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第251話 漆黒の魔人。再び――

 (ゼノス本体視点)


 俺は今、キラー・マシーン一号機を伴い、魔界の地に立っている。

 目的は、魔界の有力な魔王候補をあらかじめ削っておくこと。


 そして、自らの実戦訓練を行うためだ。

 足元にはまだ、爆発の熱を孕んだ焦げた土と、泥のぬかるみが広がっている。鼻を突くのは硝煙の刺激臭と、魔物の体液特有の生臭さだ。


 この広大な湿地帯を縄張りにしていた「深緑のバルゲローグ」。

 そして、そいつの救援に駆けつけた「白翼のペガススーン」。


 俺はこの二体の魔王候補を、どうにか撃破することに成功した。


 正直に言って、かなりの強敵だった。

 結果としては、辛勝だ。


 決してなめて掛かったつもりはなかったが、まさかこれほどまでに消耗させられるとは予想もしていなかった。全身の筋肉が軋み、魔力を使い果たした独特の倦怠感が、頭の芯を重くしている。


(……まあ、元を正せば、アシュラフが俺の情報を奴らに横流ししたせいなんだけどな)


 あいつは表向きこそ俺の手下という体裁を取っている。

 だが、その実態は「何を考えているのか全く分からない」制御不能の危険人物だ。


 今回もおそらく、俺が「一番弱そうな奴」とリクエストしたことを、あいつなりに深読みしたのだろう。


 「一番弱い奴なら、生き残るために必ず徒党を組んでいるに違いない。ならば、下手に強い単独個体よりも戦いがいがある」 ……とでも解釈し、親切心(お節介)という名のお膳立てとして、魔王候補たちに俺の情報を流したのだと思う。


 余計なことをしてくれたものだとは思う。

 だが、あいつはどうやら俺のことを過大評価しており、妙に気に入っているらしい。だからこそ、この程度の「試練」で済んでいるとも言える。


 もし、俺が実際には大した考えもなく動いているだけだと知れば、あいつがどんな暴走を始めるか分かったものではない。


 本来なら厳重に注意したいところだ。

 だが、このまま勘違いさせておいた方が、あいつを大人しく繋ぎ止めておけるのかもしれない。


 ……まさに、いつ爆発するか分からない危険な爆弾のような奴だ。

 下手に触れて刺激しない方が賢明だろう。



 ***


 何はともあれ、俺たちはこの戦いに勝利した。

 襲いかかってきた魔王候補の二人は、術式によって爆発四散している。微かな塵となって風に舞う彼らの末路を見届け、俺は一つ息を吐いた。


「さて。……とりあえず、帰るか」


 早く屋敷に戻って、ゆっくりと風呂に浸かりたい。

 温かい湯船に肩まで沈み、この泥の匂いと疲労を洗い流す光景を想像する。


 そう思ったのだが、ふと――

 このままの姿で帰宅するのはどうなんだろうか、と思いとどまった。


 何しろ、俺は今日だけで三度もこの魔界の沼の底に沈められているのだ。


 転移のプロセスを通る際、付着した余計な不純物は分離される仕組みになっているはずだ。


 だが、それでも気分的にどこか肌がぬめっとしている気がする。

 それどころか、心なしか鼻をつくような「臭い」が漂っている気さえしてくる。


 沼底のヘドロと、カエルの粘液が混ざり合ったような、表現し難い異臭。


 だからこそ一刻も早く風呂に入りたいわけだが、このドロドロの姿のまま帰還し、使用人たちやリーリアに醜態をさらすのは流石に躊躇われた。


(……リーリアであれば、俺がどんな姿になっていても嫌いになることはないだろう。それどころか、激しい戦闘を勝ち抜いた俺を称え、無理をしたことを咎めてくれるはずだ。間違っても『臭い』などと口にするはずがない。――だが、口に出さないまでも、事実として『若干』臭いものは臭いわけだ。そう感じてしまう生理的な反応までは止めることはできない)


 俺はリーリアにそんな風に思われるのは絶対に嫌だった。

 それは、屋敷で働く使用人たちに対しても同じだ。「旦那様、本日はドブ川の臭いがしますね」なんて、たとえ心の中でだけでも思われたくない。


 俺はしばし思案した末に、術式の転移先を書き換える。


「……先に水浴びをしてから帰ろう。一号機、転移先を変更するぞ。行き先はザハラ王国だ」


 俺はキラー・マシーン一号機に向けてそう告げた。

 機体内部の魔石に宿っている俺の意識の一部も、どうやら本体と全く同じことを考えていたらしい。


 その飾り物の無機質な顔が、一瞬、こくんと頷いたように見えた。

 駆動音も心なしか弾んでいる気がする。



 ***


「きゃああああああーーっ!!」


 耳をつんざくような、女たちの不快な悲鳴がその空間に響き渡った。


 ここは砂漠の王国ザハラの首都、アル・ジャバル。その王宮内にしつらえられた「ハレム」のど真ん中に、俺は一号機と共に転移したのだ。


 洗いたいのは俺だけではない。


 一号機の機体も丸ごと洗車したい。

 魔人二人を相手に大立ち回りを演じたせいで、機体はあちこちがボコボコだ。装甲の隙間にはびっしりと泥が詰まっている。


 このまま廃棄処分にするかどうかは後でエイルたちの判断に任せるが、その前にせめて、泥を綺麗に洗い流してから帰還すべきだろう。


 この巨体ごと洗車することを考えた時、真っ先に脳裏に浮かんだのがこの場所だったのだ。


 魔界へと殴り込みに向かったのは、昼食を終えてすぐのことだった。

 それから凄まじい激闘を繰り広げたはずだが、現地の時間ではまだ夕方にもなっていないだろう。


 ここはアースガルドよりも東に位置している。

 時差の関係で日は早く沈むはずだが、それでもまだ外は明るい日中だ。


 砂漠の国ということもあり、外の気温は非常に高い。

 乾燥した熱風が肌を刺す。


 しかしハレムの中は魔法か何かでひんやりと冷やされている。お香の甘い香りが漂う贅沢な空間は、火照った体で水浴びをするにはちょうどいい環境だ。


「なっ……なななっ、なんじゃ一体、これは……!? ああああっ!!」


 このハレムの主である悪徳大臣のカリムが、豪奢なクッションに座りながら、突如現れた一号機の姿を見て慌てふためいている。


 そしてその後ろに立つ、泥まみれで悪鬼のような形相らしい俺の姿を認めるなり、なぜか絶望に打ちひしがれたような顔で驚愕していた。


 顔色が土気色になり、持っていたワイングラスを取り落とす。


 パリーン、と澄んだ音が響く。



 ***


「よお、カリム! 邪魔するぜ」


 俺は極めて親しい友達のような感覚でそう声をかけると、一号機と共にそのままプールへと飛び込んだ。


 ――どぼぉおんっ!!


 盛大な水飛沫が高く舞い上がる。

 冷たい水が火照った肌を一気に冷やし、まとわりついていた泥を溶かしていく。


 ああ、生き返る心地だ。

 これで、機械の体もろとも丸洗いが可能だ。


 俺がぷはっと水面に顔を出すと、それまでプールに浸かっていた女たちが、蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げ出していくところだった。水に濡れた薄布を肌に張り付かせ、悲鳴を上げながら出口へ殺到する。


「きゃーっ、化け物よ!」

「殺されるわ!」

「やだっ、何このにおい。……くっさ」

「ひぇぇ~~っ」


 彼女たちはそれぞれ勝手な感想を口にしながら、我先にと部屋から飛び出していった。 おい、「……くっさ」と言った奴、語尾に♡をつけ忘れているぞ。


(それじゃあ、ただの悪口じゃないか。――失礼な奴め)


 水の中に残されたのは、カリム一人だけだ。

 プールサイドで、震えている。


 こいつを守るために、この場に踏みとどまった者は誰一人いない。


「……本当にお前、人徳ないよな。まあ、悪徳大臣だしな」


 俺が憐れみを込めてそう呟くと、奴は怯えきりながらも必死に抗議の声を上げてきた。


「し、漆黒の魔人殿……っ! もうこの国には来ないでくれと、あれほど頼んだではないですか! ワシの金貨十五万枚を余分に強奪しておいて、さらにこの仕打ち……。あんまりではございませぬか! 砂漠の国では水は極めて貴重なのですぞ。それをこんなに汚して……これではもう、この水は破棄するしかありません。本来ならワシが使った後の排水は、農業用水とするため貯水池へと流し、貧民共に与える予定だったのですが……っ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は「少し悪いことをしたな」という気分になった。


 カリム個人の怒りなど正直どうでもいい。

 だが、図らずも下層階級の者たちに分け与えるための貴重な水を汚してしまったのは、流石にマズかった。


 排水を利用するという発想自体が俺にはなかった。てっきり下水として捨てるものだと思っていた。だが、砂漠の民にとっては命の水だ。


 幸い、俺の戦闘用の服には、万が一の事態に備えて水属性の魔石を忍ばせてある。

 ポケットの中を探り、ひんやりとした石の感触を確かめる。


(……これで、弁償してやるか)


 魔界での戦いで魔力は相当に削られた。

 指先もまだ少し震えている。だが、このプール一杯を満たす程度の水を生成するくらいなら、まだ余力はある。


 俺は、ほんの少しだけ反省した。

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