第262話 しつこい男
俺は現在、アドラステア帝国の火山地帯に位置するザルツ山脈のふもとの町、グラードに滞在している。
目的は、この町の解体屋に依頼していた魔物素材と魔石を受け取ることだ。
作業場には、今日も今日とて鉄錆と獣の脂、そして乾いた血の匂いが混然となって立ち込めている。
外からは火山特有の熱気が流れ込み、じっと立っているだけでも肌がじわりと汗ばむ。そんな埃っぽい空気の中、俺の目の前には、見事に剥ぎ取られた巨大な黒曜石のような甲羅と、煌めく魔石が並べられていた。
「……それで。これを一体、どうやって運ぶつもりだい? こっちで箱詰めまではしておいてやるが」
ベアリスからもっともな疑問を投げかけられた。
彼女は作業用の手袋を外し、汗を拭いながら呆れたような視線を向けてくる。
だが、この程度の大きさであれば転移魔法で容易に運搬できるため、俺自身はそこまで深く考えていなかった。
「魔石の方は、俺が直々に運ぼう。……巨大な甲羅については、別の業者に運送を依頼することにする」
俺は、この町からベルンシュタイン伯爵の拠点がある町まで、素材を運ばせることに決めた。あの伯爵は誠実そうな男だったし、筋を通せば何かと協力してくれるはずだ。まずは一時的に倉庫でも借りられればいいだろう。
正直なところ手間ではあるが、俺自身の特殊能力を隠蔽するための工作は必要不可欠だ。
魔石だけなら懐に入れてしまえば済むが、家一軒分に近いサイズの甲羅がいきなり消失すれば、さすがに怪しまれる。
その一環として、業者への運送手続きを代行してもらうための手間賃も、上乗せしてベアリスに支払う。金貨を受け取る彼女の手は、相変わらず労働者特有の硬さとたくましさがあった。
俺はそのついでに、彼女の引き締まった腰へと不意に手を回した。
指先に伝わるのは、鍛え抜かれた筋肉の弾力と、女性らしい柔らかな曲線のアンバランスな魅力だ。
「どうだ? ……そろそろ俺に惚れてきた頃合いじゃないか?」
そう言って口説いてみる。
対するベアリスは、表情一つ変えなかった。
ただ、すぐ近くに置いてあった解体用の鋭利な刃物を迷わず握り締め、ヒュッという風切り音と共に切っ先をこちらに向け、鋭く睨みつけてきた。
「そうだね。……あんたを解体して、中身がどうなってるのか見てみたいとは、常々思っているよ」
その瞳には、冗談では済まされない狩人の光が宿っている。
背筋に冷たいものが走るが、それもまた一興。
「……ふむ。少しばかり、口説くのが早すぎたようだな」
俺はやれやれと肩をすくめて、ゆっくりと手を離した。
この女、隙を見せれば本当に刺してきそうだ。
「その気になったらいつでも言ってくれ。……それと、これからも魔物の解体を頼みたいと思っているのだが、まだこの町で仕事を続けるつもりか?」
「そうだね。……不思議なことに、ここのところガイルの奴も手を出してこなくなったんだ。仕事があるなら、無理に引っ越す必要もないさ」
彼女は不思議そうに首を傾げたが、その理由は俺が一番よく知っている。
俺は彼女から貴重な魔石を受け取ると、一旦町を離れた。
そして、人目を避けた場所でベアリスの護衛に付けていた二体のキラー・マシーン三号機と合流する。
人気のない岩陰に、揺らぎと共に透明化を解いた二体の機体が姿を現した。
俺はマシーンの胸部に埋め込まれたコア魔石に触れ、そこに蓄積された分体の意識を回収した。冷たい魔石から、無機質な戦闘ログが脳内へと流れ込んでくる。 すると、この一週間のうちに二度、襲撃者を撃退していた事実が判明する。
映像として再生される記憶の中で、闇に紛れて近づく影が、マシーンによって無慈悲に排除されていく様が映し出された。
「……なんとも、しつこい男だな」
襲ってきたのは、二回とも獣人奴隷だった。
粗末な装備に、虚ろな目。
おそらく、使い捨ての駒として送り込まれてきたのだろう。刺客たちはすでに闇へと葬り去られていたが、俺はここである案を思いつく。
俺はもう一度、二体のマシーンに己の魂を「写し身」として宿らせた。
そして引き続き、ベアリスの護衛を継続するよう命じることにした。命令を受諾したマシーンは再び姿を消し、虚空へと溶けていった。
二日後。
俺はベルンシュタイン伯爵の居城がある町を訪れていた。
この町は交通の要所でもあり、グラードで採取されたザルツ山脈の魔物素材は、ここを経由して帝国各地へと運ばれていく。石畳の道を馬車が行き交い、活気ある喧騒が耳に心地よい。
俺は再び、伯爵の元へと挨拶に出向いた。
「ようこそおいでくださいました。……こうしてまた貴殿にお会いできて光栄です」
「何度もすみません。実は、今後の戦力増強を見据えて魔物素材の収集を継続することにしまして。そのご挨拶にと伺いました」
俺の話を聞いた紳士的なベルンシュタイン伯爵は、快く懇意にしている商人を紹介してくれた。この町で手広く倉庫業を営んでいる男だという。
俺はその男から、一棟の倉庫を借り受けることにした。
あくまで「素材の保管場所」という建前で借りておき、そこから転移でこっそり屋敷に持ち帰ればいい。
埃っぽい倉庫内は薄暗く、静寂に満ちている。
天井の高い空間に、俺の足音だけがカツカツと反響した。
(……あとは、偽装用の荷馬車をこの倉庫に出入りさせるべきか。……いや、そこまでの工作は必要ないだろう)
俺個人の動きを、そこまで念入りにチェックしている勢力はいないはずだ。
むしろ、この町でわざわざ倉庫を借りること自体、少しやりすぎなくらいの用心である。隙間から差し込む光の中で、埃がキラキラと舞っている。
「しかしまあ……。この倉庫にも、別の使い道はある……か」
俺は静まり返った空の倉庫の中でそう独り言ちてから、転移魔法を使ってアースガルド王国の屋敷へと戻った。
手に入れた火属性の魔石は、すべてエイルたちドワーフの手に渡してある。
これらは、彼女たちが総力を挙げて開発しているキラー・マシーン二号機の強化パーツに組み込まれる予定だ。あの魔石が組み込まれた時、二号機がどのような進化を遂げるのか、今から楽しみでならない。
明日にはラヴァ・タートルの甲羅もこの町に到着するはずなので、それも魔力素材として抽出し、活用することになるだろう。
**
次の日。
俺はごく普通の、無害な学生を演じることにした。
王国サイドに善良な印象を植え付けるため、いつものように学園へと向かう。
退屈な講義、黒板の上を走るチョークの音、窓の外から聞こえる鳥のさえずり。
平和そのものの光景だ。
その日の午後の授業中のことだ。
キラー・マシーン三号機の分体から、かすかな信号を受信した。
『――!』
距離はかなり離れているが、テレパシーに似た魔力波により、ある程度の意思疎通は可能となっている。流石に詳細な文章までは送れないが、直接的な「感情」を共有することはできた。脳の奥がチリチリと痺れるような感覚。
今回送られてきたのは――
「刺客を捕らえたぞ」という、強い手応えを伴う感情だった。
獲物を罠にかけた狩人のような、冷徹な達成感。
俺はラヴァ・タートルの甲羅を引き取るついでに、捕まった連中に会いに行くことに決めた。
**
転移魔法を発動し、倉庫へと移動する。
一瞬の浮遊感の後、視界が薄暗い倉庫へと切り替わる。
ひんやりとした空気が肌を撫でた。
薄暗く広々としたスペースには、大きな布に巻かれた荷物が置かれていた。
その上に、鎮座するように一体のキラー・マシーン三号機が乗っている。透明化を解除したその姿は、まるで獲物を踏みつけるガーゴイルのようだ。
もう一体は、おそらく引き続きベアリスの護衛に就いているのだろう。
そして、荷物の横には、三人の獣人が力なく横たわっていた。
粗末な服を着た、犬歯の鋭い男たち。
襲撃してきたのは、どうやらこいつらのようだ。
おそらく三号機が睡眠魔法を浴びせたのだろう。
彼らは皆、泥のように深く眠りこけていた。
静寂な倉庫に、彼らの安らかな寝息だけが不釣り合いに響いていた。




