第259話 水攻め
帝国北部の火山地帯。
そこで俺は、火属性の巨大モンスターであるラヴァ・タートルと、熾烈な戦いを繰り広げていた。
視界を埋め尽くすのは、暴力的なまでの赤。
敵は鉄壁の甲羅に手足を引っ込めて身を守り、さらには魔法の炎を噴き出して不可侵の防壁としている。
自分の半径2メートル以内の魔法を無力化できる「魔封印」を持つ俺だが、この異常な気温の上昇まではどうにもできない。
喉がカラカラに乾き、吸い込む空気が熱刃となって肺を焼く。髪の毛が焦げる臭いと、硫黄の臭気が入り混じり、思考が鈍りそうになる。
まさに膠着状態に陥り、打つ手なしかと思われたその時――。
灼熱の空間に、一陣の涼やかな風が吹き抜けた。
俺の守護精霊「シルフィー」が、実体化して姿を現したのだ。
見た目は、長い黄緑色の髪を綺麗に切りそろえた、五歳くらいの可愛らしい女の子だ。しかし、その小さな体から発せられる魔力は、周囲の熱気を押し返すほどの清涼感を伴っていた。
「……ふむ。苦戦しておるようじゃな。主よ」
「ああ。実体化したということは、この状況をどうにかできるのか?」
俺が尋ねると、彼女は「ふふん」と得意げに鼻を鳴らして胸を反らした。
その表情には、精霊特有の無邪気な万能感が満ちている。
「もちのろんじゃ! わらわは水魔法が得意での。あのような亀など、造作もないわ!」
シルフィーはそう豪語すると、手を敵に向けて勢いよくかざした。
大気が震え、膨大な水蒸気が凝縮されていく。そして、間髪入れずに水球の連続射出を開始する!
「にょほほほほ!」
――ドウッ! ドウッ! ドウッ! ドウッ!
数十もの巨大な水の塊が、次々とラヴァ・タートルを襲う。
着弾のたびにジュウウウッ!
という凄まじい蒸発音が轟き、辺り一面が濃密な白い蒸気に包まれていく。
(なるほど。俺から離れた位置で実体化しているから、魔封印に邪魔されず魔法が使えるわけか)
甲羅にこもって動けない敵に、この猛攻を避ける術はない。
高温の炎と、冷徹な水の衝突。
対抗するようにラヴァ・タートルは火力を上げ、対するシルフィーは馬鹿みたいに「にょほほ」と笑いながら、ひたすら水魔法を放ち続けた。
視界が白く染まる中で、幼女の高笑いと爆発音だけが響くカオスな空間が出来上がっていた。
***
「はぁ、はぁ、はぁ……。主よ。……疲れたぞ」
シルフィーによる怒涛の魔法攻撃が始まってから、十分ほどが経過した。
彼女はそう力なく呟くと、実体化を解除。ふわりと光の粒子となって、本体である剣の中へと戻っていった。
実体化中は魔封印の影響もあり、俺からの魔力供給を思うように受けられないらしい。その結果、完全なガス欠になってしまったようだ。
だが、これでも十分すぎるほどに凄い成果だ。
(俺の守護精霊の実力は、人間の高ランク魔術師の数百人分――いや、それ以上はあるだろうな)
元気にはしゃいでいたシルフィーは、疲れ果ててお眠の状態でダウンしてしまった。そして、攻撃を浴び続けたラヴァ・タートルもまた、限界を迎えていた。
もうもうと立ち込める湯気の向こうで、身を守っていた炎はすっかり鳴りを潜め、今はただ巨大な甲羅の中に身を隠しているだけだ。
甲羅はひっくり返ったままで、周囲はシルフィーが放った水で水浸しになっている。岩肌からはチリチリと音が鳴り、泥と灰が混ざったようなぬかるみが出来ていた。なんともシュールな光景だ。
「よし。最後は、俺が止めを刺すか」
俺は転移を使い、一気に上空一万メートルへと移動する。
瞬間、肌を焼く熱気が消え失せ、代わりに氷点下の冷気が全身を包み込んだ。
眼下には、豆粒のように小さな火山地帯が広がっている。そこから、浮遊魔法を一切使わずに自由落下を開始した。
ヒュオオオオオオオッ!!
風切り音が鼓膜を打ち、重力が内臓を押し上げる。
さらに、精霊王の加護を受けた『プロテクション』を展開する。
そのままラヴァ・タートルを目掛けて、一直線に落下。
俺は自分自身の体を巨大な砲弾へと変えて、亀の甲羅に真正面から突っ込んだ。
――ドガァァァアアン!!
ザルツ山脈に、大地を揺るがす轟音が鳴り響く。
衝撃波が周囲の岩を吹き飛ばし、舞い上がった土煙が空を覆う。俺の体はラヴァ・タートルの堅牢な甲羅を容易く貫通し、その中身に巨大な風穴をあけた。
やがて、絶命した巨大な魔物の体内から這い出る。
「ぐちょり」という生々しい音。
返り血やら何やらで全身がぐしょぐしょだ。
鉄錆のような血の匂いと、内臓の生臭さが鼻をつく。
「……」
俺は不快感に眉をひそめると、迷うことなく、砂漠の王国ザハラにあるカリムのハレムへと転移した。
一瞬で景色が切り替わる。
むせ返るような死臭は消え、代わりに甘い香油と果実の香りが漂ってきた。
「すまんな。風呂を借りるぞ」
そのままプールに飛び込み、全身の汚れを清める。
ザブンッ!
と水しぶきが上がり、透明な水が赤黒く染まっていく。
主であるカリムが血相を変えて飛んできて、及び腰ながらも必死に文句を言っているのが見えた。
「漆黒の魔人殿! もう来ないで下さいと、あれほど念入りにお願いしたではありませんか! いったい貴方は、何がしたいのですか!」
だが、俺の耳にはよく聞こえない。
きっと、聞く価値のない戯言だからだろう。
今の俺にとって重要ではない情報は、耳が拾わない仕組みになっているのだ。
心地よい水の冷たさだけを感じながら、俺は悠々と髪をかき上げた。
「シルフィー。疲れているところを悪いが、浄化を頼む」
眠い目をこすりながら、再び実体化するシルフィー。
「……ふぁ。水を穢れたままにしておくのは、精霊として良くないからの」
そう言って、彼女は俺の身体ごとプールの水を浄化してくれた。
水が瞬く間に輝きを取り戻し、俺の体も清潔さを取り戻す。
***
身を清め終えたところで、再び転移を用いて帝国北部のザルツ山脈へと戻る。
俺は目当ての魔物を仕留めた。
火山特有の熱気が再び肌にまとわりつくが、先ほどまでの不快感はない。
手筈通り、空に向けて「のろし」を上げる。
赤い煙が空高く昇っていく。
これでベアリス・ロワたちが、この場所を目指してやって来るはずだ。
魔物解体業者である彼女たちにこの死体を引き渡せば、今回の俺の仕事はひとまず終了だ。後は解体作業が終わるのを待って、現物の魔石を引き取るだけである。
キラー・マシーン2号機の強化には、まだまだ大量の素材が必要になる。
そのため魔物狩り自体は続けるつもりだが、あまり学校を休み続けるわけにもいかない。
アースガルド王国は現在、激しい内戦の最中だ。
王家にとっての要注意人物である俺が学校を長期欠席すれば、「何か企んでいるに違いない」と疑いの目を向けられてしまう。
あくまで「善良な一般生徒」という仮面は維持しなければならないのだ。
魔物狩りの冒険者としての生活も気に入ったので、このままベアリスたちと合流して帰りたいところだが、そうもいかない事情がある。
俺は意識を集中させ、ドワーフ領の南西部で活動させている「キラー・マシーン三号機」の下へと転移した。
この二体の分体は、俺の不在中もずっと魔物の森で戦闘を継続していた。
俺は二体のコア魔石から、一旦意識を回収する。
ズキリ、と脳の奥が痺れるような感覚と共に、俺の分体たちが積み上げた膨大な戦闘経験と、機体操作技術が俺の本体へと統合された。
(おおっ……! 戦闘を長期間持続させるために、魔物から直接魔力を吸い取っていたのか)
回収された記憶の中に、新たな技術があった。
名付けて「吸魔」。
倒した魔物から、魔力の残滓を直接吸い取ることができるのだ。
現状では闇属性の魔力しか吸収できないようだが、これのおかげで分体たちのサバイバル能力は劇的に向上したようだ。指先から黒い靄のような魔力が立ち上るイメージが、鮮明に脳裏に焼き付く。
どうやら、俺の分体は本体の知らないところで勝手に進化を遂げていたらしい。
俺は再び、キラー・マシーン三号機のコア魔石に、意識の一部を「写し身」として宿らせる。
そして、進化した二体の三号機を伴い、再びザルツ山脈の戦場へと転移した。
機械的な足音が、荒野に響き渡った。




