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第271話 悪徳領主の末路

 (悪役領主マルセル・カストル侯爵視点、一人称)


 ぎゅるるるるるうぅ~~~~。


「……腹が、減ったな」


 私はかつての栄華を象徴する、豪奢な装飾が施された威厳ある領主の書斎にて、その場に似つかわしくないほど盛大に腹を鳴らしながら、ぽつりとそう呟いた。


 ひんやりとした大理石の床から冷気が這い上がり、空っぽの胃袋をさらに縮み上がらせる。


 「転移の魔人」アシュラフを暗殺に派遣してから、すでに二日が経過している。


 しかし、一向に敵軍が瓦解する様子は見られない。

 分厚い窓ガラス越しに見下ろす平原には、相も変わらず王国軍の軍幕が整然と並び、夜になれば焚き火の煙が空を焦がしている。


 彼らは冷酷に、そして確実に兵糧攻めを続けていた。

 ――王子が死んだというのに、薄情な奴らだ。


 不敬な料理長を斬って捨て、見せしめの粛清を加えた。

 血生臭い匂いが厨房にこびりつくほどの惨劇だった。


 だが、それを機に残った料理人たちを筆頭に、城の使用人どもが次々と脱走し、あろうことか敵軍への降伏を始めたのである。


 逃亡した者は死罪。


 そう言い渡し、見つけ次第殺すよう命じてはあるのだが、夜の闇に紛れて逃げ出すネズミどもは後を絶たなかった。


 今まで雇ってやり、十分な給料を与えてきた恩を忘れ、あろうことか敵に恭順するとは……。なんと浅ましい奴らだろうか。


 やはり、生まれの悪い下賤の者どもは卑しいのだ。

 高貴な家に生まれたこの私とは、魂の格が違って当然というわけか。



 **


 ぐりゅるうるるるう~~!


 それにしても、腹が減った。

 胃酸が喉まで込み上げてきそうだ。


 指を五本も引きちぎられた息子のオーギュストは、簡単な治療を受けた後、自室でずっと寝たきりだ。「痛い、痛い」と泣き喚く声が廊下まで響いていたが、回復術師も今や人手不足。あのアホの治療に人員を割いてはおられん。


 痛みなど我慢させるしかない。


(……息子の指を犠牲にして、リアム王子は始末した。だが、なぜ敵軍は撤退する様子を見せんのだ?? さては突然のアクシデントに混乱し、統制を失っているのかもしれん。敵軍が立ち往生しているせいで、城に物資が入らんではないか。これだから馬鹿どもは……やれやれ)


 私が王国軍瓦解の吉報を今か今かと待ちわびていると、突然、重厚な扉の向こうで場内が騒がしくなった。


 軍靴が床を蹴る荒々しい足音と、金属がぶつかり合う音が響く。


「おおっ! ついに敵が引き揚げたか?」


 私は期待に胸を膨らませて立ち上がり、様子を見ようと部屋を出る。

 だが、廊下は不気味なほど静まり返っていた。


 側近をはじめとした使用人たちは、いつの間にか全員姿を消していたのだ。

 そのせいで、領主である私がこうして直々に情報を探らなくてはならなくなった。


(王国軍さえ追い返せば、またこれまでの優雅な暮らしが戻ってくる。反乱の機会を窺っている諸侯は他にも多いのだ。今度は国王に、今の私と同じ惨めな目に遭わせてやる。いや、その前に、今回逃げ出した者や寝返った不届き者を一人残らず皆殺しに……)


 そんな野望で腹の虫を誤魔化しながら、私が謁見の間に入ると――

 そこには、見知らぬ緑色の髪の大男が悠然と立っていた。


 男の放つむせ返るような闘気と、武具から漂う鉄と血の匂いが、広大な空間を支配している。


「よお、カストル侯爵。――年貢の納め時だぜ」



 ***


 私は、緑色の髪の大男――

 アルドリック・ストーンウォールと謁見の間で対峙した。


 そこへ、さらに一人の金髪の男が、静かな足音と共に現れる。

 ……この国の王子、リアムだ。


「な、なぜ、貴様が生きている……!?」


「何を驚いているのですか。ひょっとして暗殺者でも送り込んだのでしょうか? 残念ながら、その刃が私の元まで届くことはありませんでしたよ」


「馬鹿な……! そんなことが……。あの魔人の襲撃を、防いだというのか!?」


 私の震える絶望的な問いに答えたのは、王子の傍らに立つ青髪の男だった。

 王子のもう一人の側近、エリオット・ヴァーリアス。


「防いだのではない。襲撃自体がなかったのだ。どうやら貴殿は魔人と契約しているようだが、肝心な情報をお持ちでないらしい。『魔人は人間と交わした契約など守る気はない』――。魔人との契約を王国法が禁じているのは、それがあまりにもリスクが大きいからだ。法律はちゃんと守るべきだったな、カストル侯爵」


 青二才が、偉そうにこの私へ間違いを指摘してきた。

 カァッ、と頭に血が上り、視界が赤く染まる。


「ええい、黙れ! まだ生きているというのであれば、私がこの手で殺すまでだ! 死ねーい!!」


 私は腰の剣を抜き放ち、リアム王子に向かって全力で振り下ろした。


 空腹で力が入らないが、怒りがそれを凌駕する。

 しかし、リアムは私の前に立とうとしたアルドリックを手で制し、自ら剣を抜くと、私の渾身の攻撃を赤子をあしらうように軽々と弾き飛ばした。


 ――きぃん!


 手首にビリビリと痺れが走り、私は剣を取り落とした。


 どさっ!


「ぐえぇ!」


 そのまま無様に尻もちを搗く。

 尾てい骨から脳天へ突き抜ける激しい痛みに悶える私へ、リアムは容赦なく冷たい剣先を突き付けた。


「降伏しろ、侯爵。もう貴公に勝ち目はない。……あなたも領主という地位にあるのであれば、自らの敗北の責任を取られよ」


「この私に……指図をするな~~~!!」


 私の指には、十個の指輪がある。

 その内の九つは高価なだけの装飾品だが、最後の一つには闇属性の魔石が埋め込まれているのだ。


 私はその魔石にありったけの魔力を込めて一気に増幅させ、リアムの顔面に向けて闇魔法を解き放った!


 ――ヴォン!!


 ドス黒い闇が、蛇のようにうねりながらリアムの身体を完全に飲み込んだ。


(ば、馬鹿め! 不用意に近づくからだ!)


 しかし、勝利の喜びも束の間、その闇が鮮やかな閃光と共に内側から切り裂かれた。


 まばゆい光のオーラに包まれたリアムが、無傷のままそこに立っていた。

 チリチリと空気が焦げるような匂いが漂う。


「その程度の魔法で、聖光気を纏える殿下に傷一つ付けることはできん」


 エリオットが、まるで自分の手柄であるかのように得意げに解説する。


(ば、馬鹿な……そんなことが……!)


 息子の指という犠牲まで払ったのに。

 打つ手のなくなった私は、その場で冷たく堅い床に押さえつけられ、不当な拘束を受けることとなった。



 ***


 現在、私は冷たい地中に突き刺された粗末な丸太に、無残に縛り付けられている。麻縄が皮膚に食い込み、擦れて血が滲んでいる。


 隣には同じように、包帯まみれで顔面蒼白の息子のオーギュストが縛られていた。


(なぜ……なぜ、こんなことに……)


 目の前には、汚らしい民衆が雲霞の如く詰めかけている。

 そ奴らの手には、一様にゴツゴツとした石が握られていた。


 我が城は王国軍に占拠され、私は領主の地位を永久に剥奪された。

 そして、息子ともども死罪――石打ちの刑に処されることとなったのだ。


 リアム王子率いる王国軍は、すでに王子と共に帰路についている。


 この地を新しく統治するのは、私の遠縁にあたる憎き男だ。

 そいつが新領主として、安全な高台からこの公開処刑を冷徹に取り仕切っている。


 季節は夏の終わり。

 だが、今日の空は厚い雲に覆われてどんよりと暗く、肌寒い。


 吹き抜ける風が、濡れた罪人服を通して骨まで凍えさせる。まるで一足早く冬がやってきたかのようだ。


 私や息子、それにこの地で戦い死んでいった者たち、さらには今まで虐げてきた愚民どもの怨嗟がここに集まり、空へと昇って渦巻いているのが目に見えるようだった。


 そんな禍々しい空の下――

 残虐で野蛮な処刑が、今まさに執り行われようとしていた。

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