爵の心臓を貫こうとした瞬間に割り込んだことだ。


 そこまではいい。

 だが、事態は妙な方向へと転がった。


「決闘だ、人間! 我が娘ルミアを嫁にするというのなら、我を倒してみせろ!」


 獅子王の理不尽極まりない宣言により、俺は図らずも、獣人族の頂点と一対一タイマンで決闘する羽目になったのだ。


 つい先ほどまで、平原には魔法の着弾音と兵士たちの断末魔の怒号が響き渡っていた。鼻腔を突く硝煙と、泥に混じったむせ返るような鉄の匂い。しかし今、その喧騒は嘘のように消え失せている。


 獅子王に真っ向から戦いを挑む不遜な人間が現れたとあって、獣人族の戦士たちは獰猛な牙を隠して武器を収め、その意識のすべてをこちらに向けていた。


 対する侯爵軍の兵士たちも、度重なる敗北と目の前の異常事態ですでに戦意を喪失し、ただ震えながら立ち尽くしている。


 戦場には、戦闘の流れが完全に止まった不自然な「空白地帯」が生まれていた。

 数千、数万という夥しい数の視線が、針のように肌を刺す。そのすべてが、中央に立つ俺と獅子王だけに注がれているのだ。


(……ふん。こういう注目のされ方は、嫌いじゃない)


 内心の呆れを隠すように、俺は愛剣『クロノス・ヴァイス』を正眼に構え直し、口角をわずかに上げた。


 冷たい冬の風が、熱を持った頬を撫でていく。



 **


「いくぞ、小僧!」


 獅子王が吠えた。

 大気が震え、ビリビリと肌が粟立つ。


 丸太のような太い腕が猛然と振りかぶられ、五本の鋭い爪が空気を切り裂いて迫る。風鳴りの音が悲鳴のように響いた。


 回避はしない。

 俺はあえて、その渾身の一撃を真っ向から剣の腹で受け止めた。


 ――がごっ!!


 凄まじい衝撃が腕を伝わり、肩の関節が軋む。

 足裏がわずかに地面にめり込み、周囲の土がクレーターのように爆ぜた。


 だが、俺の体はびくともしない。俺には「精霊王の加護」がある。

 あらゆる攻撃ダメージをカットする防御魔法「プロテクション」を、100パーセントに近い精度で行使できるのだ。


「むっ!」


 獅子王の表情に驚愕が走る。

 自慢の爪が、まるで見えない鋼の壁に弾かれたかのような反動を受け、その巨体がわずかに泳いだ。


(隙ありだ)


 俺は加速魔法を発動させる。


 爆発的な踏み込みで獅子王の側面へと回り込む。 

 視界が間延びして引き延ばされ、周囲の兵士たちの瞬きすら止まって見えるほどの神速の世界。


 俺は専用武器「クロノス・ヴァイス」を横一文字に振るい、その銀の刀身で獅子王の無防備な脇腹を深く裂いた。


 分厚い筋肉の繊維を断ち切る、重い手応えが腕に伝わる。


「ぐおっ! おのれぇ!」


 獅子王は傷口から鮮血を撒き散らしながらも、痛みすら闘争心に変えて、怯むことなく腕を振り回して反撃してくる。


 俺はその獣の猛攻を剣でいなし、柳のようにしなやかに受け流す。

 同時に、空いた正面から再び剣を叩き込んだ。



 **


「やるな、人間! だが、ここからが本番だ!」


 驚くべきことに、獅子王の脇腹に刻んだはずの傷は、見る間に肉が蠢いて盛り上がり、すでに塞がりかけていた。


 常軌を逸した回復力だ。

 そして、彼はさらなる咆哮を上げた。


「がぁおおおおおおおおおおおっ!!」


 大気が震え、鼓膜を直接揺さぶるような咆哮と共に、獅子王の体が風船のように膨れ上がる。骨が軋み、筋肉が再構築される不気味な音が響く。


 二メートルほどの人間形態から、全身が黄金の毛皮に覆われた、全長三メートルを超える巨大な「獣化形態」へと変貌を遂げたのだ。熱湯のような闘気が放射され、周囲の気温が跳ね上がる。


 単に巨大化してパワーと重量が増しただけではない。

 「獣」としての本能が解放されたことで、スピードも、そして先ほどの異常な回復力もさらに跳ね上がっている。


 ドッ! ドッ! ドッ! ドッ!


 目にも止まらぬ速さで繰り出される獅子王の猛攻。

 一撃一撃が、城門を粉砕する攻城兵器のようだ。


 俺はプロテクションによる防御と、加速魔法を要所で用いてそれに対応する。

 両者が衝突するたびに、激しい衝撃波が周囲に広がり、平原の草を根本からなぎ倒していった。


(……。爆裂魔法が使えれば、もっと早く決着はつくんだがな)


 極限の思考加速の中、頭の隅で効率的な解法が浮かぶ。


 だが、それは選べない。

 ルミアの父親を灰燼に帰して殺すわけにはいかないし、ここで獣人族の長を殺してしまえば、観戦している獣人たちが復讐に駆られて暴走し、収集がつかなくなる。


 この不毛な戦争を終わらせ、彼らを平和的に森に帰すためには、ただ一つ。

 言い訳のしようもない、圧倒的な「力」の差を見せつけるしかない。


(それにしても強いな。流石は獅子王というだけある)


 加速魔法で時間を操るという反則級のチート魔法を使っていなければ、到底対応できないスピードだ。

 加速がなければ、いくら剣で斬っても分厚い毛皮に威力が殺され、肌を傷つけることができないだろう。


 その上、異常な回復力のせいで決定打にならない。


 どれだけ時間が経っただろうか。

 俺たちの戦いは、数十分――いや数時間に及んだかもしれない。


 いつの間にか、人間と獣人は戦うことを完全に忘れ、互いに距離を取りながら両陣営に分かれて、息を呑んでこの死闘を見守っている。


 いつしか俺の剣は、獅子王の丸太のように太い腕の筋肉に深く突き刺さったまま、抜けなくなっていた。


 素手で戦っている。


 極度の集中と、繰り返される魔法の連続行使により、俺の体力は限界が近い。

 魔力もかなり消耗させられている。


(魔力はまだ余力はあるが、体力はこれ以上持たないな。早く決着を……)


 喉は砂を噛んだように渇き、肺は酸素を求めて焼け付くように痛む。

 視界の端がチカチカと火花を散らす。


 限界が近いのは俺だけではない。

 これだけの長時間、文字通り全力で戦い続けたことによって、さしもの獅子王の気力も終わりを迎えたようだ。


 その荒々しい呼吸が乱れ、動きが、ほんの一瞬だけ鈍った。



 **


(今だ……!)


 俺は全身の細胞から最後の気力を振り絞り、迫り来る獅子王の爪を、首の皮一枚、最小限の動きで躱した。


「これで……終わりだ!」


 どごぉ!!


 無防備になった獅子王の顎めがけ、渾身のアッパーカットを叩き込んだ。

 身体能力強化と加速魔法を、フルに使い勝負をかける。


 三メートルを超える巨体が、物理法則を完全に無視したような衝撃で宙に浮かぶ。脳を直接揺さぶられた巨獣の体が、重力に引かれて地面に叩きつけられ、凄まじい土煙が舞った。


 獅子王は倒れたまま、指一本動かさない。

 完全に意識を失っている。


 俺は酷く荒い息を整えながら、肺に冷たい空気を流し込み、震える右拳をそのまま天高く突き上げた。


「――俺の勝ちだ!!」


 静寂に包まれた戦場に、俺の枯れた声だけが響き渡る。

 一陣の冷ややかな冬の風が吹き抜け、汗ばんだ肌の熱を奪いながら、舞い上がった砂塵をさらっていった。


 次の瞬間。


 うぉおおおおおお!!!

 静寂に包まれていた戦場から、地響きのような「どよめき」が沸き起こった。


 それは死地を脱した人間たちの安堵の声であり、そして何より、自分たちの無敵の王を真っ向から打ち負かした強者に対する、獣人族たちからの心からの喝さいであった。

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