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第246話 見送りと出発

 アースガルド王国の王都に、地鳴りのような行軍の音が響き渡る。


 リアム王子率いる討伐軍が、ついにカストル侯爵領へと向けて進軍を開始したのだ。 磨き上げられた鎧が春の陽光を反射し、掲げられた無数の旗が風にたなびく。


 この事態を受け、学校は臨時休校となった。

 生徒たちは揃って、彼らの華々しい出発を見送る。


 興奮と不安が入り混じった熱気の中、俺もまた、見送る側の生徒の一人としてその場に立っていた。


 正直なところ、わざわざ見送りに出る必要もなかったのだが。

 下手に欠席して「何か別の企みがあるのではないか」と余計な勘繰りをされたくもなかったので、一応顔を出しておいたのだ。


 周囲の生徒たちが英雄を見るような目で王子たちを見つめる中、俺はあくびを噛み殺しながら時間を潰していた。


 軍隊が出発する直前、騎馬の列から二人の男が近づいてくる。

 以前に俺と決闘したデビット・ハーグレイヴと、クロウリー家の嫡男バルトロメウスが俺の元へ挨拶にやってきたのだ。


 二人とも戦場へ赴く覚悟を決めた、引き締まった表情をしている。


「ゼノス様。……あなた様が不参加とは、誠に残念です」

「私の方からも、殿下へ参戦を強く要請していたのですが……」


 二人は一様に、俺が今回の戦列に加わらないことを惜しんでいるようだ。

 馬上の彼らからは、革と金属、そして微かに獣の匂いが漂ってくる。


「いや、俺は時として予想外の動きをしてしまいますからね。軍を統率する立場であるリアム殿下としては、扱いに困るのでしょう。それに、今の王家の戦力であれば、俺がいなくともカストル侯爵を打倒できるはずですよ」


 俺は目の前の相手が公爵家嫡男のバルトロメウスということもあり、丁寧に言葉を選んで返答した。


 俺の言葉に、彼らは少しだけ誇らしげに頷く。

 その後、デビットは魔導士部隊へと配属され、バルトロメウスは手勢のクロウリー公爵軍を率いて、決戦の地へと向かっていった。


 遠ざかる蹄鉄の音。舞い上がる砂埃。俺は彼らの背中を静かに見送ると、喧騒を背にしてそのまま自分の屋敷へと帰還した。



 ***


「さて、俺の方も。そろそろ戦いに赴くとしようか」


 屋敷に帰り、まずはリーリアが用意してくれた昼食を済ませる。


 戦場に向かう前の最後の日常。

 スープの温かさが染みる。


 時刻はすでに正午を過ぎた頃だ。

 俺は魔界へと向かうことを決めた。


 目的は一つ。大雑把に言えば――

 魔王候補の実力者、「深緑のバルゲローグ」と戦うためである。


 時間はたっぷりとある。

 俺は動きやすい戦闘用の服に着替えを済ませると、ドワーフ小屋へと足を運んだ。扉を開けると、ひんやりとした冷気と共に、機械油の匂いが鼻腔をくすぐる。


「ようこそゼノス様。機体の整備はすべて完了しております」


 倉庫で俺を出迎えたエイルが、油に汚れた作業着のまま、誇らしげにキラー・マシーン一号機を指し示した。


 鈍色の装甲は綺麗に磨かれ、関節部のグリスアップも完璧だ。

 この一号機は今回の実戦で使用するため、事前に徹底的なメンテナンスを頼んでおいたのだ。


 俺は現在、二体の「キラー・マシーン三号機」に自分の意識を少しずつ分割して移している状態にある。


 あの二体のマシーンは、あれからも魔物の湧き点にて絶え間なく戦闘を繰り広げているのだ。自然と湧き出てくる魔物を順次倒し続けることで、戦闘経験データを着実に積み重ねさせている。


 脳の裏側で常に別の視界がチラついているような、奇妙な多重感覚。

 自らの意識の一部が別の場所にあるという感覚。最初は船酔いに似たかなりの違和感があったが、今では随分と慣れてきた。


 そして今、俺はさらにこの一号機にも「写し身の魔法」で意識を宿らせようとしている。


 操れる手数は増えるが、その分、本体に残る意識はさらに削られることになる。


 まるで自分の魂を薄く引き伸ばしているような不安定さ。

 この極限の状態で、果たしてどの程度戦えるのか。それを実戦で試しておきたいという狙いもあった。


 俺はキラー・マシーン一号機のコア魔石に、深く自分の意識を宿らせた。

 視界が二重になり、鋼鉄の身体感覚が滑り込んでくる。


「……よし。じゃあ、行こうか」


 俺は一号機を伴い、魔界の湿地帯へと転移した。



 ***


 視界が一瞬で反転し、強烈な腐臭が俺を包み込んだ。


 魔界の湿地帯。

 視界の先には、どこまでも広大な、ぬかるんだ沼地が広がっている。


 分厚い雲に遮られた空は鉛色で、世界全体が彩度を失ったように薄暗い。

 転移した地点は湿地帯の端にあたるため、まだ地面はしっかりとしているが、この先へ進めばかなり足を取られることになるだろう。


 ズブズブと沈む泥の感触など、御免こうむりたい。


「浮遊魔法を常に展開しておく必要があるな」


 一号機に宿った俺の分体も、即座に浮遊魔法を発動した。


 ふわりと重力から解放される感覚。

 俺たちは連れ立って湿地帯の奥へと進んでいく。


 できるだけ沼地には足を踏み入れないよう、腐った水面の上、地表スレスレを滑るように歩く。


 ピチャ、ピチャ、と水面を弾く音だけが響く。


 アシュラフから事前に聞き出していた情報によれば、深緑のバルゲローグは全長一メートルほどの、カエルを擬人化したような姿だという。


 この広大な沼地に対し、想定よりもサイズが小さいため、こちらから発見するのは困難を極めるかもしれない。


(まあ、縄張りに深く侵入すれば、向こうから姿を現すだろうがな)


 「カエルの魔人」バルゲローグにとって、ここは自分を育んだ根城だ。

 泥の色、植物の配置、水の流れ。全てを知り尽くしている。


 敵にとってこれ以上ないほど有利なバトルフィールドといえる。

 アシュラフの見立てでは「魔王候補最弱」とのことだが、この圧倒的な地の利は侮れない。


 それに、魔王候補に名を連ねている魔人は皆、それぞれ独立した有力な勢力を維持しているのだ。


 それは、次期魔王の最有力の座にある「オルカス」と比べても、実力が極端に劣っているわけではないことを示している。


 対するこちらは、自らの魂を四つに分割している特殊な状態だ。


 思考速度の低下、反応の遅れ。

 それらが命取りになる可能性もある。


(……決して油断はできないな)


 張り詰めた空気の中、慎重に湿地帯を歩み進めていた、その時だ。

 唐突に、俺の危険感知が背筋を凍らせるほどの最大級の警鐘を鳴らした!


(――下かッ!?)


 俺と一号機は、浮遊魔法をかけたまま別々の方向へと大きく飛び上がる。

 回避した直後、それまで自然な沼地に見えていた地面に、巨大な「穴」が開いた。


 否、それは穴ではない。巨大な口だ。

 泥や水草で擬態していた巨大な捕食器官が、バクリと虚空を閉じる音を立てた。


 その口は、獲物を逃したことを悟ると素早く閉じた。

 危険感知のおかげで、間一髪、飲み込まれるのを回避できたのだ。


 だが、地面に現れたその口は再び大きく開かれた。

 そこから、取り逃した獲物を引きずり込もうと、長い舌が勢いよく伸びてくる。


 ヒュンッ!

 という風切り音。


 俺を目掛けて鞭のようにしなって飛んできたそのピンク色の肉塊を、俺は専用武器「クロノス・ヴァイス」の一閃で鮮やかに両断した!


 ドチャッ、と切断された舌が泥に落ちる。


 瞬間、地面の下から姿を現したのは超巨大なカエルだった。


 ぬらぬらと光る緑色の皮膚、突出した不気味な眼球。

 それも一匹ではない。


 何匹も、だ。


 ボコッ、ボコッ、と泥を跳ね上げ、それまで何一つ異変のなかった湿地帯のあちこちから、多くのカエルの魔物が次々と姿を現している。


 俺は浮遊魔法を維持し、宙に浮いたまま即座に迎撃態勢へと移った。


 キラー・マシーン一号機は、俺とは別の方向へと逃れている。

 魔物たちの隙間を縫うようにして、現在も高速で移動を続けていた。


 出現した巨大なカエルの魔物たちは、一斉に俺へと狙いを定め、執拗に舌を伸ばしてくる。そのすべてが粘液にまみれ、強烈な酸の臭いを放っている。


(……このまま食われてやって、敵の体内から一気に破壊してもいいが。……どうにも、カエルの内臓のぬめりは嫌なんだよなぁ)


 生理的な嫌悪感が、効率的な戦術を却下させた。


 服が汚れるのも洗濯が面倒だ。

 俺はそれを最後の手段にすることに決めた。


 迫りくる無数の舌を、俺はクロノス・ヴァイスで淡々と切り捌いていく。

 剣閃が走るたび、肉が断たれる嫌な感触が手に残った。

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