第297話 新たなる宣戦布告
俺は、ヴァランティーヌ侯爵を肉塊に変えようとしていた獅子王ソル・レオン・セクレッドの死角から割って入り、その凶悪な爪を愛剣『クロノス・ヴァイス』で真っ向から受け止めた。
「ガキィイイイイイイインッ!!」
火花が散り、鋼鉄と硬質な爪がぶつかり合う鼓膜を劈く(つんざく)ような轟音が戦場に響き渡る。衝突の余波で足元の土がえぐれ、猛烈な突風が周囲の硝煙と血の匂いを吹き飛ばした。
腕から肩へ、そして背骨へと突き抜ける凄まじい衝撃。
さすがは獅子王だ。
ただの一振りが、巨大な鉄槌をまともに喰らったかのような質量を持っている。
「この戦いを、止めに来た」
俺が静かに、しかし確かな意志を込めて告げると、背後で尻餅をついていた侯爵は信じられないものを見るように驚愕の表情を浮かべた。
喉を鳴らし、ひきつった呼吸を繰り返す侯爵からは、高価な香水の香りと、隠しきれない死への恐怖が混じった嫌な汗の匂いが漂ってくる。
対照的に、目の前にいる獅子王は面白そうに、獰猛な笑みをゆがめた。
彼の背丈は2メートルを優に超えている。
獣化前の人間形態であるにもかかわらず、その肉体は鋼のように引き締まり、圧倒的な威圧感を放っていた。
とにかくデカい。
立ち上る熱気は陽炎のように空気を揺らし、黄金のたてがみからは荒野の乾いた砂と、捕食者特有の重苦しい芳香が立ち込めている。
周囲を取り囲んでいた獅子の群れは、王の戦いに水を差すつもりはないらしい。
誇り高き獣の矜持か、俺に対して追撃をかけてくる気配は一切なかった。
「我が一撃を止めるとは、やるではないか、小僧――だが、戦いを止めるとは、どういうことだ。こちらには矛を収める理由などないが?」
野太く、腹の底に響くような声で獅子王が問う。
言葉の端々に鋭い牙が覗き、ただ立っているだけで肌がピリピリと焼かれるような殺気だ。
(それは、そうだな。……娘を攫ったのは人間側だ。敵を圧倒している戦況で、弱者に情けをかけてやる理由はない)
だが――
こっちには、とっておきの切り札がある。
獅子王の愛娘、ルミアだ。
もともと彼女は、悪辣な人間による獣人狩りで攫われ、非合法の地下闘技場で優勝賞品という名の景品にされていた。
あの薄暗く、血と錆の匂いが充満した闘技場の熱狂……そこでトーナメントを勝ち抜いた俺が、彼女の身柄を抑え、特別な魔法契約を結んで保護しているのだ。
ルミアを無事に親である獅子王の元へ返せば、この理不尽な怒りも幾分かは収まるだろう。
「理由ならあるさ。とりあえず、俺の話を聞いてくれ」
剣を構えたまま、俺は余裕を装って切り出した。
内心では交渉が上手くいくか心配で、心臓が早鐘を打っているが、ここで弱気を見せれば一瞬で食い殺される。
「……なに?」
獣人族は、圧倒的な力を持つ者に対しては明確な敬意を示す文化がある。
現に、獅子王の渾身の一撃を受け止めた俺の話を、彼は一応聞いてくれるらしい。問答無用で再び爪を振り下ろしてくることはなかった。
「貴殿の娘を助け出し、この場に連れてきている」
俺がそう告げると、獅子王の顔がピクリと動き、俺の真意を見極めようと険しい表情に変わった。
黄金の瞳が細められ、射抜くような視線が俺の全身を舐める。
決して簡単には騙されないぞ、という歴戦の王の顔だ。
「なっ、なんだと!?」
獅子王が反応するより早く、俺の背後で腰を抜かしたままのヴァランティーヌ侯爵が、裏返った声で代わりに驚きの声を上げていた。
***
「嘘ではない。すでに、この場に連れてきている」
「……そのようだな」
獅子王は深く鼻をひくつかせている。俺の言葉を鵜呑みにせず、鋭い嗅覚を使って風に乗ってくる匂いで娘の存在を確認しているようだ。
そのやり取りの直後だった。
パカッ、パカッという蹄の音を響かせながら、俺が乗ってきた馬がこの場にやってきた。その背には、ルミアとクーコが乗っている。
そして何故か、普段は姿を見せない俺の守護精霊シルフィーが、実体化して一緒に馬に跨っていた。透き通るような翠色の髪が冬の陽光に煌めき、どこか尊大な空気を撒き散らしている。
三人の幼女が、俺たちのすぐ近くでふわりと馬から降り立つ。
周囲の戦場では未だに激しい戦闘が繰り広げられ、怒号と悲鳴が飛び交っているというのに、俺と獅子王が対峙するこの一帯だけは、強者同士のプレッシャーが拮抗し、まるで台風の目のような無風状態になっていた。
(よし、ここまでは完璧だ。ルミアを獅子王に返して顔をつなぎ、獣人族には軍を引き上げてもらう。その後で、ゆっくりと獣人の森に赴き、強固な友好関係を築く)
それが俺の描いた、完璧で平和的なシナリオだった。
冷たい風が吹き抜け、ルミアの真っ白な髪がわずかに揺れる。
ルミアたちが、まっすぐにこちらへ歩いてくる。
そして、彼女は大きく息を吸い込み、開口一番にこう宣言した。
「こちらのゼノス様が、父上に勝負を挑みますわ! この方は、わたくしをお嫁さんにするつもりなのです。いざ尋常に、決闘ですの!!」
……ん?
冬の乾いた空気を震わせ、戦場の喧騒すら切り裂くほどよく通る声で、ルミアが堂々と獅子王に喧嘩を売った。
えっ?
俺は戦いを止めに来たって言ったよな?
――事前に打ち合わせしたよね?
呆然とする俺をよそに、今度はシルフィーがふんぞり返って大声で叫ぶ。
「控えおろう、薄汚い獣どもよ! 特別に、わらわを崇めることを、そなたらに許して進ぜよう。さあ、わらわを称えるがよい!!」
それに釣られるように、黒猫族のクーコも元気いっぱいに叫んだ。
「うにゃ~~~~!!」
ピンと立った猫耳をピクピクさせながら尻尾を振っているが、その叫びには特に意味はなく、ただ場の空気に当てられて大声を上げたかっただけのようだ。
「……ほう。なるほど、我が娘をよこせと……いいだろう!」
ルミアの爆弾発言を聞いた獅子王は、怒るどころか、獰猛な笑みをさらに深めて俺を睨みつけた。
彼の周囲の空気が一気に重くなり、物理的な圧力となって俺の肩にのしかかる。
「娘を嫁にするには、その父を戦って倒さねばならん。我ら獣人の掟を知り、その上で我が前に姿を見せるとは……いい度胸だ、人間!!」
ギリギリと筋肉が軋む音を立て、獅子王から放たれる黄金の闘気が何倍にも膨れ上がる。
一触即発。
いや、既に爆発は始まっていた。
違うんだ。
そうじゃない。
(そうじゃないんだけど……くそっ、今更引っ込みはつかないか)
ここで「いや、違います、誤解です」などと言えば、逆に獣人の誇りに泥を塗ることになるし、何よりルミアの顔を潰すことになる。
俺は小さくため息をつき、腹を括った。
冷たい空気で肺を満たし、愛剣を力強く握り直す。
そして、獅子王の気迫に負けじと大声で宣言した。
「ルミアをかけて、いざ尋常に勝負だ! 獅子王ソル・レオン・セクレッド!」
平和的な話し合いに来たつもりが、いつの間にか、俺は獅子王と真っ向から殺し合いの戦いをすることになってしまった。




