第257話 いつもの軽口
ザルツ山脈のふもとに位置する町「グラート」。
俺は今、その町の一角にある魔物解体業者の作業場を訪ねている。
埃っぽい空気の中、解体された魔物の乾いた血と、錆びた鉄の匂いが鼻をつく。活気ある通りとは裏腹に、ここだけが時間が止まったかのように静まり返っていた。
「……一体、何者だい、あんたは?」
奥から現れた女性――
ベアリスが、鋭い視線でこちらを射抜きながら尋ねてきた。
作業着の袖をまくり上げた腕は、日焼けし、引き締まった筋肉に覆われている。
彼女の背後では、男たちが鉈や解体ナイフを握りしめ、いつでも飛びかかれる態勢をとっていた。
張り詰めた緊張感が、肌をピリピリと刺す。
「俺の名は『漆黒の魔剣士ゼノス』。帝国のエリザベート姫の護衛騎士を務めている者だ。急ぎで火属性の魔石の原石が入用でな。そのために自ら魔物狩りに赴くことにした。領主のベルンシュタイン伯爵からはすでに許可を得ている。お前たちには、狩った魔物の運搬と解体作業を依頼したい」
俺は領主が発行した正式な魔物討伐許可書類を提示しながら、簡潔に用件を伝えた。羊皮紙に押された伯爵の蝋印を見た瞬間、彼らの目に浮かんでいた敵意の色がわずかに揺らぐ。
「……仕事だと言うなら、請け負わない理由はないさ。見ての通り、最近のうちはすっかり手すきだからね。だが、その前に一つだけ確認しておきたいことがある。あんた……まさか『ガイル』の奴の手先じゃないだろうね?」
「ガイル? 知らんな、そんな名前。俺は今日、初めてこの町に来たばかりだ。地元の事情には疎いんだよ」
俺がそう答えると、周囲にいた従業員の男たちも、警戒を解かぬまま俺の様子を窺っている。彼らの視線には、怯えにも似た深い疲労の色が滲んでいた。
「そうかい。なら、あんたには先にこっちの事情を知っておいてもらった方がいい。その上で、うちに依頼するかどうかを決めてくれ」
どうやら、何らかの根深い訳アリのようだ。
隠し事もせずにあらかじめ事情を説明しようとする姿勢には、実直さが感じられて好感が持てる。
俺は軽く顎を引いて先を促した。
「ああ、聞かせてもらおう」
ベアリスは深く息を吐き出し、忌々しげに口を開いた。
「この町の冒険者ギルドで一番デカい顔をしているガイルって男が、あたいの体を要求してきてね。それを跳ね除けたら、嫌がらせで仕事が一切来なくなったのさ。……いいかい、ここに仕事を依頼すれば、あんたまで――あいつらにどんな目に遭わされるか分かったもんじゃないよ」
なるほど。
そんな厄介なトラブルを抱えていたからこそ、この店には閑古鳥が鳴いていたわけか。典型的な小悪党のムーブだが、実力のない一般人にとっては死活問題だ。
だが、それは俺にとってはむしろ好都合だ。
「俺はこう見えても姫様の護衛騎士だぞ。そのガイルとかいう男がこの界隈でどれほど強いのかは知らんが、流石に公職にある者にまでは手を出しては来ないだろう?」
「この町じゃあ、身分なんかあてになりゃしないよ。誰もいない山の中で不意に襲われちまえば、それで終わりさ。それに、あいつに逆らえば腕のいい魔物狩りの冒険者が雇えなくなる。あたいも、そろそろ店を畳んでよそに越そうかと考えていたところなんだ」
相手が貴族の代理人と聞いても、力ずくで排除しにかかるのか。
なかなかに無法が通る土地柄のようだ。
彼女の声には、諦念と悔しさが入り混じっていた。
「なに。腕利きの冒険者を雇えなくても、心配はいらない。魔物を狩る役目は、俺一人で十分だ。お前たちは、ただ荷運びと解体作業さえこなしてくれればいい」
「……一人で狩れる程度の魔物じゃあ、まともな魔石を持っているとは限らないよ。それに小粒の魔石ならそこいらの店でいくらでも売ってる。そっちを買った方が、あんたにとっても早くて安上がりだ」
「あいにくと。俺が求めているのは、市場に出回らないような特大の魔石なんだよ」
***
彼女を説得するのには少々手間取った。
だが、「危険な場所へは俺が真っ先に一人で行くし、魔物と戦うのも俺一人。
もし危なくなれば、俺を見捨てて真っ先に逃げてくれて構わない」という極めて合理的な条件を示すことで、ようやく納得してもらうことができた。
「で。……改めて聞くが、お前の名前は?」
「あたいはベアリス。ベアリス・ロワだ。よろしくな、ゼノス」
俺は差し出されたベアリスの手を握る。
その手のひらはゴツゴツとして硬く、いくつものタコがあった。
日々、重い戦利品を運び、硬い皮を剥いでいる証だ。貴族の令嬢のような柔らかさはないが、生きる力が漲っている。
「……いい女だな。ガイルとやらが、無理やり手に入れようと執着する理由も分かる気がする」
俺がそう口にした瞬間、ベアリスの表情が途端に険しくなった。
空気が凍り付く。
「……これだから男ってやつは。いいかい、あたいの体はそんなに安くないんだよ。女を抱きたけりゃ、黙って娼館にでも行きな」
彼女の背後に控える五人の男たちからも、隠しきれない怒気が伝わってくる。
「俺たちの姉御に何言ってやがる」という心の声が聞こえてきそうだ。
「勘違いするな。俺はガイルと違って、無理やり強いるような趣味はない。いつかお前が心底俺に惚れた時に、その体を預けてくれればそれで良いんだ」
「……あんたみたいな胡散臭い男に、惚れる要素なんて一つもないじゃないか」
「ははっ。俺はお前のことが、結構気に入ったけどな。――ケツのデカい女は好みなんだ」
安産型というか、肉感的というか。
俺がいつもの調子で軽口を叩くと、ベアリスは「ふん!」と鼻息荒く俺の手を振り払った。顔を背けた彼女の耳が、ほんのりと赤くなっているのを見逃しはしなかった。
「とりあえず、仕事は受けてやるよ。……いつ出発するんだい?」
「時間が惜しい。準備が整い次第、今すぐに出よう」
こうして俺たちは解体作業場を後にし、未知なる魔物狩りへと出発した。
***
俺は今、単身で険しい山道を登っている。
ここは帝国の北部に位置しており、春とはいえ本来なら気温はかなり低いはずだ。
だが、そこは活火山の恩恵か。周囲には火山地帯特有の熱気が立ち込めており、寒さを感じることは全くない。
地面からは陽炎が立ち上り、ブーツの底を通して地熱がじわりと伝わってくる。
吸い込む空気には硫黄の匂いが混じり、喉の渇きを誘う。
ベアリスたちは、少し後方から俺を追いかけてきている。
あえての別行動だ。
俺が先行し、進路上の魔物をすべて排除しながら進む手筈になっている。
廃業を考えていた彼女に無理を言って仕事を引き受けてもらったため、安全を考慮してこういう条件になった。
本来、こうした山狩りでは、護衛の冒険者や戦闘用の獣人奴隷をレンタルし、万全の戦力を整えてから入るのが定石だ。だが、後ろに続くベアリスの一行は、女一人に男五人という構成である。
彼らは魔物の運搬に使う「浮遊魔石」を組み込んだ特殊な重台車を引き、俺の背中を追っている。車輪が砂利を踏みしめる音が、遠く背後から聞こえてくる。
俺は気配遮断魔法を展開し、己の存在を完璧に隠ぺいしながら山を登る。
足音はおろか、呼吸音、匂い、魔力の波長すらも消し去る。
魔物に気づかれる余地など微塵もない。逆に、こちらが魔物の微かな気配を察知すれば、即座に間合いを詰めて仕留めていく。
もっとも、人里に近い場所にいるのは弱い個体ばかりだ。
大した価値もないので、それらは死骸を放置したまま先へと進む。
時折、後方のベアリスたちと合流して進行方向を確認しながら、半日が経過した。
太陽が中天に差し掛かり、熱気はいよいよ厳しさを増していく。岩と石しかない見晴らしのいい火山帯の中に、一際赤く染まった地面が視界に飛び込んできた。
まるで大地そのものが血を流しているかのような、赤錆色の荒野。
「……あそこが、今回の狩りのポイントか」
この広大な山脈をやみくもに歩き回ったところで、目当ての大型個体に出会える確率は低い。
だが、地元の地勢に詳しい彼女たちを雇ったことで、効率的に獲物のいそうな場所を特定することができたわけだ。俺は流れる汗を拭い、目を細めてその禍々しい大地を見据えた。




