第243話 意思を持った盤上の駒
屋敷に戻った俺は、まずは食事と風呂を済ませてから、静寂に包まれた書斎に入った。湯上がりの身体から立ち上るほのかな石鹸の香りと、古書特有の乾いた匂いが混ざり合う。
季節は春となり、日中はコートがいらないほど温かくなったが、夜はまだ肌寒さが残っている。
窓の隙間から忍び込む冷気が、火照った頬を心地よく撫でていく。
俺は革張りの重厚な椅子に深く腰をかけ、本を読むでもなく、ただ静かに目を瞑ってリラックスした。
意識を集中させ、遠方の気配を探るためだ。
自身の魔力をアンテナのように張り巡らせる。
ここから北西の方角、ドワーフ領と魔物の森の中間点。そのさらに「魔物の湧き点」に近い場所に、二つの無機質な気配を感じ取った。
俺が放った、キラー・マシーン三号機だ。
そのうちの一体と意識をリンクさせる。
脳裏に走るノイズと共に、視界が「転換」する感覚。
本体である俺から機体を直接操縦することはできないが、魔石に込めた意識が把握している状況を、俺もまた鮮明に感じることができた。
***
空間把握で得られる視界はモノクロームに近い――
輪郭だけが鋭く強調されている。
キラー・マシーン三号機の二体は、接敵した魔物と順番に戦闘を繰り広げていた。
三号機は、一号機を小型化した機体だ。
全長は子供ほどしかない。
その分、重量こそ減っているが、小回りは格段に利くようになっている。四つの腕に取り付けられた剣を風車のように振るい、次々と魔物たちを切り刻んでいた。
ギャアアアッ!
断末魔と共に、魔物の体液が飛沫となって舞う。
だが、鋼鉄のボディはそれを意に介さず、滑るように次なる獲物へと肉薄する。
オーガのような巨大な敵が現れれば、二体が阿吽の呼吸で協力して対処に当たる。
生い茂る木々を巧みに利用し、猿のように枝から枝へと飛び移り、立体的に動き回りながら、敵の急所に的確なダメージを加えていく。
さらに浮遊魔法を併用することで、重量のある鋼鉄の機体を宙に浮かせることも可能だ。そのおかげで、重力を無視したアクロバティックな機動すらも実現させていた。
戦闘訓練としては、まさに申し分ない。俺はゆっくりと目を開け、リンクを切断した。意識を再び、薄暗い書斎へと集中させる。
(……かなり疲れたな)
こめかみの辺りがズキズキと脈打っている。
遠隔で情報を共有していただけだが、精神の消耗は無視できない。まるで、長時間複雑な計算式を解き続けた後のような疲労感だ。
(だが、使い慣れていけば、負担も次第に減るだろう)
何事も練習あるのみだ。
俺はあくびを噛み殺しながら寝室に移動し、冷たいシーツに潜り込むと、そのまま深い眠りについた。
***
次の日、学園に登校するとリアム王子は休みだった。
彼と側近の席だけがぽっかりと空いており、教室にはどこか落ち着かない空気が漂っている。リアム王子は今回、カストル侯爵討伐軍の総大将を務めることになっているからだ。
今回の反乱に対し、王家の対応は驚くほど素早かった。
すでに関係各所へ軍の編成を命じており、応援に駆け付ける諸侯の部隊も随時組み込んでいる。遠方からの部隊については、合流しだい遊撃兵として即座に活用する方針だ。全軍がそろうのを悠長に待つつもりはないらしい。
王家の威信をかけた、電光石火の進軍。
季節は春だ。
これから種まきの時期を迎えるというのに、王家の方でも農村から大規模な徴兵を行い、兵力を5000名ほど上積みする予定だという。
これは屯田兵のように、臨時で徴兵するために日頃から訓練を課している農民たちを集めるものだ。使い古された槍や剣を手に、彼らもまた戦場へと駆り出される。
これによって王国軍は、さらに兵力を増強することになった。
しかし、そうなると戦が長引けば、今度は農作業にも悪影響が出てしまう。
カストル侯爵領は肥沃な穀倉地帯だ。そこでの戦闘が長期化し、田畑が荒れれば、今年の収穫は激減し、王国全体の食料生産量にも大きく響くことになる。
ゆえに、王家としては多少無理をしてでも、短期決戦で一気に決着をつけたい意向なのだろう。
誰がどちらの陣営に付くかを見極める期間は終わり、部隊の編成も本格化している。生徒会長に就任したばかりのリアム王子には、もはや学校に来ている暇などない。側近のアルドリックやエリオットも同様だ。
***
さて。
王家から直々に「こちらに付いてくれ」と促された俺はというと、特にやることもないので平然と学校に来ている。
具体的な参戦の要請も、まだ届いていない。
ただ、ドワーフ領からは「武具と魔石の都合がつくだけ、すぐに送ってくれ」という緊急の要請があった。
王子の側近の一人であるアルドリックから数日前に頼まれたので、すでに手配は済ませておいた。ドワーフたちが血と汗を流して打ち上げた最高品質の剣や槍が、今頃は荷馬車に揺られて前線へと運ばれているはずだ。
だが、俺がやったのはそれだけだ。
「俺はお前にも戦場に出て欲しかったんだがな……」
アルドリックは別れ際にそう漏らしていたが、エリオットが強く反対したらしい。
あいつは俺のことを個人的に嫌っているが、そういった私情を抜きにしても、その判断自体は妥当だと言える。
俺はとにかく、単独行動が多すぎるからだ。組織運営の観点から言えば、そういった統制の利かない戦力は軍隊にいない方がいい。
クロウリー公爵家の嫡男であるバルトロメウスなどもまた、俺の参戦を強く主張したらしい。
だが、リアム王子は結局それを退けた。
軍隊というのは、一種の精密機械であるべきだ。
歯車の一つ一つが正確に噛み合い、指揮官の意図通りに動くことで初めて機能する。そこに、予期せぬ動作をする部品を組み込むべきではない。
「ロボットアニメの一兵卒の主人公」であれば、軍規を無視した勝手な活躍で味方を勝利に導くこともある。
だが、実際の戦争において、そんな不確定要素はいない方がマシなのだ。
命令一下で死地に飛び込む兵士の中に、「あ、俺それやりたくないっす」と言い出しそうな奴がいたら、作戦全体が崩壊しかねない。
かつてのクロウリー家とのフェーデでは、俺は全軍の指揮官を務めた。
その場合であれば話は別だ。
俺自身が「頭脳」となるのであれば問題はない。だが、軍の一部品とするには、俺はあまりにも向かない人材なのだ。
盤上の駒が独自の意思を持ち、「そこは危ないから進みたくない」とか「こっちの敵を倒したい」と自分勝手に動くようでは、指し手にとって迷惑でしかないだろう。
今回の戦で俺に求められている役割は、名義貸し、不確定要素の排除、そしてドワーフ領からの武具の供与。
それくらいのものだ。
こちらとしても、やるべきことが多い。
名前を貸すだけで済むのであれば、それに越したことはない。
***
王立魔法学園「アルカナム」の生徒たちの雰囲気には、どことなく影が差している。廊下を行き交う生徒の数は少なく、聞こえてくる会話もひそひそと声を潜めたものばかりだ。
これが普通の戦争であれば、もっと「正義の戦い」への高揚感に包まれていたかもしれない。
だが、春先にあった「白い悪魔」――
恐るべき魔人の襲撃が、彼らの心に漠然とした不安を植え付けているのだ。
いつまた、あの空を裂くような絶望が降り注ぐか分からない、という恐怖。
だが、その不安を煽って扇動していたルシアンを俺が派手にぶん殴り、噴水に沈めたことで、これ以上不安を撒き散らすような輩は現れなかった。
ある意味、俺の暴力が学園の平穏を守ったとも言える。
また、自分の実力に自信のある生徒の多くは、志願して王国軍に加わっている。
そのため学園内は少しばかり閑散としており、祭りの後のような物寂しさを感じる。
そんな中で、俺はマイペースに授業を受けていた。黒板に書かれる魔法式をノートに写しながら、頭の中では別の計算を行っている。
これから、キラー・マシーン四号機の製作にも着手する。
そのためにも、基礎的な魔導知識はしっかりと勉強して身に付けておきたい。
世間は今や戦争の話題一色だ。
街へ出れば、軍靴の音と勝利を祈る鐘の音が響いているだろう。
だが、俺だけは静かな教室で、淡々と自分の研究と戦力拡大に邁進していた。




