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第240話 腹の探り合い

 重厚な執務机の上に、二通の手紙が並んでいる。


 執事が持ってきた銀盆の上で、それぞれの封蝋が俺を試すように光を反射していた。俺はソファに深く腰掛けたまま、その差出人を改めて確認する。


 一通目は、ザイツ商会。


 ここは古くからグリムロック家が懇意にしている奴隷商だ。

 手紙の主であるバルタザールは、裏社会にも通じる情報網を持ち、今や俺にとって欠かせないビジネスパートナーの一人である。


 そしてもう一通の差出人は、【白銀の天秤】アルジャンテ・リブラ商会。


 王国全土に網の目の如き流通ネットワークを張り巡らせ、王室の金庫番まで務めるほどの大商会だ。現在、俺が治めるドワーフ領の行政実務をメインで委託している相手でもある。


 俺がこの商会をパートナーに選んだのには、明確な理由があった。


 圧倒的な実績と信用。

 豊富な専門人材。

 

 そして何より、王家との太いパイプ。


 俺はドワーフ領を統治するにあたって、自分自身の私利私欲による儲けは一切考えていない。もちろん私財を際限なく投げ打つ気はないが、「領地経営の収益は二の次でいい」と商会には明言してある。


 税収や武具販売で得た利益は、すべて領内のインフラ整備や、新たな目玉となる温泉街の建設費用などに充てるよう指示を出した。


 税率も極限まで低く設定し、領地全体が活気づくことを最優先に配慮したのだ。


 短期的な金儲けに走るのではない。

 俺の掲げる統治コンセプトは「公正」だ。


 領地の賑わいと、そこに住まうドワーフたちの満足度を何よりも重視している。


 こうした理想主義的とも言える政策を、実務レベルで安心して任せられるのがアルジャンテ・リブラ商会だった。


 彼らは王家からも深く信頼されている。

 彼らの口から「ドワーフ領の統治はいかに公正であるか」が伝われば、王家も俺を信用せざるを得ない。


 後ろ暗いところなど何もないのだから、痛くもない腹を探られる心配もなくなると踏んだわけだ。


 そんな強固な信頼関係を築きつつある商会から、ザイツ商会とほぼ同時に、切迫した「SOS」が届いたのである。



 ***


 手紙を受け取った翌日。

 俺は学校の帰路を利用して、二つの商会を順に回ることに決めた。


 馬車に揺られ、王都の雑踏を進む。


 車窓の外では春の陽気に浮かれる人々が行き交っているが、俺の懐にある二通の手紙に記されていた内容は、驚くほど酷似しており、その空気とは無縁の冷たさを孕んでいた。


 まずはアルジャンテ・リブラ商会から訪問する。

 単純に学園からの帰り道で立ち寄りやすかったこともあるが、何より格上の商会に対して先に筋を通しておくべきだと判断したからだ。


 商会の壮麗な石造りの建物に到着し、持参した手紙を見せて用件を伝えると、受付の顔色がさっと変わった。


 俺はすぐさま、一般客の目には触れない奥の応接室へと案内された。

 手紙を出した翌日に、自らが足を運ぶとは予想だにしていなかったのだろう。


 対面したのは、代表者のマダム・クロティルド。

 商会の実権を握る、品位と強烈な威圧感を兼ね備えた初老の女性だ。


 ドワーフ領の行政代行を依頼した際にも面会したことがある。俺は「グリムロック家嫡男」としての、貴族用の冷徹な仮面を被って彼女と対峙した。部屋には最高級の紅茶の香りが漂っているが、それを楽しむ余裕は互いになさそうだ。


「……まさか、これほど早く動いてくださるとは。誠に心強いことですわ」


 マダム・クロティルドは俺を歓迎したものの、その表情は硬い。

 聞けば、彼女は俺だけでなく、複数の有力貴族に対しても同様の救援を求めているらしい。


 というよりも、今回の件で実害を被っている商会は皆、こぞって懇意にしている貴族へと泣きついているのが現状のようだ。


 手紙には事の詳細までは記されていなかった。「カストル侯爵が横暴な振る舞いに及び、困り果てている」という一文のみだ。


 俺は紅茶に口をつけることなく、本題を切り出した。


「それで、その『横暴』とは具体的にどのような内容でしょうか?」


「……それが。カストル侯爵様が、独自に金貨を発行すると宣言なさったのです」


 その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。それは、王国の通貨発行権を侵犯し、経済制度を根底から揺るがす禁断の行為だ。


(……それは、もうすでに反逆罪じゃないか)


「それはまた、思い切ったことをしましたね」


「ええ。領内での王国公式金貨の使用を厳禁。代わりに、金の含有量を大幅に削った粗悪な私鋳銭――通称『カストル金貨』を発行し、領民や出入りする商人に『一対一』のレートで強制両替させる、と通達が参りました」


 カストル侯爵領は王都の南西に位置する、肥沃な平野が広がる農業地帯だ。

 食料供給を担う要所ゆえ、出入りする商人の数も莫大である。


 人間、食べなければ生きてはいけない。

 どれほど横暴な条件を突きつけられようとも、商人たちは交易を完全に停止するわけにはいかないのだ。


 それを逆手に取った、あまりに汚い搾取。


(だが、その要求に応じて『カストル金貨』を使用すれば、商会側も反逆の共犯として裁かれる危険がある……というわけか)


 だからこそ彼女たちは、今のうちに有力貴族へ根回しを済ませたいのだ。


 カストル侯爵を何とかして排除してもらいつつ、自分たちの潔白を担保しておくために。彼女の指先が、扇子を強く握りしめているのが見て取れた。



 ***


「そこまでの暴挙に及んだ以上、王家も黙ってはいないでしょうな」


「ええ、左様です。わたくしどもからも、すでに王家へは相談を持ちかけております」


 そうなると、彼女がわざわざ俺にまで直接話を持ってきた理由は、一つしかない。


「グリムロック様。あなた様にも、ぜひ今回の討伐軍へ参加していただきたいのです」


 マダム・クロティルドは、俺の真意を射抜くような鋭い眼差しで要請した。

 商売人としての損得勘定を超えた、国の未来を憂う切実さがそこにはあった。


「ええ、もちろんです。そのような非道、見過ごすわけにはいきませんからね」


 俺は間を置かず、即答した。

 その後、ドワーフ領の統治に関する短い意見交換を済ませると、俺は次の目的地であるザイツ商会へと向かった。


 

 ***

 

 ザイツ商会の応接室は、先ほどと同じく、重苦しい空気に満ちていた。


 そこではバルタザールだけでなく、父親のラザラス・ザイツも同席していた。


(――珍しいな)


 ラザラスは年齢不詳の痩身の男だ。

 脂ぎった黒髪を隙なくオールバックに固め、暗く淀んだ深緑色の瞳を光らせている。俺の真意を見誤るまいとする、獲物を狙う蛇のような目だ。


 部屋には独特の、香辛料と鉄錆が混ざったような匂いが染み付いている。


 ザイツ商会でも、全く同様の話が繰り返された。

 彼らもまた、商売の存続をかけて俺の正確な意向を確認したがっていた。


 これからアースガルド王家とカストル侯爵家の間で、全面戦争が起きることはもはや確定的な情勢だ。


 この情勢下で、新進気鋭の実力者である俺が「どちらの陣営に就くのか」を、彼らは事前に把握しておきたかったのだろう。


 もし俺がカストル側に付けば、彼らもまた生き残るために裏切りの準備をしなければならないからだ。


 俺はここでも、ラザラスの目を真っ直ぐに見据え、はっきりと「王家側に立って戦う」と伝えておいた。


 その瞬間、ラザラスの瞳の奥で計算が弾かれたのを俺は見逃さなかった。



 ***


 カストル侯爵は、もはや反乱の意思を隠そうともしなかった。

 むしろ、積極的に王家を挑発しているようにさえ見える。


 もともとは準備不足を悟って反乱を断念しかけていたはずだが、そこに『鋼鉄の魔人』が現れたことで事態は一変した。政情不安が急激に増大したのを、彼は千載一遇の好機と捉え、捨て身の博打に出たのだろう。


 あえて相手を挑発し、有利な地形へ誘い込んで打倒する。


 もし王家の軍が敗北すれば、王家の威信はいよいよ地に落ち、各地で同様の反乱が燎原の火のごとく広がっていくに違いない。


 平和を愛する俺としては、反乱がまだ初期段階にあるうちにカストル侯爵家を叩き、これ以上の混乱を食い止めたいところだ。


 季節は爽やかな春。


 学園で新学期が始まったばかりだというのに、政界の裏側では、すでに「誰がどちらの味方をするか」という血生臭い腹の探り合いが始まっていた。


 俺は馬車の中で小さく息を吐き、移り変わる街並みを眺めた。

 平和な日常の皮一枚下で、戦争の足音が確実に近づいてきている。

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