第254話 さらなる改良
リアム王子率いる討伐軍が、ついにカストル侯爵領へと進軍を開始した。
春霞の向こう、地平線の彼方から響く軍靴の音が、王都の静けさを徐々に侵食し始めている。今は恐らく、本格的な攻勢に向けた拠点となる陣地を構築している最中だろう。土埃と鉄の匂いが風に乗って漂ってくる錯覚すら覚える。
対するカストル侯爵側も、ただ手をこまねいているわけではなかった。
彼らは農業用の灌漑水路をあえて決壊させ、王国軍の進軍ルートを意図的に「泥濘」へと変えているのだ。
美しい緑の穀倉地帯は、今や茶色く濁った泥の海となり、侵入者を拒絶していた。
カストル領は広大な穀倉地帯であり、遮蔽物の少ない平野部が大半を占める。
本来なら騎馬隊が駆けるに絶好の地形だが、今は一歩踏み出せば足首まで沈む悪路と化している。
そこで侯爵側は、あえて地形を悪化させることで、重装備を誇る王国軍の進行を遅らせる策に出たのである。
彼らが徴兵した農民軍は練度不足。
訓練も装備も不足している彼らを土木工事に動員したのだ。
スコップと鍬を持たされた農民たちは、沼地を増やしながら同時に強固な防御陣地を構築し、徹底して「敵の足を止める」ことに注力している。
その泥まみれの背中には、領主への忠誠心などなく、ただ命令に従うしかない諦念が張り付いていることだろう。
一方の王国軍も、無謀な強行軍は避けていた。
現在は、対峙する農民兵たちに対して投降を呼びかけている段階だ。
最新鋭の鎧に身を包んだ騎士たちが、泥沼の前で足踏みをしている姿は、どこか滑稽ですらある。
王国側としては、一日も早くこの戦いを終わらせたい。
かといって、底なしの沼地を強行突破するのは多大な負担となるし、農民兵の犠牲も最小限に抑えたいというジレンマがある。
兵糧の消費も馬鹿にならない。
焦燥感はじわりじわりと指揮官の胃を蝕んでいるはずだ。
逆に侯爵側は、一刻も長く戦いを長引かせたい。
「王国軍弱し」という噂を世間に喧伝し、反乱に同調する新たな勢力が現れるのを期待しているのだ。
時間こそが最大の武器。
彼らは持久戦の構えを崩さない。
(ふむ。緒戦の状況を見る限りでは、侯爵軍が戦いを有利に進めているようだな)
俺は後方の王都でそんな高みの見物を決め込みつつ、キラー・マシーン二号機「ガダーム」のさらなる改良に取り組んでいた。
窓の外には平和な王都の景色が広がっているが、俺の頭の中は設計図と魔力回路で埋め尽くされていた。
***
季節は春真っ盛り。
柔らかな日差しが降り注ぎ、花の香りが漂う穏やかな陽気の中、屋敷の中庭にある倉庫で改良作業は着々と進んでいた。金属を叩く音と、魔道具の稼働音がリズミカルに響く。
かつて、俺は開発に一度失敗している。
キラー・マシーン4号機のことだ。
盾に火属性の魔石と噴出機を取り付け、自在に空を飛び回る「ファンネル」を作ろうとして挫折した。
あれは、制御系が完全に俺の能力を超えていた。
今回はその機体を再利用し、二号機に取り付けることで、ホバー移動を可能にしようと考えたのだ。
俺はさっそく、その開発に着手した。
二号機の両足の裏、そして背中に、四号機の技術を転用した「噴出ユニット」を装着する。これにより、魔力の火力によって爆発的な移動力を得ようという算段だ。
イメージとしては、巨大なバーニアで地面を滑走する重戦車だ。
(空中を自由自在に舞うような細かい制御は無理でも、一つの方向にエネルギーを出力して推進力にするだけなら、問題なくできるはずだ)
とはいえ機体そのものが巨大なため、完成までにはまだ時間がかかりそうだった。重量バランスの調整だけでも、気が遠くなるような計算が必要になる。
「後は、高火力の武器も欲しいんだよな」
「仕組みさえ教えていただければ、すぐに開発に着手いたしますが」
俺はエイルを呼び、新武装の打ち合わせを始めた。作業服姿の彼女は、油汚れを頬につけたまま、真剣な眼差しで俺の言葉を待っている。
「まずは火属性の魔石で強力な炎を生み出す。それを高温高圧に耐えうる圧縮機へと蓄積し、一気に排気口を開いて高エネルギーを噴射する……。そんな武器を作って、二号機の腕に取り付けたいんだ」
俺には「魔封印」の影響がある。
そのせいで、体外に放出した魔力の細かい調整が一切できないのだ。魔法を織り上げるための繊細な指先の感覚が、俺には欠落している。
火属性の魔石を使えば炎を生み出すこと自体は可能だが、それを魔法使いのように操ることはできない。ただの垂れ流し状態になってしまうのだ。蛇口が壊れた水道のように、魔力は無秩序に溢れ出す。
魔物を召喚する際も、あらかじめ魔法陣を用意し、精密な魔力調整を必要としない形で行わなければ、魔術を扱うことすらままならない。
ゆえに、高威力の攻撃を実現するには、エネルギーを溜めておける「圧縮機」という外部装置が不可欠だった。
俺の無骨な魔力を、凶悪な破壊力へと変換する装置。
「製造自体は可能だと思います。ただ。より高威力な出力を求めるのであれば、むしろ質の高い火属性の魔石の確保こそが課題となるでしょう」
……できるのか。
思い付きのアイディアだったが、それを「実現可能」と言い切るとは。流石はエイルだ。彼女の瞳には、すでに完成形が見えているのかもしれない。
「では、開発を頼む」
俺は二号機の改良実務をエイルたちに一任し、自らは魔石の確保に乗り出すことにした。エンジニアにはエンジニアの、プロデューサーにはプロデューサーの仕事がある。
***
学園が休みの日。
俺は帝国の姫であるエリザベートと自分の屋敷で落ち合った。
現在は戦時中ということもあり、姫の公式な予定には空きが多い。
俺は彼女を寝室へと連れ込み、この屋敷の地下室で暮らしているヴィオレッタと共に並び立たせた。豪奢な天蓋付きベッドのある部屋は、遮光カーテンによって薄暗く閉ざされている。
そこにあるのは、甘美な背徳の香りだけだ。
ベッドに座る俺の目の前。
二人の美女が、震える手で自らのスカートをぎゅっと握り締めている。
衣擦れの音だけが、静寂の中に微かに響く。
かつては「悪役令嬢」と「正ヒロイン」という宿敵同士の関係だった二人だ。
そんなライバルの隣で痴態をさらすという状況に、彼女たちの恥じらいは倍増しているようだった。
白い肌が、羞恥でほんのりと桜色に染まっている。
その視線は泳ぎ、互いを意識しながらも、俺から目を離せないでいる。
俺はその状態のエリザベートから、火属性の魔石に関する情報を引き出していく。
店で購入してもいいのだが、市販品はやたらと高価な割に、質の良いものが極端に少ない。ならば、自分で採取しに行った方が確実だと考えたのだ。
(闇オークションであれば、金さえ積めば高品質な魔石も手に入るだろうが……。あいにく次の開催時期はまだ先なんだよな)
高品質な火属性魔石。
それは、アドラステア帝国の火山地帯から産出されるものが、世界で最も良質とされている。
アドラステア帝国は、アースガルド王国の東部に位置する国家だ。
長年王国と対立し続けている、極めて強大な帝国である。その軍事力と資源量は、我が国を凌駕するとも言われている。
帝国の北には獣人の森「ワイルドウッド」が広がり、多くの獣人種族が部族を形成して独自の文化を築いている。
そして帝国の東には「ダークウッド」と呼ばれる、この世界でも最大規模の魔物の湧き点が存在していた。
その中間、帝国の北東に位置するのが、不毛な岩山が連なる火山地帯である。
名を「ザルツ山脈」という。
噴煙を上げ、溶岩が脈打つ灼熱の大地。
そこの麓にあるグラードという町には、魔石を求めて帝国中から実力者が集まっているらしい。
火属性の魔石は、この火山地帯の山から採取される。
また、そこに暮らす魔物が魔石を好んで食べる習性があるため、魔物の体内から取り出した魔石の方がより質が良いという。
あえて山を掘らずに、魔物を倒して魔石を手に入れるという狩猟採掘の方法も一般的だった。
命知らずの冒険者たちが、一獲千金を夢見て集う場所。
どのみち魔物は駆除すべき外敵だ。
ゆえに、討伐と採掘は常に連携して行われている。
その区域を一手に統治する領主の名は――
ガストン・ヴォルカ・ベルンシュタイン伯爵。
俺はエリザベートから了承を取り、その領主に会いに行くことを決めた。
今後の方針をしっかりと定めたところで――。
「……ゼノス様、その……そろそろ……」
ヴィオレッタが潤んだ瞳で懇願するように俺を見上げる。エリザベートも、無言ながら期待と不安の入り混じった表情で身を捩らせている。
俺はこれまで「おあずけ」を食らわせていた、エリザベートとヴィオレッタの秘密の茂みの奥へと、ゆっくりと手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、二人の口から吐息のような声が漏れる。
カーテンを固く引いた、薄暗い室内。
今、三人だけの密やかな宴が始まる。




