第269話 闇鍋パーティー 悪者たちの晩餐
(悪役領主マルセル・カストル侯爵視点 三人称)
マルセル・カストル侯爵。
彼の居城は現在、王国軍の手によって完全に包囲されていた。
威勢よく反乱の狼煙を上げたものの、即座に討伐軍を送り込まれ、今や袋の鼠同然に追い詰められていたのである。
窓の外を見下ろせば、城を取り囲むように無数の軍幕が張られ、夜になれば王国軍の焚き火が星空のように平原を埋め尽くしていた。
「くそっ! 領民共め、今まで統治してやった恩を忘れて裏切りおって!!」
ドンッ、と分厚いマホガニーの机を叩く。
彼はすでに配下の多くを失い、自領の民衆の心も完全に離れていた。
悪役貴族として人々を重税と暴力で虐げ続けてきた彼に、今さら忠誠心を持って付き従う者など、数えるほどしか残っていない。
兵糧攻めに遭っている影響で、日々の食事さえも見る影なく粗末なものへと変わっていた。かつては毎晩のように並んでいた豪勢な肉料理や希少な果実は姿を消し、今朝出されたのは、塩気すら薄い豆のスープと、石のように硬い黒パンだけだ。
「領主たるこの私に対して、このような残飯同然のものを差し出してくるとは……!」
舌打ちと共に、銀の匙をスープ皿に投げ捨てる。
彼は料理長を自らの手で処刑しようと、怒りに任せて席を立った。
従者や側近を引き連れ、大理石の床をカツカツと鳴らしてずかずかと歩を進める。
「我が剣の錆にしてくれるわ!」
彼の凶行に対し、その場の誰も異を唱える者はいなかった。
後ろをついて歩く者たちは、ただ主君の判断を「流石でございます」「なんという決断力――」と絶賛し、ご機嫌を取るばかりだ。彼らもまた、自分に火の粉が降りかかるのを恐れているだけの烏合の衆に過ぎない。
城の厨房へと向かう薄暗い廊下の途中で、彼は自分の息子と出くわした。
オーギュスト・カストル。
かつてゼノス・グリムロックと戦い、惨敗を喫した不良グループのリーダーである。
息子は父親の姿を見かけるなり、息を切らし、慌てた様子で話しかけてきた。
「良いところであった! これから報告しに行くところだったんだ。大変なんだよ、親父!」
その言葉に、カストル侯爵は不快そうに眉を顰めた。
何度注意しても直らないガサツな言葉遣い。
自分の行く手を塞がれた苛立ち。
厄介ごとの報告。
そしてその内容次第では、これから行おうとしていた料理長への制裁が後回しになってしまうこと。
そのいずれもが彼の逆鱗に触れ、不機嫌を隠そうともせずに低く唸るように聞き返した。
「……大変なこととは、何だ?」
「それがさ、大変なんだ、とにかく大変なんだよ! ヴァイスブルク伯爵が敵に寝返ろうとしているんだ。小間使いに手紙を持たせて城から出すところを、この目で見ちまったんだよ。あいつ、形勢不利と見て、ここから逃げ出す気なんだ!」
その報告を聞いた瞬間、マルセル・カストルの怒りは沸点に達した。
血が頭に上り、こめかみの血管がドクドクと脈打つのがわかる。
料理長に向けられていた殺意は、一転してヴァイスブルク伯爵への激昂に塗りつぶされる。もはや彼の頭には、裏切り者の伯爵に制裁を加えることしかなくなった。
カストル侯爵は、料理長を処刑するという当初の目的を完全に忘却し、こう叫んだ。
「これより、ヴァイスブルクを処刑する。お前もついてこい!!」
彼は息子オーギュストを陣営に加え、むせ返るような殺気を孕んで伯爵の元へと向かった。
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(悪役貴族オーギュスト・カストル視点 三人称)
彼はヴァイスブルク伯爵が裏切ろうとする決定的な場面を偶然にも発見し、それを父親であるマルセル・カストル侯爵へと報告した。
報告を受けた侯爵は激怒し、即座に伯爵を処刑することが決定したのである。
父親の肥満体がドスドスと廊下を揺らす音に、オーギュストは冷や汗を拭いながらついていくしかなかった。
彼らは複数の供を引き連れ、伯爵に与えられていた客室へと雪崩れ込んだ。
――ばん!!
「まさか貴様が裏切るとはな! その首、私が叩き切ってくれるわ! そこに跪いて首を垂れよ!!」
オーギュストの父親は部屋に踏み込むなり、腰の装飾剣を勢いよく抜き放ち、伯爵にそう命じた。
だが、部屋にいたのはヴァイスブルク伯爵一人ではなかった。
息子のルシアン・ヴァイスブルク、そして同じ派閥の神殿関係者たちもまた、その席に同席していたのである。
密談を邪魔された彼らは血相を変え、口々に叫び声を上げた。
「なぜわかった!」
「こんなに早く嗅ぎつけてくるとは……!」
「くそ、こうなったら!」
動揺を剥き出しにしながら、彼らはそれぞれ魔力を帯びた杖を手にする。
室内の空気が、急激にピリピリと張り詰めた。
「ちょ、待ってください! 落ち着いて! まだ裏切りの証拠があるかもわからないのに、これじゃあ自白しているようなものだ! まずは対話し、相手が証拠を出して来たら、それから戦うべきです!」
ルシアンが必死に父親たちを諫めていたが――
(いや、もう遅いだろ……)
オーギュストが心の中で毒づいた通り、伯爵たちはすでに攻撃魔法の構築に入っていた。闇と炎の属性を持つ使い手たちが、杖の先に不気味な火の粉と、光を吸い込むような暗黒を凝縮させていく。
焦げ臭い匂いが、鼻腔を突く。
(これは、俺も戦った方がいいのか……?)
オーギュストはそう考えたが、自分が杖を持って来ていないことに今さら気づき、慌てて護身用の短いダガーを抜き放った。
手汗で柄が滑りそうになるのを、必死に握りしめる。
「うぉおおおおおお!!」
太った身体を揺らし、父親が真っ先に伯爵陣営へと無造作に斬りかかる。
剣術の型など微塵もない、ただの暴力だ。
――ずしゅ!!
「ぎゃぁぁぁああああ!」
一番手前にいた敵を、その剣が深々と切り裂いた。
生臭い血飛沫が宙を舞う。
しかし、敵は一撃では死にきれず、放たれる寸前だった未完成の魔法が制御を失って暴走する。
「ぐあぁぁぁあああ!」
バチバチという異音と共に、制御不能となった闇魔法が父親の腕を直撃し、深い傷を負わせた。
侯爵は苦痛に顔を歪め、肉の焦げる嫌な臭いと共に、負傷した腕を抑えながら床に膝をつく。
「まさか……飼い犬に噛まれるとは……」
凄まじい形相で、膝をつきながらも伯爵たちを睨みつける。
だが、伯爵たちの攻撃魔法は着実にその形を成しつつあった。
部屋の温度が上がり、肌がジリジリと焼かれるような感覚に陥る。
父親が連れてきたマルセル・カストル侯爵の手勢は、部屋の入り口から一歩も動こうとしない。彼らはこうした実戦、いわゆる「荒事」が極端に苦手なのだ。
味方陣営で武器を構えているのは、今やオーギュストただ一人。
彼は短剣を握りしめてはいたが、この混沌とした状況下でどう動くべきか判断できず、心臓を早鐘のように打ち鳴らしながら、ただあたふたと立ち尽くすことしかできなかった。
そんな無防備な彼に向け、ルシアンが杖の矛先を固定した。
その先端には、禍々しい闇の渦が巻いている。
ルシアンの父親たちは皆、膝をついたカストル侯爵に狙いを定めていたため、彼は消去法で、唯一武器を構えていたオーギュストにターゲットを絞ったのだ。
(ああ、終わった……)
魔法の直撃を予感し、オーギュストは迫りくる死を覚悟して目をギュッと瞑った。
その時だった。
ヒュンッ、と風を切る微かな音。
直後、部屋の中にいたヴァイスブルク伯爵陣営、五人の首が――
同時に落ちた。
――ぼと、ぼと、ぼと、ぼと、ぼと……。
鋭利な手刀によって一瞬で切り離された頭部が、無機質に床を転がる。
首の断面からは、間欠泉のように鮮血が噴き上がった。
「ひっ、ひぃいい!」
生温かい血を浴びたオーギュストは、情けない悲鳴を上げた。
いつの間にか部屋に現れた、不気味な魔力を纏う何者かが、伯爵たちを文字通り「瞬殺」したのだ。
そこに立っていたのは、返り血を一滴も浴びていない、執事服を完璧に着こなした一人の美青年だった。
黒髪は一筋の乱れもなく整えられ、透き通るような白い肌。瞳は吸い込まれるほどに真っ黒で、その奥底では金色の瞳孔が妖しく輝いている。
室内に充満する血の匂いなど意に介さないような、異質な静謐さを纏っていた。
(な、何だ……こいつは……)
オーギュストが腰を抜かし、血溜まりの広がる床にへたり込んでガタガタと震えていると、一転してカストル侯爵が歓喜の声を上げた。
「おおっ! アシュラフではないか! 今までどこをほっつき歩いておったのだ。この私が何度呼び出しても応じないとは、けしからんぞ。お主が援軍として派遣すると申していた『鋼鉄の魔人』はどうなった。一向に現れんではないか! ――だが、この度、私の命を救った働きに免じて、それも許してやろう」
(お、親父は何で、こんな恐ろしい化け物と、普通に話していられるんだ……!?)
彼がそんな戦慄を覚えている間に、父親は執事服の男へ、己の立場も弁えずに傲慢に命令を下した。
「鋼鉄の魔人はもうよい。お主を直接動かせばそれで済む話だからな。契約によって命じる――これより、王国軍を率いている生意気な青二才、リアムの首を取ってまいれ。『転移の魔人』であるソナタであれば、造作もない指令だろう?」




