第272話 宴の終焉に生まれ出たもの
(ゼノス視点)
夏も、ようやく終わりに近づいてきた。
窓から差し込む日差しはまだ暴力的な熱を孕んでいるが、吹き抜ける風にはわずかに秋の気配が混じり始めている。
この夏を騒がせたカストル侯爵の反乱だったが、それもどうにか片が付いたらしい。リアム王子率いる討伐軍がカストル侯爵の居城を軍事的に制圧し、占拠することに成功したようだ。
今後のカストル侯爵領の統治については、カストルの血縁にあたる者が任されることとなった。
その新体制は、旧支配者を公開処刑するというセンセーショナルな幕開けから政治を始める予定らしい。
大仕事を成し遂げたリアム王子たちは、意気揚々と軍を率いて帰路に就いているところだ。
スケジュールを鑑みるに、夏季休暇が終わる頃、すなわち新学期の頭からは何食わぬ顔で学校に来ることができるだろう。
この春に起きた「白い悪魔」による王都襲撃以来、脅威に対処できず失墜していた王家の威信。それは、この度の反乱の早期収束によって劇的な回復を見せていた。
「戦争に勝利した」という揺るぎない実績が、リアム王子の声望をかつてないほど高めていたのだ。
おかげで王都もすっかり活気を取り戻しており、市場の景気も右肩上がりに良くなってきている。遠くから聞こえてくる行商人の賑やかな声が、平和の尊さを物語っていた。
さて、世間がそんな喧騒に包まれている中、俺はというと――。
相変わらずマイペースに、自分自身の戦力強化に取り組んでいる。
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今日は一日中、よく冷えた果実水を片手に、屋敷でまったりと本を読んで過ごしていた。お気に入りの魔導書を読み終えて、厨房が腕によりをかけた昼食を済ませた後のことだ。
満腹感で少し重たくなった身体を引きずり、再び薄暗い書斎にこもった俺は、そこで「転移の魔人」アシュラフを呼び出した。
あまり頻繁に呼び出したい類いの男ではないのだが、何分便利なので、ついつい頼ってしまうことの多い魔人だ。
空間が歪むような特有の魔力臭と共に、執事服を完璧に着こなした美青年が、俺の前で恭しく傅く。
「お呼びでしょうか、ゼノス様」
「ああ。これからカストル侯爵の処刑を見物しようと思ってな。現地に行きたいから、まずはお前が先行してくれ」
俺がそう頼みごとを口にすると、アシュラフは黒曜石のような瞳を見開いた。
「……なんと。そこに目を付けるとは、流石はゼノス様」
アシュラフは何やら感心したように俺を褒めちぎっているが、正直どの辺が「流石」なのかは全く見当がつかない。
(まあ、それはいつもの事か)
この魔人は隙あらば俺を褒める。
だが、俺自身は褒められるようなことなど何一つしていないし、ましてや深謀遠慮があるわけでもない。
ただ、俺は純粋に見てみたかった。
処刑される直前の、カストル侯爵の最後の姿というやつを。
悪役貴族としての矜持(?)を全うし、民衆から心の底から嫌われ、そして処刑台に送られるその雄姿をだ。
悪役貴族として悪事の限りを尽くし、住民からもしっかりと嫌われ抜き、そして予定通りに殺される。
なんて筋の通った、清々しい男ではないか。
(まがい物の悪役貴族がもてはやされる世の中で、ちゃんと悪を全うした悪役が、民衆から蛇蝎のごとく嫌われているんだ。その様子をしっかりと確かめておきたい――それだけなんだよ)
言ってみれば、ただの野次馬である。
アシュラフが何をどう勘違いしているのかは知らないが、俺の目的は本当にそれだけなのである。
「では、一足先に行ってまいります」
丁寧にお辞儀をしてから、アシュラフはカストル侯爵領へと転移していった。
***
位置情報の確認を終えると、俺は念のために「変身の指輪」を装備した。
さらに、ごわごわとした分厚い布地のフード付き外套を深くまとい、転移を実行する。
跳んだ先は、処刑が執り行われる城の外壁付近だった。
そこには、黒山の人だかりとなった民衆が押し寄せている。
汗と土ぼこり、そして何より、むせ返るような「憎悪」の匂いが充満していた。
外壁のすぐ前には、禍々しい存在感を放つ丸太が二本設置されていた。
その丸太には、二人の人物がこれ見よがしに縛りつけられている。
一人は、今回初めて見る醜く太った男。
高級そうな服は泥と血で汚れ、見る影もない。
そしてもう一人は、俺のよく知る顔だった。
オーギュスト・カストル。
カストル侯爵家の嫡男であり、かつて俺と盛大な喧嘩を繰り広げた不良グループのリーダー格だった男だ。
そいつも今や、両手に包帯を巻かれた姿となり、見る影もなくやつれ果てた顔で丸太に括りつけられている。
小刻みに震えるその姿は、かつての威勢の良さが嘘のようだ。
人混みの最後尾に転移した俺は、あらかじめ発動させていた「隠密術式」を維持する。姿を見せる必要はないため、変身の指輪もこの外套もあくまで念のための保険だ。
(……隠密を維持するのであれば、わざわざこんな厚手の外套を着てこなければよかったか。いや、しかし……)
季節は夏の終わり。
(それにしては、異常に気温が低い気がする)
時刻は正午過ぎ。
空はどんよりとした鉛色の厚い雲に覆われてはいるが、それにしても肌を刺すような寒さだ。
吐く息が白く染まるほどの冷気が、足元から這い上がってくる。
ついさっきまでいた王都は、もっと汗ばむほどに暑かったはずなのだが。
だが、詰めかけた民衆の熱気は凄まじいものがあった。
「殺せ!」「石をぶつけろ!」という怒号が、耳をつんざく。
集団心理の影響もあるだろう。
しかしそれ以上に、長年の圧政を強いた領主親子に対する剥き出しの怒り、そして凄惨な処罰を望む感情がどす黒く渦巻いている。
(……この怒濤の熱気のせいで、誰もこの異常な低温に気づく者がいないのか?)
俺は「これこそが悪役貴族があるべき最期だ」という、妙な満足感を覚えながらも、肌をなでるこの異変に対して警戒心を強めていた。
心臓が嫌なリズムで跳ねる。
ふと空を仰ぎ見る。
そこには、地上から大量の負の魔力を吸い上げながら、巨大な魔法陣が音もなく形成されつつあった。
青白い光が、禍々しく瞬いている。
***
カストル侯爵領。
この地では長年にわたり過酷な圧政が行われ、直近では大規模な戦争という惨劇まで起きた。
人々の心に溜まった負の感情は、今や積み重なり、煮詰められている。
民衆が抱く悪役領主への烈火のごとき怒り。
そして、領主親子が民衆へ抱くどす黒い怨嗟。
それらが今、一つに混ざり合い、空に巨大な魔法陣を描き出していたのだ。
この公開処刑は、カストル侯爵の居城の巨大な外壁を舞台に行われている。
壁の上には新領主が威風堂々と立ち、その周囲、さらには領主親子の左右を固めるように騎士団が配備されていた。
よく見れば、王国騎士団長であるサー・ガイウスの姿も、新領主の傍らに確認できる。鎧の擦れる金属音が、冷たい空気の中で異様に甲高く響く。
ついに新領主の冷酷な合図が下り、処刑が開始された。
人々が、手に持った石を憎しみを込めて領主親子へと投げつける。
ゴツッ、という鈍い音と共に、カストル侯爵の額から血が噴き出した。
民衆のボルテージは、狂気すら孕んで際限なく上がっていく。
だが、俺は処刑の光景そっちのけで、上空の魔法陣を注視していた。
背筋を凍らせるような、圧倒的なプレッシャーがそこから放たれている。
(……今さら俺が出て行って、この処刑を中止させるなんて道理も通らないしな。成り行きを見守るしかないか)
その時だった。
上空の魔法陣が完成を告げ、そこから人類にとって「絶望」そのものといえる存在が姿を現した。
ピキピキと空間そのものが凍りつくような音と共に、骨まで凍えるような冷気を伴い、一人の魔人が降臨したのだ。
そいつを中心として、一気に絶対零度の波動が広がっていく。
民衆の吐く息が一瞬でダイヤモンドダストのように凍りつき、地面には霜が這う。
ただそこに存在するだけで、周囲を極寒の地獄へと変える化け物。
そいつは、大気そのものを震わせるような重低音で名乗りを上げた。
「……我は氷結の魔人・『絶零のアブソリュート』。今日から人間界を支配する、貴様らの王だ!」
絶望を象徴するその魔人は、上空からゆっくりと地表へ降下してくる。
それに伴い、一帯の気温は加速度的に下がっていった。
俺の着ている分厚い外套の表面すら、すでに白く凍り始めている。
事態の深刻さを察知した俺は、即座に転移魔法を起動。
(なんか知らんが、やばそうなのが出てきやがった)
心の内でそう毒づきながら、その場から静かに、そして誰よりも早く離脱した。




